「笈の小文」の旅シンクロニティ――歩行ならば杖つき坂を落馬哉 芭蕉
本日 2016年 1月19日
貞享4年12月17日
はグレゴリオ暦で
1688年 1月19日
桑名より食はで來ぬればと云ふ日永(ひなが)の里より、馬借りて杖つき坂登るほど、荷鞍打反(うちかへ)りて馬より落ちぬ。
歩行(かち)ならば杖つき坂を落馬哉
と物うさの餘り云ひ出で侍れども、終に季の詞(ことば)入らず。
「笈の小文」。
「桑名より食はで來ぬれば」は西行作とも宗祇作(孰れも芭蕉の最も崇敬する古人)ともする凡歌、
桑名より食はで來ぬれば星川(ほしかは)の朝明(あさけ)は過ぎて日永にぞ思ふ
の上の句。桑名・星川(現在の三重県桑名市大字星川)・朝明(現在の三重県四日市市朝明町)・日永(四日市日永)の地名が詠み込まれてあたじけない掛け言葉となっている。ただ丁度、芭蕉が名古屋から伊賀へ向かうルートと合致していた。
「杖つき坂」杖衝坂。現在の三重県四日市市采女(うねめ)にある旧東海道の坂。四日市宿と石薬師宿(現在の三重県鈴鹿市内)の中間にある。「古事記」で、日本武尊(やまとたける)が東征の帰途に伊吹山の神を甘く見て戦いを挑んだ結果、禁忌に触れて疲弊し、その弱った状態で大和へ帰らんとする途次、この急坂を杖をついて登った、とあるのに基づく。
「物うさ」気怠(けだる)く大儀で、心重く苦しいこと。日本武尊の故事に掛けた。
「季の詞」現行の季語に当たるもの。「去来抄」で『蕉門に無季の句興行侍るや」という問いに、「去來曰、無季の句は折々有り。興行はいまだ聞ず。先師曰、発句(ほく)も四季のみならず、戀・旅・名所・離別等、無季の句有りたきもの也。されどいかなる故ありて、四季のみとは定め置れけん、その事をしらざれば、暫く黙止侍る也。その無季といふに二ツ有り。一ツは前後・表裏、季と見るべきものなし』として本句などを引き、『又詞に季なしといへども、一句に季と見る所有りて、或は歳旦とも、名月とも定まる有り』。と述べている。芭蕉は一方では、一見、近現代の有象無象の守旧派の自称俳人どもの如く、「季の詞」を重視しているポーズを見せながら、その実、優れた一句を詠み出だした中にあっては「季の詞」とならない言葉は実はない、悉く言葉は「季の詞」たりうるものを内在させていると考えていた節がある、と私は勝手に考えている。それはそれとして、この無季の句を芭蕉が「笈の小文」に採ったのには、決して形に堕すことのない芭蕉の天馬空を翔けるが如き、自由自在な句への自負があったことを示す好例の掌に遊ぶ滑稽句と見る。
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