日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第二十六章 鷹狩その他 (26) 刀鍛冶・収集家・細工・筆記用具
図―761
図761は、東京にいる刀鍛冶を、ざっと写生したものである。これに関する覚書は無く、今になっては何も思い出すことが出来ぬ。助手の使用する鉄槌は、非常に変な形をしている。
私はすでに日本人が蒐集を好むことを述べ、彼等が集める品物に就て簡単に書いた。それを書いた後、私は他の多くの蒐集を見たがそれ等は陶器、磁器、布地、刀剣、刀剣の柄や鞘についている細部品、署名、貨幣、石器玉、錦欄――これは切手蒐集に於るが如く、その小片を帳面にはりつける――、絵、画、書物、古い原稿、戸棚や僧侶の机のような古い家具、墨、硯屋根瓦、漆器、金属の装飾品等である。自然物を集める人は極めてすくない。もっとも昆虫、見殻、植物を蒐集する人も、数名、私はあってはいる。
[やぶちゃん注:「絵、画、」原文“pictures, drawings,”。“picture”は彩色がを含め、筆を寝かせて塗った作品、“drawing”は単なる図面を含め、筆を立てて線画として描いた作品の違いであるようである。]
日本の細工物を調べる外国人は、それが如何なる種類のものであっても、その表面のいたる所が、同じ様に完全に仕上げてあることに、直ちに印象づけられる。青銅の像でも、漆塗の常でも、印籠でも、根付でも、底部が目にふれる面と同様に、注意深く、そして正確に仕上げてある。また彫刻した昆虫の腹部や、動物の彫像の基部が、解剖学的な正確さで仕上げてあるのに、驚かされる。この、仕事に対する忠実さのいい例は、ある家族が、その家具を動かす時に見られる。勿論家具は多くはないが、而も簞笥や、低い机や、漆塗の戸棚や箱やその他が、積まれたのを見る人は、米国に於る同様な家具積み馬車との対照に気がつく。よしんば富豪の家のものであっても、かかる荷はかなり乱雑に見えるものであるが、日本では、貧乏人の家から出た荷でも、キチンとしている。
[やぶちゃん注:個人的にこの最後の引っ越し荷物の東西の違いは秀抜な観察と思う。この後には有意な空行がある。]
日本の子供――これに関しては全国民がそうだが――は、鉛筆も、白墨も、クレヨンも、ペンも液体のインクも持っていず、固い墨の一片に水をつけて何等かの容器――普通石の硯――内にインクを自分でつくる丈である。漆器あるいは木造の書き物箱には、硯が一面入っており、その両側にはそれで物を書く筆や、紙切小刀や、墨や、水を入れる小さな容器やを置く、狭い場所がある。水入には二つの小さな穴があいていて、その一つを指でおさえ、もう一つの穴から流れ出る水を加減する。墨がすでに出来ていない時には、水の数滴を硯にたらし、充分黒くなるまで墨をこする。そこで初めて手紙を書くのだが、いう迄もなくこれは縦に、巻紙に書き、一行一行と書くに従って紙の巻きを戻して行くから、手紙の長さによっては五、六フィートにもなることがある。次にそれを引きさき、またまき、手をのばして平にし、最近使用されるようになった細長い封筒に入れる。非常に腹を立てて、すざまじい見幕で手紙を書こうとする人でも、いざ書き始めるという迄には、充分冷静になる丈の時間がある。
[やぶちゃん注:この最後のケースの観察も秀抜!
「五、六フィート」一・六~一・八メートル程。]
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