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2016/01/12

『風俗畫報』臨時増刊「鎌倉江の島名所圖會」 星月夜井/虛空藏堂――(脱漏分+山本松谷挿絵)

 

    ●星月夜井

星月夜井は。極樂寺阪(ざか)に上る下に在り。鎌倉十井の一なり又星の井ともいふ。石の井桁(ゐげた)石の井筒にて。周圍四間餘もあり。其の水淸洌にして渇を醫すベし。夏時は茶事あり。玻瓈椀(コツプ)に汲て客に進む。客飮み畢(をは)り。隨意に餞を投して去る。里老の説に云。昔は此の井の中に晝も星の影見ゆる故に名く。然るに此邊の奴婢(ぬひ)此井を汲(くみ)に來り。誤て菜刀(さいたう)を井の中に落したり爾來(じらい)は星の影見えすと。

[やぶちゃん字注:以下、読み易さを考えて恣意的に改行行空けを施した。]

 

 後堀川百首

   我ひとり鎌倉山を越行は

    星月夜こそうれしかりけれ 常陸

 紀行

  極樂寺へ至るほとに、いとくらき山間

  に、星月夜といふ所あり、むかし此邊

  に星の御堂とて侍りきなど、古き僧の

  申侍りしかは、

   今もなほ星月夜こそのこるらめ

    寺なき谷の闇の燈

                 法印堯惠

[やぶちゃん注:「四間」七・二七メートル。

「晝も星の影見ゆる」これは伝承としてよく語られ(私も昔、亡き母からそう聞いた記憶がある。見たことはついぞなかったが)、タルコフスキイの「僕の村は戦場だった」の回想シーンでも母とイワンが井戸を覗きながら、母が井戸の底に星が見えることを語る。現在、ネット上の記載では井戸でも煙突でも星は見えないという「物理的」記載が殆どで、実験を行わずに安易に見解を述べたアリストテレスの記載に端を発する都市伝説であると一蹴しているものも多い。しかし中には金星なら見える、一般のカメラに紙で筒状の遮蔽を附けて昼間に琴座アルファ星ベガを撮ったケース(雑誌『天文ガイド』に掲載された由)や、廃工場の煙突を用いて煙突直上を通る星位置を計算、煙突の直下から子供たちに星を見せる実演を行った(某テレビ局で放映された由。但し、見えたかどうかは記されていない)事実があるという記載も見出だせる。私は初期のゼロ戦のパイロットが昼間でも星を見ることが出来たという話や、ブッシュマンたちが数キロ先に落ちている針を目視出来るという話を、「都市伝説」ではなく確かな事実として受け止めている人間である。かつての人類には昼間でも星を見る視力が備わっていた。さすれば、それをより効果的にする物理的な装置としての井戸とは、おかしくなく、似非科学でもアーバン・レジェンドでもない。昼間に星なぞ昔から見えなかったのだ、嘘八百だったのだとけんもほろろに言い放つより、今の文明人である我々が見る能力を殆んど減衰させてしまったのだと考える方が、よっぽど科学的ではなかろうか。そして、極めて眼のいい古人にとっては、この星月夜の井戸では実際に星が見えた、ところが女中が誤って金物を落としてしまった結果、その反射光が井戸の底を致命的に侵してしまい星が見えなくなった、というのは「物理的」にあり得ない話ではあるまい。ただ本文にもある通り、一般的な井戸で星が見えるという説がもともとある中で、本地名が星月夜であり、そこにたまたまあった井戸にその名が附され、附されたところで後付けの星が見えなくなった謂れを付会させたという可能性は勿論、あるとは言える。以上、私は、井戸では星は見えない、だから、この虚空蔵堂に関わる伝承は総て牽強付会である、という論理は必ずしも科学的ではないということを述べているのである。但し、それとは別個な民俗学的な意味に於いて、井戸の底に星が見える、という命題は考察されねばならないとは思っている。私は古代人に「物理的」に井戸の底に星が見えたことが、古代人の心性に、『夜の星は昼間、井戸の底――地の底の冥界に在るものであり、夜、空に展開するものだ』という考えが芽生えたのではあるまいか――そしてその星々は、冥界と繋がるあるシンボル、ある予兆や太古の謎を解き明かす意味を以て、夜空に示されていると彼らは考えたのではあるまいか、という可能性を考えるのである。識者の御意見を乞いたい。

「後堀川百首」これは平安後期の歌集「永久百首」の誤りである。永久四(一一一六)年に鳥羽天皇の勅命で藤原仲実ほかが編した。「永久四年百首」「堀河院後度百首」「堀河院次郎百首」などとも呼称するが、「後堀河百首」とは言わないようである。「新編鎌倉志卷之六」の無批判な引き写しによる誤りである。

「常陸」(生没年未詳)は「肥後」の別称の方が知られる。肥後守藤原定成の娘で常陸介藤原実宗の妻。京極関白師実家・白河天皇皇女令子内親王に侍した女房。院政期女流歌人を代表する一人。

「紀行」以下引用の「堯惠」(ぎやうゑ(ぎょうえ))の「北国紀行(ほっこくきこう)」のこと。「稻瀨河」にも登場した歌僧法印尭恵は、文明十八(一四八六)年五月末に身を寄せていた美濃郡上の東頼数のもとを出て、越中から北陸道を北上、越後から信濃・上野を経て、同年十二月中旬に三国峠を越えて武蔵に入り、翌年二月に鎌倉・三崎等に遊ぶなどして美濃へと戻る旅をしている。この一年半余の紀行が「北国紀行」である。]

[やぶちゃん追加注:著作権満了を享けて底本の明治三〇(一八九七)年八月二十五日発行の雑誌『風俗畫報』臨時増刊「鎌倉江島名所圖會」(第百四十七号)に挿入されてある山本松谷の挿絵を公開していたところ、この「星月夜井」及び次の「虛空藏堂」の二項は、私の手違いで電子化から落としていたことに本日只今、気づいた(電子化と注作業はちゃんと済んでいたが、私の勘違いで脱漏していたものである)。改めて掲げることとする。

 以下、ここに入る、山本松谷(明治三(一八七〇)年~昭和四〇(一九六五)年 山本昇雲とも。本名は茂三郎)の絵を挿入する。]

 

Ke_hosidukiyo

 

山本松谷「鎌倉江島名所圖會」挿絵 星月夜の井の図

[やぶちゃん注:本誌の挿絵の九枚目。上部欄外中央に「鎌倉星月の井圖」(「星月の井」はママ)と手書き文字でキャプションが記されてある。井戸の水を供する嫗(おうな)と娘、その脇には「名水 鎌倉星月の井」(これもママ)の看板が立つ。――何をか言わんや――これこそまさしく永遠に失われてしまった鎌倉の原風景である――] 

 

    ●虛空藏堂

虛空藏堂は。明鏡山〔鎌倉志には星月山に作る〕星井寺と號す極樂寺阪の登口(のぼりくち)右側に在り本尊は行基の作像なり。〔木佛長三尺〕堯惠の紀行に。星の御堂とあるは是なり。

[やぶちゃん注:「虛空藏堂」は「こくうざうだう(こくうぞうどう)」と読む。「虛空藏」は虚空蔵菩薩のことで、「虚空藏」は「こくうざう」と読み、「虚空蔵菩薩」の略。サンスクリット語の原義は「虚空の母胎」で、虚空一切無尽蔵の如くに智と慈悲の広大無辺なる菩薩の意。胎蔵界曼荼羅の虚空蔵院主尊。像形としては蓮華座・五智宝冠で、右手に智慧の宝剣(若しくは空手にて掌を見せる与願印)、左手に功徳の如意宝珠を持す。

「三尺」九〇・九センチメートル。

「堯惠の紀行に。星の御堂とある」前項注も参照のこと。]

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