「笈の小文」の旅シンクロニティ――いざ行かん雪見にころぶ處まで 芭蕉
本日 2016年 1月 5日
貞享4年12月 3日
はグレゴリオ暦で
1688年 1月 5日
いざ行かん雪見にころぶ處まで
「笈の小文」より。同書では前の「ためつけて雪見にまかるかみこ哉」に続いて、句を並べて恰も、この11月28日に雪降る宴にかく呼ばれた、その主人に、芭蕉が面白く、「さあ! 雪見に出かけましょうぞ!」と呼びかけている組句の如(ごと)、読めるが、実際には4日後の12月3日の名古屋本町の書肆風月堂主人長谷川孫助の屋敷、風月亭で詠まれたものと山本健吉氏は「芭蕉全発句」で推定されておられる。根拠は『真蹟によって掲げたという也有(やゆう)の『鶉衣(うずらごろも)』に「丁卯臘月初、夕道何がしに送る」と付記してあ』ること、『同書には、「書林風月ときゝし其名もやさしく覚えて、しばし立寄(たちより)てやすらふ程に、雪の降出ければ」と前書があ』ることに拠る。
なお、山本氏によれば、「鶉衣」には、
いざ出む雪見にころぶ所まで
となっており、これが恐らくは初案で、その後、この「笈の小文」及び「曠野」の本句形となり、さらに「花摘」(其角編・元禄三(一六九〇)年奥書)で決定稿、
いざさらば雪見にころぶ所迄
となったとある。個人的には勿体つけたポーズの溜めのある決定稿よりも、愚直なこの「いざ行かむ雪見にころぶ所まで」の方が好ましい。