「笈の小文」の旅シンクロニティ――露凍て筆に汲干ス淸水哉 芭蕉
本日 2016年 1月14日
貞享4年12月12日
はグレゴリオ暦で
1688年 1月14日
露凍(いて)て筆に汲干(くみほ)ス淸水哉
「笈の小文」にはらない句で、「三つのかほ」(越人編・享保一一(一七二六)跋)より。同書には、同書には、
此句ハ尾陽昌圭もとにてせられけるを何の集にやらん、凍解てとあやまりぬ
と付記する。また、「筆のしみづ」(和月編・文化年間成立)には、
露冴(さえ)て筆に汲干ス淸水哉
で出る。さても、「芭蕉庵小文庫」(史邦編・元禄九(一六九六)年刊)では、
苔淸水
凍(いて)とけて筆に汲干す淸水哉
とし、「泊船集」(風国編・元禄十一年刊)「蕉翁文集 第一冊 風一」(土芳編・宝永六(一七〇九)年成立)も、この初五を「凍とけて」の句形で出す。後者は貞享五年の部に出すことから、実は本句は、
凍とけて筆に汲干し淸水哉 【初稿】
↓
露凍て筆に汲干ス淸水哉 【改稿】
↓
凍とけて筆に汲干す淸水哉 【三稿】
であったものと思われる。
サイト「俳諧」の「笈の小文」によれば、日付不詳乍ら、十二月上中旬の作とされるが、興行できるのは、五日から十二日に限られるとあるので、取り敢えずここに配した。
山本健吉「芭蕉全発句」に、『この句を発句とした二十四句の未完了歌仙が』「筆のしみづ」『に載っている』とあり、脇は、
露凍てて筆に汲ほすしみづかな 芭蕉
耳におち葉をひろふ風の夜 鏡鶏
山本氏は『昌圭は』『名前から里村昌琢の流れの連歌師と推測することが出来、』この座に集まったメンバー(芭蕉を含めると十人)の多くは『連歌畠と推定される』とされた上で、『これは昌圭への挨拶』句で、『昌圭亭の座敷から庭の清水を嘱目して、西行の作と伝える』、
とくとくと落つる岩間の苔清水汲み干すほどもんきすまひかな
『を心に置いて、連歌師昌圭の風雅を』讃えた句であるとされる。『西行と類比したところが昌圭への挨拶である』とされる。句解は『夜が冷えて、結んだ露もみな凍てつくほどの寒さだが、この趣き深い庭にはなお、筆の穂先に含ませるほどの清水が、わずかに涸(か)れ残っている』ことよ、という新潮日本古典集成「芭蕉句集」の今栄蔵氏の訳が――凍てているはずの清水の露を主人の心配りの温みが溶かした――と私には読めて、すとんと腑に落ちたのであった。
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