山本松谷「鎌倉江島名所圖會」挿絵 長谷寺の図(見開き)
今回も当該旧記事に嵌め込み。
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山本松谷「鎌倉江島名所圖會」挿絵 長谷寺の図(見開き)
[やぶちゃん注:明治三〇(一八九七)年八月二十五日発行の雑誌『風俗畫報』臨時増刊「鎌倉江島名所圖會」(第百四十七号)の挿絵八枚目。上部欄外中央に鎌倉長谷寺の圖」と手書き文字でキャプションが記されてある(二枚目を参照)。私のスキャン機器のサイズの関係上、一枚目の全体図(ファイル名:ke hase)は右の母子の食事の景の方を重視して、左側を三センチメートル分、カットしてある(合成縮小しないのは私のフォト・ソフトと未熟な技術では必ずしも上手くいかないためである)。但し、左側の西瓜売りの嫗(おうな)と西瓜を食って床几でごろ寝をしている男(食った西瓜の皮らしいものが柱の蔭に見える)、中景の棟にとまる鴉と、その向うの藁葺屋根の上を飛ぶ鴉も、登場させないのは惜しいので底本図の左三分の二を二枚目として掲げた(こちらはコントラスト補正を加えていない)。
明治期の観光地の古写真は人物が写り込んでいる場合、まず、絶対非演出の絶対リアリズムにはならない(それは現在の写真術の主義主張とは異なり、専ら屋外撮影では時間がかかってしかも静止を促した結果上、仕方がない)。
ところがこの絵(鉛筆スケッチを元にした石板画)は、描かれる人物が誰一人として画家の眼を意識していない。
しかも左右の屋内が、自然な形で透視描写とされていて、往時の庶民の日常がごく自然に見てとれるようになっている。
そもそもこの一点透視画法の図絵は消失点である標題主題の長谷寺を鑑賞者は見ようとしない。
寧ろ、子細に描き込まれた、箱膳の食事風景、そこで子に飯をよそう母、子どもの引き馬の遊具(これは手製とも思えぬ。この物売り屋は廂に蜘蛛の巣がかかって、子沢山(三人を数える)だが、長谷寺の門前町の中では案外に繁昌していることが窺える)、犬相撲をしかけ合う子ら、車乗りの足萎え(こういう差別された賤民の風俗は写真に残されているものが案外に少ないし、今時のTVドラマなどでは自主規制放送コードでまず演出されない。我々が時代劇や近代ドラマで見る市井の沿道は、薬剤の臭いがプンプンするほどテツテ的に漂泊されてしまっている)、天秤棒を担いだ魚屋(鎌倉自慢の鰹でも運ぶものか)、悪戯鴉に石を投げようとしているでもするかのような少年(もしかすると鴉は一羽で、少年の投げた石で驚いて、棟の上の鴉が飛び立ったのが、実は左上の鴉ででもあるところの、異時空同一画面表現なのかも知れぬ)、菰(こも)掛けの馬を引く馬博労(ばくろう)が自分とそして恐らくは相方の馬にも分けてやる(しかし皮の部分)ために瓜(西瓜は奥左端に見える。店頭のそれは楕円の形上からして真桑瓜の類いであろう)を買い求めるさまなどなどを、鑑賞者は楽しむのである。いや。或いは、目には見えぬ中央の甍の中にある長谷観音の母のような広大無辺な慈悲の眼差しが、あまねく、しかも等しく、この市井のありとある衆生の上に注がれてでもいるかのようにも私には感ぜられるのである。
因みに、これを私の持つ、幕末と明治二〇年代の長谷門前町の本絵とほぼ同じフレーム(二枚とももう少しフレーム・イン気味)の写真と比較してみたが、左右の藁葺屋根の形状と非常によく一致していることが判る。本図は確かなロケハンが行われた、しかも写真では決して撮ることの不可能な稀有のスカルプティング・イン・タイムなのである。]
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