『桜島』 ――「気宇壮大」なあとがき―― 梅崎春生
『桜 島』
――「気宇壮大」なあとがき――
『桜島』が私の処女出版。(なぜ童貞出版といわないのか、男をばかにするな)
収録作品は「桜島」「微生」「崖」「贋の季節」。版元は大地書房で、発行は昭和二十二年の末である。表紙には望遠鏡に映る桜島が描いてある。表紙もぺらぺらだし紙も仙花紙だが、当時としてはよく出来た本だ。
あとがきに
「小説という形式への疑問が、近来起りつつあるものの如くだが、私はこれに組しない。私は単純に小説というものを信じている。人間が存在する限りは小説もほろびない。小説とは人間を確認するものであり、だから小説とは人間と共にあるものだ。少なくとも私と共に確実にあるという自覚が、私を常に支えて来た。私は現在まで、曲りなりにも一人で歩いて来た。他人の踏みあらした路を、私は絶対に歩かなかった。今から先も一人であるき続ける他はない。そして私は自らの眼で見た人間を、私という一点でとらえ得ることに、未だ絶望を感じたことはないし、おそらく将来も感じることはないだろう」
気宇壮大なことを書いているが、実は十六年後の今でもそう思っているのである。そうでも思わなきゃ、小説なんてものは書けないではないか。
発行部数は、数版を重ねて、二万か三万程度だったと思う。そして出版元はつぶれた。
[やぶちゃん注:昭和三八(一九六三)年十二月二日号『週刊読書人』に掲載された。底本は昭和六〇(一九八五)年沖積舎刊「梅崎春生全集」第七巻を用いた。
ここで梅崎春生は単行本「桜島」を「発行は昭和二十二年の末である」と述べているが、私の調べた限りでは、単行本「桜島」の発行日クレジットは昭和二三(一九四八)年三月二十日のようである(底本解題その他による)。ところが、また多くのデータ(国立国会図書館書誌など)には春生の言うように、前年の一九四七年がクレジットされている。不審である。よくあることだが、このクレジットで実際には前年末に発売されたということであろうか? 識者の御教授を乞うものである。
「微生」は梅崎春生二十六歳の時、自ら創刊に加わった同人誌『炎』に戦前の昭和一六(一九四一)年六月に発表したもの(同誌は二号で廃刊)。「崖」は小説としては「桜島」に次いで、昭和二二(一九四七)年二・三月合併号の『近代文学』に発表、「贋の季節」は昭和二二(一九四七)年十一月号『日本小説』に発表したものである。
この「小説という形式への疑問が、近来起りつつあるものの如くだが、私はこれに組しない。私は単純に小説というものを信じている。人間が存在する限りは小説もほろびない。小説とは人間を確認するものであり、だから小説とは人間と共にあるものだ。少なくとも私と共に確実にあるという自覚が、私を常に支えて来た。私は現在まで、曲りなりにも一人で歩いて来た。他人の踏みあらした路を、私は絶対に歩かなかった。今から先も一人であるき続ける他はない。そして私は自らの眼で見た人間を、私という一点でとらえ得ることに、未だ絶望を感じたことはないし、おそらく将来も感じることはないだろう」という言葉はまっこと、素晴らしいと思う。それは私が「桜島」や「幻化」を初読した際に感じた――心臓の震えと――全く以って共鳴するものだから――でもある。]

