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« 梅崎春生 『龍南』最終「編輯後記」 | トップページ | 梅崎春生 詩 「秋の歌」 »

2016/01/16

梅崎春生 詩 「斷層」   (初出形復元版)

 

   

    「斷   層」

              梅 崎 春 生  

 

ゆきずりの男も女も、濡れたしきいしにあしあとをのこし、凍りか

かつた舖道の上にあしあとをのこし(たとへばくだものや。歪んだ

鏡面に二重にうつるなし、りんご、ばなな、ぱいなつぷるが、きち

がひじみた不調和を氾濫させ、赤い襟つけたくだものやのむすめは

着ぶくれて、はれた手の甲を小火鉢のとぼしい炭にかざし)みせに

ならべたりんごのひとつが、行客の袖にかかつて、ころころと、し

めつた土間にころげ落ちる。こよひ、にぶい灯はわびしい巷にたち

ならび、雜音騷音はまちのすみずみからわやわやわやとたち、男も

女もうつけた顏貌のはしばしにまでただれた神經の尖端をぶらぶら

させて、犬のようにあへぎながらあるく。くだものや。ほんや。ご

ふくや。そばや。かずかずの醜惡なる生活の斷層。その生活の論理

を一步もふみはづさないやうにあえぎながら。歲末の街を、いたま

しいほど苦しさうにあえぎながら。(そのこころからこころへわな

のごとくはりわたされたるあひ言葉。ここにすすけたる町人根性。

――今日も無事の日が暮れよと。) 

 

があがあとらじおがそらなりをし學生等は下駄をはいて町かどをま

がり(もつものはうつろなる誇りとかなしいほどまずしい思想と牡

犬のような春情)肌さす十二月の風がはたはたとまんとの裾をひる

がへす。(めんめんとつらなりむせぶ習俗のうた)巷よ。ほんやに

たかる只讀みのむれ。店員の油斷をうかがふ萬引常習女。くだもの

をねぎるわかいおとこと。ああ、ここでも鎧のやうに厚い習俗の壁

をつきやぶり、ただいちどでいいからあの新鮮なひかりをみちびき

いれるひとびとはいないのか。社會なべに冷酷な目をそそぎながら

歲末の人出は小便のやうにながながとつづいてゐる。(めがねをか

けたみにくい女士官の顏にかがやきわたるいやしむべき誇りの表情

よ)

 

入口が暗い小さな喫茶店の扉を肩でおして出入するおとこたち。冷

たいかほでかれらを送迎する喫茶店のわかいをんなのうるんだひと

み。隅のぼつくすには肩はばひろい街のごろつきたちが、すとおぶ

のまわりにはにきびをもてあましたやうな學生たちが(かれらは政

治の將來をかたり)機關銃のごとき亢奮をおしかくし何氣なく煙草

を吸ひながら(かれらは哲學の動向をかたり)相手への嫉妬と反感

に燃えたつて(かれらは文學の貧困をかたり)喫茶店のおんなのゆ

たかなこしをぬすみみる。おのれへのただひとたびの媚笑をいまか

いまかとまちこがるる ―― そのひととき。 舌は煙草と珈琲とで

はぶらしのやうに爛れはてて(をんなは蓄音器の針を代へながら、

痛みだしたる子宮の疾患にあえぐ) 

 

そのひとときよ。巷の溫度は急速に下降しはじめるのだ。(商店の

どくどくしい廣告ばかりが妖しく風をはらみ)ゆききがたえ、白き

舖道にゆききがたえる。(ただちらほらとあゆむものはえものさが

す街の狼とかえりをいそぐ支那そばや。ああ、ちやるめらで十二月

のそらにふきならすかなしげな生活のうた)やけのやんぱちに醉つ

ぱらつたいくたりのをとこらが、ぽすたあをはがし電柱をたたきあ

るひは凍つたみちにすつてんころりんところがりながら、きちがひ

じみた聲をはりあげて(どんがらがんどんがらがんとうたふのだよ

淚を流してうたふのだよ。どんがらがんどんがらがんと) 

 

劫初より末世まで吹きすさむ巨大なる颶風。巷はその颶風の眼にな

り、一步一步するどく虛無へよろめくのだ。その顚落をわづかにさ

さへる一枚のうすい壁を(そのうすいかべをつたって學生等はかへ

つてゆく。耳にのこる勘定の白銅のうすらさむいおと)凍つたしき

いしに下駄のおとがからころとひびき、つめたい空風のなかで下駄

のおとがからころとひびき(つきがでてゐる。猛獸の口のごとく血

のいろでいつぱいとなり、銀行の鐵扉をふるへさせると)電柱はな

みだをたれ電線はなみだをたれ、巷はこのまま死滅のみやこだ。巷

よ。その町角をその並木をその舖道を、ひろびろと金魚のごとく泳

ぎわけそらにむかつてむなしく咆哮するもの。水銀柱は零下八度を

しめし、そのまま、そのまま巷は觸手の方向を失ふ。 

 

[やぶちゃん注:昭和一一(一九三六)年二月十五日第五高等学校龍南会発行『龍南』二三三号に所載された初出形(発行日は「熊本大学附属図書館」公式サイト内の「龍南会雑誌目次」により確認。そこには梅崎春生の項には『文三甲二』とある)。底本は「熊本大学学術リポジトリ」内の同初出誌誌面画像233-009.pdfを視認、活字に起こした。因みに、この発行日附は梅崎春生の満二十一歳の誕生日当日である。これを以って『龍南』所収の詩篇は終わっている。第三連七行目の「おんな」はママ。同九行目「いまかとまちこがるる ―― そのひととき。 舌は煙草と珈琲とで」は字数が有意に少ないが、底本では下部の「煙草と珈琲とで」の字間が有意に広げられて、前後と一致させてある。本電子化ではそれでは上手くゆかないので前の方の記号類の前後で調節した。また、「いくたりのをとこらが」の部分は底本では「いくたりのをところが」であるが、これでは意味が解からない。「をとこら」の誤植と断じて、特異的に訂した。沖積舎版も「おとこらが」となっている。沖積舎版では第四連末部分の「どんがらがんどんがらがんとうたふのだよ」の後には句点が打たれてある。確かに行の最終マスであり、その可能性がすこぶる高いとは思うが、梅崎春生の意志に沿うかどうかは判別がつかないので、ママとした(但し、後の表記替えでは挿入してはみた)。最終連の「咆哮」の「哮」の字の部分は底本では「口」+「幸」という字である。この漢字はユニコードにもなく、大修館「廣漢和辭典」にも載らない。意味からみても「咆哮」しか考えられず、このような植字活字が存在したこと自体が驚異であるが、誤植と断じて「咆哮」とした。沖積舎版もそうなっている。

 第二連末部分に「女士官」と出るが、旧大日本帝国兵役法の第一条には「帝國臣民タル男子ハ本法ノ定ムル所ニ依リ兵役ニ服ス」とあって女性には徴兵資格はなかった。しかし、従軍看護婦の婦長クラスは下士官相当待遇だったはずである、というQ&Aサイトの回答にあるので、ここはそれととっておく。

 以下、最終連の「劫初」は老婆心乍ら、「ごふしよ(ごうしょ)」(古くは「こふしよ(こうしよ)とも読んだ)と読み、仏教用語で「この世の初め」の謂い。

 「颶風」「ぐふう」と読み、強く激しい風の謂いである(古い気象上の学術用語としては熱帯低気圧(台風)や温帯低気圧に伴う暴風をも限定的に指すことがある)。

 「白銅」当時流通していた純粋な白銅貨は古い順に「五銭白銅貨幣(菊)」「五銭白銅貨幣(稲)」「五銭白銅貨幣(大型)」「十銭白銅貨幣」「五銭白銅貨幣(小型)」があるがこの中で可能性があるのは「五銭白銅貨幣(小型)」か。「白銅」は銅とニッケルの合金であるが、実は昭和八(一九三三)年からニッケル製の「十銭ニッケル貨幣」「五銭ニッケル貨幣」が流通しており、このシーンで「白銅」とは呼んでいるものの、この「五銭ニッケル貨幣」の可能性が実は高いかも知れない(私は古銭に冥いので、ここはウィキ日本の補助貨幣を参考にした)。

 これも奇妙な一行字数配置を変更して繋げた方が読み易く、そう加工したものを示す。『龍南』の総標題と思われる『詩』と題名の鍵括弧及び署名は省略し、前注通り、第四連末部分の「どんがらがんどんがらがんとうたふのだよ」の後には句点を打った。また、第三連七行目の「おんな」を「をんな」に訂し、同九行目「いまかとまちこがるる ―― そのひととき。 舌は煙草と珈琲とで」の奇妙な字間調整も除去した。

   * 

 

     斷   層 

 

ゆきずりの男も女も、濡れたしきいしにあしあとをのこし、凍りかかつた舖道の上にあしあとをのこし(たとへばくだものや。歪んだ鏡面に二重にうつるなし、りんご、ばなな、ぱいなつぷるが、きちがひじみた不調和を氾濫させ、赤い襟つけたくだものやのむすめは着ぶくれて、はれた手の甲を小火鉢のとぼしい炭にかざし)みせにならべたりんごのひとつが、行客の袖にかかつて、ころころと、しめつた土間にころげ落ちる。こよひ、にぶい灯はわびしい巷にたちならび、雜音騷音はまちのすみずみからわやわやわやとたち、男も女もうつけた顏貌のはしばしにまでただれた神經の尖端をぶらぶらさせて、犬のようにあへぎながらあるく。くだものや。ほんや。ごふくや。そばや。かずかずの醜惡なる生活の斷層。その生活の論理を一步もふみはづさないやうにあえぎながら。歲末の街を、いたましいほど苦しさうにあえぎながら。(そのこころからこころへわなのごとくはりわたされたるあひ言葉。ここにすすけたる町人根性。――今日も無事の日が暮れよと。)

があがあとらじおがそらなりをし學生等は下駄をはいて町かどをまがり(もつものはうつろなる誇りとかなしいほどまずしい思想と牡犬のような春情)肌さす十二月の風がはたはたとまんとの裾をひるがへす。(めんめんとつらなりむせぶ習俗のうた)巷よ。ほんやにたかる只讀みのむれ。店員の油斷をうかがふ萬引常習女。くだものをねぎるわかいおとこと。ああ、ここでも鎧のやうに厚い習俗の壁をつきやぶり、ただいちどでいいからあの新鮮なひかりをみちびきいれるひとびとはいないのか。社會なべに冷酷な目をそそぎながら歲末の人出は小便のやうにながながとつづいてゐる。(めがねをかけたみにくい女士官の顏にかがやきわたるいやしむべき誇りの表情よ)

入口が暗い小さな喫茶店の扉を肩でおして出入するおとこたち。冷たいかほでかれらを送迎する喫茶店のわかいをんなのうるんだひとみ。隅のぼつくすには肩はばひろい街のごろつきたちが、すとおぶのまわりにはにきびをもてあましたやうな學生たちが(かれらは政治の將來をかたり)機關銃のごとき亢奮をおしかくし何氣なく煙草を吸ひながら(かれらは哲學の動向をかたり)相手への嫉妬と反感に燃えたつて(かれらは文學の貧困をかたり)喫茶店のをんなのゆたかなこしをぬすみみる。おのれへのただひとたびの媚笑をいまかいまかとまちこがるる――そのひととき。舌は煙草と珈琲とではぶらしのやうに爛れはてて(をんなは蓄音器の針を代へながら、痛みだしたる子宮の疾患にあえぐ)

そのひとときよ。巷の溫度は急速に下降しはじめるのだ。(商店のどくどくしい廣告ばかりが妖しく風をはらみ)ゆききがたえ、白き舖道にゆききがたえる。(ただちらほらとあゆむものはえものさがす街の狼とかえりをいそぐ支那そばや。ああ、ちやるめらで十二月のそらにふきならすかなしげな生活のうた)やけのやんぱちに醉つぱらつたいくたりのをとこらが、ぽすたあをはがし電柱をたたきあるひは凍つたみちにすつてんころりんところがりながら、きちがひじみた聲をはりあげて(どんがらがんどんがらがんとうたふのだよ。淚を流してうたふのだよ。どんがらがんどんがらがんと)

劫初より末世まで吹きすさむ巨大なる颶風。巷はその颶風の眼になり、一步一步するどく虛無へよろめくのだ。その顚落をわづかにささへる一枚のうすい壁を(そのうすいかべをつたって學生等はかへつてゆく。耳にのこる勘定の白銅のうすらさむいおと)凍つたしきいしに下駄のおとがからころとひびき、つめたい空風のなかで下駄のおとがからころとひびき(つきがでてゐる。猛獸の口のごとく血のいろでいつぱいとなり、銀行の鐵扉をふるへさせると)電柱はなみだをたれ電線はなみだをたれ、巷はこのまま死滅のみやこだ。巷よ。その町角をその並木をその舖道を、ひろびろと金魚のごとく泳ぎわけそらにむかつてむなしく咆哮するもの。水銀柱は零下八度をしめし、そのまま、そのまま巷は觸手の方向を失ふ。

 

   *

 梅崎春生はこの号が出た翌三月にこの熊本第五高等学校を目出度く(二年次落第留年で通算四年在校)卒業、四月には東京帝国大学文学部国文科に入学している。

 なお、同号の『編輯後記』(同前233-012.pdf)の前田氏(『龍南』の次号第二三四号の目次と編集後記から『文三甲二』の『前田可博』なる人物と判る)の記載に、例によって応募作の少ないことを歎き、『殊に詩、短歌、俳句の如き』は、『もつと自由な氣持で』どんどん『應募されていゝ筈』、『もつと豁遠』(かつゑん:広く遙かに開けているさま)『な氣持で』どんどん『應募されていゝ筈』、『もつと』もつと『大膽に』『發表してもいゝ筈』と訴えた末尾に、

   *

 龍南詩壇に大きな足跡を殘して梅崎君が去る。梅崎君の去つたあとの龍南詩壇の淋しさを想ふ時にこんなことを考へる、こんなことを願つたりする[やぶちゃん注:句点なしはママ。]

   *

とある。また、同じ編集員の尾越氏(この『龍南』第二三三号の春生の本「斷層」の前に載る「玩具の家(スケッチ風の戯曲)」という戯曲の作者尾越孝人(所属不明)であろう)は、やはりこの『編輯後記』の一節で、

   *

 梅崎氏の詩は貧しい中にも[やぶちゃん注:投稿が、の謂いである。]誇つていゝ收獲だつた。が、君が去ることを思へば今後の龍南詩壇は如何? 飛入でも何でも歡迎する。誰か自信のある人は? ビツテ!

   *

とあって、抒情詩人の春生の名声が、少なくとも『龍南』内ではいや高かったことがよく判る。なお、「ビツテ!」はドイツ語の副詞“Bitte!”(ビッテ!)で、「さあ! どうぞ!」の謂い。以上、彼はこれと戯曲や『編輯後記』の書き振りからみて、五高文科の乙類(ドイツ語選択)であると推定される。]

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