日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第二十六章 鷹狩その他 (7)下駄箱
冷い寝床に入れるゆたんぽの代用として、日本人は大きな木の枠に保護される火鉢に、僅かの炭火を入れたものを使用する。これを布団の下に入れ、適当な熱を出させる。
図―752
図―753
図752は私の茶の湯の先生、古筆氏を写生したものである。彼は陶器に関する造詣が深く、非常に気持のよい人である。図753は古筆氏の下駄箱の写生図【*】。
* これは『日本の家庭』にも出ているが、日本人がこの絵を見ると懐郷的になるというから、もとの写生図からまたここに複写した。
[やぶちゃん注:この図は“Japanese Homes and Their
Surroundings”(日本人と家屋とその環境)の第五章の“ENTRANCES AND APPROACHES.”(エントランスと羨道)の“Vestibule and Hall”(玄関と玄関の間)のパートに出るものを指すが、画像は遙かに細密で美しい。その箇所は原文では(“Internet
Archive”のそれより)、
*
In a
narrow hall in an old house near Uyeno, in Tokio, I got the accompanying sketch
of a shoe-closet (fig. 223). The briefest examination of the various clogs it
contained revealed the same idiosyncrasies of walking as with us, — some were
down at the heel, others were worn at the sides. There were clogs of many sizes
and kinds, — common clogs of the school-children, with the dried mud of the
street still clinging to them, and the best clogs with lacquered sides and
finely-matted soles. At one side hung a set of shoe-cords ready for emergency.
*
である。邦訳を斎藤正二・藤本周一訳「日本人の住まい」(八坂書房二〇〇二年刊)から引用し画像も附しておく。この分量ならば引用の許容範囲と心得る。本文でモースが述べてよりもこちらの方がより詳しく書かれており、引用は不可欠である。
《引用開始》
東京の上野に近いさる古い家の狭い玄関の間(ま)で、わたくしはここに掲げた、下駄箱のスケッチ(二二三図)をものしたのであった。この下駄箱にあるさまざまの下駄をひとわたり見るだけでも、アメリカでの場合と同様に歩きかたの特異性が見てとれる。――かかとのすり減ったものもあれば両側面の傷んだものもある。下駄は大人用や子供用があり形や色合いがとりどりであった。――道の泥土が乾いて固くくっついたままの、学童の履物らしい並の下駄もあれば、両側面が塗り仕上げで上等の畳表張りの高級な下駄もあった。下駄箱の片側には必要に備えて鼻緒の予備が掛けられていた。
《引用終了》
以下、同書の図223。
「古筆先生」モースが陶器・民具収集で世話になった好古家で、モースの茶の湯の師匠でもあった古筆了仲(こひつりょうちゅう ?~明治二四(一八九一)年)。既注であるが再掲しておく。]
古筆氏の家族は少数だが、その各々が履物を沢山所有している。低いもの、最上の着物を着た時使用する立派なもの、路の悪い日に使用するもの等があり、ある物は見受けるところ、もうすりへっている。
事実、人は家の外に脱いである履物の外見によって、その家の内でこれから面会する未知の人の、社会的地位を判断することが出来る。
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