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2016/01/14

梅崎春生 詩 「海」   (勝手復元版)

 

    

 

海が見える。蜩の鳴く道と、向日葵の咲く道とを通りぬけると、ああしんかんと迫つて來る海の蒼白い風貌。海が一つの水泡のやうに圓くて雲の往來をうつし、煙はきながら沖通る異國船の眞赤な船腹を沈めて居る。秋風が吹く。海邊のきびばたけも、今、ちぢれた茶色の羽根飾りを擧げ、ひそやかな凱歌をざわめく。君も見るか。海の一端がくづれて、あの胸ときめかす風との接吻を。君も讀むか。悠久の情熱を祕めた海の蒼白い一頁を。あの日日の金色の輝きをそのまま、砂丘に埋もれた貝殼は、私に話しかける。私は答へる。さう。海は故鄕。苦しかつた旅の半生に、秋風は幾度か吹いた。その度海に私は日記帳を灰色に塗りつぶした。雨風に黝ずみ汚れた笠を荷を、蒼空に弧線描いて投げ飛ばせ。此所はあてどない旅の終り。私の幼ない日のきれいな思ひ出は、あの白い砂丘に埋葬してある。鍬取らう。鍬取つて、あのさらさらの砂掬つて、私自身を發掘しようと。

海が見える。輝く向日葵も首を垂れ、鳴きむせぶ蜩も聲をやめ、靜かな情熱の息吹の中に息絕えよ。ここ、感情は蒸發し、思想は昇華し、半生の閲歷は小石のやうに海底に沈む。目を上げよう。砂丘の彼方、ああ日を沈め、空をひたして、しんかんと海が迫つて來る。

 

[やぶちゃん注:昭和九(一九三四)年九月発行の『ロベリスク』に掲載された。梅崎春生、十九の夏の思い出である。この雑誌は当時の熊本五高の友人であった霜多正次(しもたせいじ 大正二(一九一三)年~平成一五(二〇〇三)年:後に左派小説家となった春生の盟友。日本共産党員でもあったが後に除籍された)と出した同人誌である。底本は昭和六〇(一九八五)年沖積舎刊「梅崎春生全集」第七巻所収を参考にしたが、同詩篇は正字化され、歴史的仮名遣も現代仮名遣化されてしまっている。しかし、『龍南』の初出詩篇の中にそれを平然と投げ込むことは、私には到底許されべきことではないと感じた。そこで初出を確認は出来ないものの、より原型に近づけることが出来ると信じ、恣意的に漢字を正字化し、仮名遣を歴史的仮名遣に直した。少なくとも沖積舎版のそれよりも初出の雰囲気には近いはずである。引用などに際しては、この私の注も附して、ここからの引用であることを忘れずに注記して戴きたい。よろしくお願い申し上げる。

 底本(現代仮名遣の箇所はそのまま引いた)では「蜩(ひぐらし)」「向日葵(ひまわり)」「凱歌(がいか)」「黝(くろ)ずみ」「鍬(くわ)」の五箇所にルビが附されてあるが、『龍南』掲載詩篇に準じて総て排除した。敢えて言うなら、せいぜい「黝(くろ)ずみ」ぐらいでいいであろう(「黝」は通常は「あおぐろい」と訓ずることが多いからである)。

 なお、本詩篇も沖積舎版には前の「創痍」と同じ、疑いがある。則ち、改行部が見かけ上、消えて見えている可能性である。その可能性は二箇所に認められる。則ち、一行最終マスで句点が打たれている二箇所で、それは沖積舎版の場合、「私の幼ない日のきれいな思ひ出は、あの白い砂丘に埋葬してある。」の箇所と、「ここ、感情は蒸發し、思想は昇華し、半生の閲歷は小石のやうに海底に沈む。」の箇所である。以下、その二箇所を試みに、改行し、段落の間を一行空けたものを示してみる。

   *

   

海が見える。蜩の鳴く道と、向日葵の咲く道とを通りぬけると、ああしんかんと迫つて來る海の蒼白い風貌。海が一つの水泡のやうに圓くて雲の往來をうつし、煙はきながら沖通る異國船の眞赤な船腹を沈めて居る。秋風が吹く。海邊のきびばたけも、今、ちぢれた茶色の羽根飾りを擧げ、ひそやかな凱歌をざわめく。君も見るか。海の一端がくづれて、あの胸ときめかす風との接吻を。君も讀むか。悠久の情熱を祕めた海の蒼白い一頁を。あの日日の金色の輝きをそのまま、砂丘に埋もれた貝殼は、私に話しかける。私は答へる。さう。海は故鄕。苦しかつた旅の半生に、秋風は幾度か吹いた。その度海に私は日記帳を灰色に塗りつぶした。雨風に黝ずみ汚れた笠を荷を、蒼空に弧線描いて投げ飛ばせ。此所はあてどない旅の終り。私の幼ない日のきれいな思ひ出は、あの白い砂丘に埋葬してある。 

鍬取らう。鍬取つて、あのさらさらの砂掬つて、私自身を發掘しようと。

海が見える。輝く向日葵も首を垂れ、鳴きむせぶ蜩も聲をやめ、靜かな情熱の息吹の中に息絕えよ。ここ、感情は蒸發し、思想は昇華し、半生の閲歷は小石のやうに海底に沈む。

目を上げよう。砂丘の彼方、ああ日を沈め、空をひたして、しんかんと海が迫つて來る。

   *

こうすると「鍬とろう」と「目を上げよう」という呼びかけが如何にも鮮烈に浮かび上がるように思われ、私はこの可能性が十分にあるように思ってはいる。初出誌が確認出来れば、それはただの私の妄想に終るかもしれないのだが。ともかくも、大方の御批判を俟つものではある。

 そんな妄想をしてみたくなるくらい、この一篇は、若々しく、眩しいばかりの――少年の自分を砂丘から発掘しようとする鍬を持った青年である自分――という眩暈を催すような、妖しくも美しい、慄然たるハレーションの――砂のミラージュ――なのである。]

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