梅崎春生「幻化」附やぶちゃん注 (25)~梅崎春生「幻化」附やぶちゃん注 完
火口が見える小高い場所で、丹尾はトランクに腰かけ、彼は平たい岩に腰をおろした。弁当を開き、丹尾はポケット瓶を出してあおった。そして瓶を彼に突出した。
「どうです。いっぱい」
「いや。おれも持っている」
彼はポケットから自分のを取出した。蓋に注いで二杯飲んだ。丹尾はその動作をじっと見ていた。自分の瓶の残りを飲み干した。そして視線を下に向けた。
「これ、駅弁じゃないね」
丹尾の言葉は、とたんにぞんざいになった。
「駅弁にしては、豪華過ぎる」
「君はずいぶん酔っぱらってるね」
「酔っちゃいけないかね」
「そりゃいいけどさ。この弁当は宿屋につくらせたんだ」
「どこの?」
「熊本」
五郎が食べ始めるのを見て、丹尾は安心したように箸をとる。ちらちらと景色を見ながら食べる。
「どうもいけないね」
丹尾は箸を置きながら言った。
「どうもあの穴を食べそうな気になる」
彼もさっきから同じような気がしていた。穴というのは、火口のことだ。あんまり雄大なので、ふと距離感がなくなり、弁当のおかずと同じ大きさに見えるのである。丹尾は景色に背を向け、口を開いた。
「ねえ。賭けをやりませんか?」
「賭け?」
「ええ。金の賭けですよ」
顔が赤黒く染まり、手がすこし慄えている。
「ぼくは火口を一周して来ます」
「どうぞ」
「それでだ」
弁当の残りをトランクにしまいながら、丹尾は言った。
「一周の途中に、ぼくが火口に飛び込むかどうか――」
「それを賭けるというのか」
「そうです」
五郎はめんくらって、ちょっと考えた。突然体の底から、笑いがこみ上げて来た。
「君は自分の生命を賭けようとするのか?」
「笑ってるね」
丹尾はふしぎそうに彼の顔を見た。
「あんたと知合ってから、声を立てて笑うのは、これが初めてだよ」
五郎は笑いやめた。しかし笑いは次々湧いて、彼の下腹を痙攣(けいれん)させた。
「しかし――」
彼は下腹を押えながら言った。
「賭けが成立するかなあ。君が死ぬ方におれが賭けるとする。すると君は飛び込まないで、戻って来るだろう」
「じゃ生きる方に賭けちゃどうです?」
「それでいいのか。君が飛び込むとする。君は賭け金を取れないことになるな」
「ええ。だからぼくが両賭け金を預って、出かける。ぼくが飛び込めば、賭け金も飛び込んで、パアとなる」
「なるほど」
なぜ丹尾がそんな賭けを提案したのか、彼にはよく判らなかった。わけを聞きたい気持も、別段なかった。ただなにものかが彼から離れ、丹尾に飛び移ったらしい。しかしそのことが笑いの原因ではない。笑いは笑いとして、独立に発生した。丹尾は言葉を継いだ。
「もしぼくが戻って来れば、賭け金の全部をあんたに差上げる」
彼は頰杖をつき、すこし考えて言った。
「賭けの金額は、いくらだね?」
「五万円でどうです?」
「五万? そんなに持ってない」
「いくら持ってんですか?」
「二万円」
三田村から送って来た金である。今朝現金にしたばかりだ。
「二万円?」
丹尾はがっかりした表情を見せた。その瞬間、丹尾の中にある死への意志を、彼はありありと嗅ぎ取った。
〈こいつは賭け金を、飛び込むスプリングボードにするつもりだな〉
おめおめと一周して戻れば、丹尾の五万円は彼のものになる。セールスマンという職業で、五万円のただ取られは痛い筈であった。
「いいでしょう。二万円」
丹尾はあきらめるように言った。
「じゃ二万円、出しなさい」
「出すけれどね、おれはそれほど君を信用していないんだ」
「どういうことですか?」
「君に預けると、君は飛び込まないで――」
彼は根子岳の方を指した。
「あの山の方に逃げて行くかも知れない。するとおれは金を詐取されることになる」
「そんなに信用がないのかなあ」
「では君は、おれを信用しているのか?」
丹尾は五郎の顔を見て、黙り込んだ。五郎はしばらく風景を見ていた。彼等二人のすぐ傍を、見物人が通り、また写真を撮ったりしている。見物人たちは、ここで二人の男が何を相談しているのか、全然知らないのだ。笑いがまたこみ上げて来るのを、彼は感じた。
「よろしい。いい方法がある」
丹尾はトランクを開いて、鋏(はさみ)を取出した。そして内ポケットから、一万円紙幣を二枚つまみ出した。五郎の出した二枚の紙幣と重ねる。縦にまっ二つに切った。切り離した半分を、彼に戻した。彼は黙ってその動作を見て、受取った。
「これでいいでしょう。これであんたの二万円も、ぼくの二万円も、使いものにならなくなった」
残りの半分を丹尾は内ポケットにしまい、上衣をぱんぱんと叩いた。
「いっしょにつなぎ合わせれば、四万円として使える。そうでしょ。飛び込めばパアとなる。逃げ出しても、ぼくはこれを使えない」
「半分あれば、日本銀行に持って行くと、一枚として認められるんじゃなかったかな」
「冗談でしょう。半分が一枚に通用するなら、世のサラリーマンは自分の月給をじょきじょき切って二倍にして使うよ」
「それもそうだね。君が逃げ出すと、両方損だ」
丹尾はゆっくり立ち上った。トランクを持ち上げる。
「トランクも持って行くのかい?」
「ええ。何も持たないと、自殺者と間違えられる」
「だって自殺するんだろう」
「自殺するとは言いませんよ」
丹尾はきっとした眼で、五郎を見た。
「火口を一巡りして、自分がどんな気持になるか、知りたいだけですよ。二万円でそれが判れば、安いもんだ」
「そうか。そうか」
五郎は合点合点をした。
「ではここで待っているよ」
丹尾は彼に背を向け、歩き出した。火口の左に進路を取る。五郎は弁当の残りを食べながら、その後姿を見ていた。
〈あいつ、弁当の残りを詰めて行ったが、トランクもろとも飛び込むつもりかな〉
後姿がだんだん小さくなって行く。動悸がし始めたので、彼はあわてて弁当を捨て、小瓶の酒を飲む。掌に汗が滲んで来た。
五郎の視野の中で、もう丹尾の姿は豆粒ほどになっている。突然それが立ちどまる。火口をのぞいているらしい。また歩き出す。
五郎は小高い場所からかけ降りた。あいつが死ねるものかという気分と、死ぬかも知れないという危懼(きく)が交錯して、五郎をいらいらさせている。火口の縁(ふち)に、有料の望遠鏡がある。五郎はそれに取りついて、十円玉を入れる。もう丹尾は半分近くを廻っている。
無気味なほど鮮やかな火口壁が、いきなり眼に飛び込んで来た。五郎は用心深く仰角を上げる。二度三度左右に動かし、やっと丹尾の姿をとらえる。丹尾は歩いている。立ち止って、火口をのぞく。その真下に噴火口がある。五郎は望遠鏡を下方に移す。壁は垂直に火口から立っている。火口には熱海がぶくぶくと泡立っている。
〈あそこに飛び込めば、イチコロだな〉
眺めているのが苦痛になって来たので、彼は荒々しく望遠鏡を上げる。高岳や根子岳、外輪山、その果てに遠くの山脈が重なり合っている。その上にすさまじい青さで、空がひろがっている。時間が来て、まっくらになる。五郎はまた十円玉を入れた。ふたたび視野に、丹尾の姿が戻って来た。
丹尾はトランクを下に置き、それに腰かけていた。ハンカチで汗を拭いている。拭き終ると、立ち上る。トランクを提げて歩き出す。くたびれたのか、足の動きが緩慢だ。ちょっとよろよろとした。石につまずいたのだろう。丹尾を見ているのか、自分を見ているのか、自分でも判らないような状態になって、五郎は胸の中で叫んでいる。
「しっかり歩け。元気出して歩け!」
もちろん丹尾の耳には届かない。また立ちどまる。汗を拭いて、深呼吸をする。そして火口をのぞき込む。……また歩き出す。……立ちどまる。火口をのぞく。のぞく時間が、だんだん長くなって行くようだ。そしてふらふらと歩き出す。――
[やぶちゃん注:「詐取」老婆心乍ら、「さしゅ」と読む。金品を騙(だま)し取ること。
「根子岳」既に注した通り、「ねこだけ」と読み、彼らのいる中岳の、ほぼ西の稜線状の先、直線で二・一キロメートル先にある。
「半分あれば、日本銀行に持って行くと、一枚として認められるんじゃなかったかな」言わずもがなであるが、交換は普通の銀行でも可能であるが、本来は日本銀行本店や支店の正統な正規業務である。「日本銀行」公式サイトの「日本銀行が行う損傷現金の引換えについて」によれば、「銀行券」の場合は以下の通りである(一部に存在する空隙を除去した)。
《引用開始》
表裏の両面が具備されている銀行券を対象とします。具体的な引換基準は以下のとおりです。
イ.券面の3分の2以上が残存するもの
額面価格の全額をもって引換えます。
ロ.券面の5分の2以上3分の2未満が残存するもの
額面価格の半額をもって引換えます。額面価格の半額に一円未満の端数がある場合には、これを切り捨てます。
なお、銀行券の紙片が2以上ある場合において、当該各紙片が同一の銀行券の紙片であると認められるときは、当該各紙片の面積を合計した面積をその券面の残存面積として、上記の基準を適用します。
《引用終了》
私はもうじき五十九になるが、一度だけ一万円札一枚を交換して貰ったことがある。独身の三十の頃に酔って帰って、飼っているビーグル犬の「アリス」(今の「アリス」の先代)を抱いて寝たら、翌日、目覚めて見ると、アリスが財布から引っ張り出した一万円札をテツテ的に嚙みしゃぶっていた。彼女の歯形だらけ、涎れでぐじょぐじょになって、しかも三つの塊りになってしまったそれを、一応は平たくのばしては見たが、札とは思えない形状に絶望的に変容していた。それでも惜しくなり、銀行に持って行って恐る恐る、「……あのぅ……犬に嚙み破られて……」と窓口のお姉さんに差し出した。お姉さんは、吹き出しそうになるのをこらえながら、「しばらくお待ち下さい」と言って奥へと行き、暫くすると、「殆んど完全に残っているのが確認出来ました♡」と笑顔で言いながら、綺麗なピン札の一万円札をくれた。そのお姉さんの顔が観音さまのように見えたのを私は、もう二十八年も経つのに、今も忘れずに、いる。
「高岳」既に注した通り、「たかだけ」と読み、中岳の、ほぼ東、直線で六百三十メートルほど、稜線沿いに計測すると九百三十メートルほどに位置する阿蘇五岳の最高峰。中岳より八六・三メートル高い。
「外輪山」阿蘇山の外輪山は、南北約二十五キロメートル・東西約十八キロメートル・総面積三百八十平方キロメートルに及ぶ、世界最大級の広大なカルデラ地形を成している(以上、ここまでの阿蘇山のデータは殆んどウィキの「阿蘇山」に拠った)。
※ ※ ※
さて、私の注を読んでくれた読者の中には、この前の「半分あれば、日本銀行に持って行くと、一枚として認められるんじゃなかったかな」の注の、アリス嚙み破りの私の体験談の附話を、せっかくの厳粛な「幻化」のコーダに相応しくない、不要な、不謹慎な、お茶らけた注だ、と憤慨した方もいるかも知れぬ。
しかし、私はそれでいいと思っている。そこで笑ってもらっていいと思っている。
なぜ?
だって五郎自身が笑い、そして言っているではないか。「笑いは笑いとして、独立に発生」するものだ、と。
問題は、もう一度、そこで、五郎が笑いながら、何と言ったかを思い出してもらわなければならない。笑うことが問題なのではない。笑いのために〈それ〉に気がつかないことが問題なのだ。
彼は丹尾に対して初めて声を立てて笑いながら「なぜ丹尾がそんな賭けを提案したのか、彼にはよく判らなかった。わけを聞きたい気持も、別段なかった」と内心を述べるのだが、その後を見よ!
「ただなにものかが彼から離れ、丹尾に飛び移ったらしい。」
そうして五郎は、今までにない、剃刀のような冴え切った真面目さで、
「その瞬間、丹尾の中にある死への意志を、彼はありありと嗅ぎ取った。」
――しかもさらに、
〈こいつは賭け金を、飛び込むスプリングボードにするつもりだな〉
と見抜くのである(因みにこの後の「おめおめと一周して戻れば、丹尾の五万円は彼のものになる。セールスマンという職業で、五万円のただ取られは痛い筈であった」という箇所はまたしても梅崎得意の自己韜晦的な滑稽シーンである。続くところの、「自殺」に二万円ばかしの金を賭けるのに信用不信用の論議をする男二人と周囲の観光客のモンタージュの対位法的手法も同じような感じではあるが、映像的にはここは寧ろ、「笑いがまたこみ上げて来るのを、彼は感じた」と五郎が言っても、最早、笑っている読者は殆んどいないかと私は思う)。
丹尾「そんなに信用がないのかなあ」
五郎「では君は、おれを信用しているのか?」
読者のあなたに私が問おう。
「では君は、私を信用しているのか?」
基! 違う!
「では君は、君を信用しているのか?」
或いは
「ではおれは、おれを信用しているのか?」
だ!
この直後に丹尾は「よろしい。いい方法がある」と言って、トランクを開き、鋏を取り出し、自分の内ポケットから一万円札二枚摘まみ出すと、五郎の出した二枚と重ねて縦に真っ二つに切断、切り離した半分を五郎に渡す。五郎は黙ってその動作を見続け、そうしてその半截した四枚の一万円札の半分の束を受取る。
「これでいいでしょう。これであんたの二万円も、ぼくの二万円も、使いものにならなくなった」
「いっしょにつなぎ合わせれば、四万円として使える。そうでしょ。飛び込めばパアとなる。逃げ出しても、ぼくはこれを使えない」
(ここに、先に注した滑稽の会話を挟んで、五郎の「君が逃げ出すと、両方損だ」とか、丹尾「何も持たないと、自殺者と間違えられる」/五郎「だって自殺するんだろう」/丹尾「自殺するとは言いませんよ」「火口を一巡りして、自分がどんな気持になるか、知りたいだけですよ。二万円でそれが判れば、安いもんだ」という何ともけったいな掛け合いの後、五郎は「そうか。そうか」と合点合点を二度も繰り返し、「ではここで待っているよ」と気軽に言い放ち、丹尾が火口を時計回りに進路を取って歩き出すのを、五郎は平然と「弁当の残りを食べながら、その後姿を見」つつ、五郎は『あいつ、弁当の残りを詰めて行ったが』(食べ残しをトランクに入れたまんま)、『トランクもろとも飛び込むつもりかな』なんどと思うという、これまた、落語のようなシークエンスが続くが、これも梅崎の確信犯である。梅崎春生は真面目なことを真面目に描いても誰もそれが真面目だと気づかないことをよく知っている作家なのだ。彼が滑稽な手法を用いる時は、一緒になって笑っているだけでは、春生の真意を見逃す虞れがあることを胆に銘じておくがよい(梅崎春生はそれが表面的な受け狙いと誤解されることをも百も承知であった。そのつもりではないのに、である。さればこそそれがまた鏡返しとなって作家梅崎春生の精神を蝕む強烈なストレスの一因ともなったのではないかと私は密かに考えている)。
――「丹尾の後姿がだんだん小さくなって行」く
――「動悸がし始め」る
――「掌に汗が滲んで来」る
――「五郎の視野の中で、もう丹尾の姿は豆粒ほどになっている」
――「突然それが立ちどまる」
――「火口をのぞいているらしい」
――「また歩き出す」
――「五郎は小高い場所からかけ降り」る
――『あいつが死ねるものか』
という気持ちと
――『死ぬかも知れない』
「という危懼が交錯」して「五郎をいらいらさせ」る
――五郎は火口の縁に設置された有料の望遠鏡に飛びつく。
――「十円玉を入れる。」
――「もう丹尾は」、中岳の火口を「半分近く」も「廻っている」
さても以下、私得意のシナリオ風に一部に翻案を加えて示したい。この原作のコーダは望遠鏡の画面効果が慄っとするほど素晴らしい。
* * *
○画面真黒。(擬音の下の「○」「●」は望遠鏡の「開」「閉」を示す。SE(サウンド・エフェクト)は中岳の火口からの重低音の微かな地鳴りのみ)
「カシャッ!」○
○阿蘇中岳火口(以下、望遠鏡の見た目のレンズ内映像)
――無気味なほど鮮やかな火口壁。(ゆっくりとレンズ画面、仰いでゆく。二、三度、画面、左右にパン。一度、丹尾の姿を過ぎ、また戻って、丹尾を画面中央に捉える)
――丹尾、火口の縁ぎりぎりを歩いている。
――丹尾、立ち止って、火口を覗く。
――真下に噴火口。(画面、ティルト・ダウン)
――垂直に火口から切り立っている壁。(さらにゆっくりティルト・ダウン)
――火口。ぶくぶくと泡立っている熱海。
(オフで)五郎「あそこに飛び込めば、イチコロだな。」(レンズ画面、素早くティルト・アップし、左へパン)
――高岳。(左へパン)
――根子岳。(左へ急速にパン)
――外輪山。
――その果てに遠く重なり合っている山脈群と、その上の凄まじい青さで広がっている空。(画面、部分ハレーションを起こす)
「カシャッ!」●
(画面は真黒。オフで、十円玉を入れる音)
「カシャッ!」○
――前の景色から右に急速にパンし、丹尾を一度過ぎ、右へゆっくり戻って、レンズ画面中央に再び、丹尾の姿を捉える。
――丹尾、トランクを下に置き、それに腰かけている。(トランクに陽光が反射してハレーションよろしく)
――ハンカチで汗を拭う丹尾。拭き終ると、立ち上る。
――トランクを提げて歩き出すが、足の動きがおぼつかない。(ハレーション終り)
――丹尾、石に躓(つまず)いて、ちょっとよろめく。
★この直後――五郎は、こう、感ずる――(以下、次の最初の『「カシャッ!」●』まではあなたの映像でよろしく)
★「丹尾を見ているのか、自分を見ているのか、自分でも判らないような状態になって、五郎は胸の中で叫んでいる。」
『しっかり歩け。元気出して歩け!』
そうして――実際に――五郎は叫ぶ!
「しっかり歩け。元気出して歩け!」
――丹尾の耳には届かないけれど――それでもなおも――五郎は叫ぶ!
「しっかり歩け。元気出して歩け!」
「カシャッ!」●
(画面は真黒。オフで、十円玉を入れる音)
「カシャッ!」○
――画面中央に、丹尾。
――また立ちどまり、汗を拭いて、深呼吸をし、そして、火口を覗き込む、丹尾。
――また歩き出す、丹尾。
――立ちどまる、丹尾。
――火口をのぞく、丹尾。覗く時間が、だんだん長くなって行く。
――そして再び、ふらふらと歩き出す丹尾。
「しっかり歩け。元気出して歩け!」
「カシャッ!」●
(画面は真黒。オフで、十円玉を入れる音)
「カシャッ!」○
――レンズ画面中央に、今まで同様、トランクを片手に火口の縁を歩いている丹尾と同じ服の男。
――しかしその男は――「丹尾」――ではない。
――それはその望遠鏡を覗いているはずの――「久住五郎」である…………
(エンド・タイトル)
* * *
ここまで奇特にもお付き合い戴けた読者は私が何を言いたいか、最早、お解かりであろう。
「ただなにものかが彼から離れ、丹尾に飛び移ったらしい」と五郎が言うのを待つ前に、既にして我々は、この一ヶ月前に妻子を交通事故で亡くし、生きる望みを失ってアルコール依存症に罹り、漠然と自死を考えている丹尾章次は、久住五郎のトリック・スター、分身であるどころか、
――丹尾と五郎が持つ両断された一万円札が総て一万円として機能せず、半分の価値しか持たないように
――坊津の密貿易のかつての密貿易で用いられたに違いない、割符の符牒(それは五郎や「桜島」の村上二曹や梅崎春生自身が拘わった暗号と符合する)のように
――合してこそ一つの意味ある存在になるもの
であったのである。
丹尾と五郎は、一体となって初めて、自分の惨めな「生」(私は「生」は本質的に如何なる場合も惨めであると考えている)とは何かを「感ずる」ことが出来る/出来た
である(完了形にしたのは私のシナリオの最後を受ける)。既に山本健吉氏の引用として注したが、底本別巻の弟梅崎栄幸氏の「兄、春生のこと」にも、梅崎春生は「丹尾鷹一」というペン・ネームを昭和一八(一九四三)年前後に用いていたという内容の記載を見出せた。更に調べると、国立国会図書館の書誌情報に、赤塚書房昭和一七(一九四二)年後期版の「新進小説選集」に前に注で出した小説「防波堤」(全集未掲載で私も未読)の内容記載があり、その作者は『丹尾鷹一』とある。
その感得――私の言っているのは「感ずる」ことである。糞のような、限界とマヤカシだらけのショボ臭い「人智」による「認識」などではない。寧ろ、私の謂いは超個人的であるところの「禪機」の結果の「悟達」(それもそれなりに胡散臭いものではあることは自明であるが)のようなものと考えて戴いても全く構わぬ――するところの「惨めな生」とは同時に「惨めな性」であり、「惨めな生」を「肉として感ずる」ことは、本当の意味で「惨めな死」を「肉として知る」ことと同義である(寧ろ、私は「惨めでない生」「惨めでない死」自体が「桜島」の村上二曹が言うように否定的あり、想定することが出来ないとも言っておく)。
私は既に「桜島」の最後の注で、「桜島」と本「幻化」の連関性についての独自の考察を既に述べたが、そこでも一部述べたように、明らかに、
「桜島」の〈枕崎の哀れな耳のない妓(おんな)〉――「幻化」の〈ダチュラの女〉
「桜島」の主たる共演者〈吉良「鬼」兵曹長〉――「幻化」の主たる共演者〈丹尾章次〉
「桜島」の〈美しき滅亡を語り、グラマンの機銃掃射で撃ち殺されてしまう兵〉――「幻化」の〈酒を吞んで泳いで溺死した、或いは、自死したのかも知れないと五郎が思う「福」兵長〉
の対(つい)関係を無視することは到底出来ない。そうしてこれは私には直ちに、
梅崎春生={枕崎の妓女,村上二曹,ダチュラの女,久住五郎}
梅崎春生={吉良兵曹長,村上二曹,丹尾章次,久住五郎}
梅崎春生={美しき滅亡を語る惨めに撃ち殺される兵,村上二曹,福兵長,久住五郎}
という全集合以外の何ものでもない、と感ぜられてならないのである。
福兵長と久住五郎の重層性はあまりにもはっきりと記されているので敢えて注はしなかったが、五郎に福の死の記憶が蘇り、棺桶の中で沢山の香り高いダチュラの花に包まれた福の遺骸が思い出された後、〈ダチュラの女〉がダチュラの花を五郎に与え、五郎が密貿易屋敷に泊まると、五郎の寝た部屋に活けられたそのダチュラの花の香が充満するシーン、『淡い燈の光だけになった。ダチエラの匂いは、まだただよっている。彼は掛布団を顎まで引き上げる。女のことを思い出していた。熱い軀(からだ)や紅い唇、切ないあえぎなどを。』『五郎の体は宙に浮いて、ただよい始めた。ゆるやかに、ゆるやかに、波打際の方に。――五郎は福の体になっている。すっかり福になって、しずかに流れている。そう感じたのも束の間で、次の瞬間に五郎は眠りに入っていた』というすこぶる印象的なシーンを出せば、こと足りる。
彼らは皆、作者「梅崎春生」という「一箇の人間」の中では――少なくとも、この「幻化」のラストにあっては――完全に一体となってこそ初めて――この人間という「惨めな生き物」の、惨めな/しかし確かな「生」と惨めな/しかし確かな「死」とが朧げながらも見え始める――ものであったに相違ない
と信じられた、と私には思われるのである。
本作が書かれた昭和四〇(一九六五)年――本篇の熊本の旧女郎屋を訪ねる五郎のシークエンスにも何やらんプンプンするところの、学生運動の新左翼内の内ゲバの始まり――忌まわしい「大東亜戦争」を辛くも生き延びた村上二曹や久住五郎や梅崎春生は、あの若者たちのおぞましい殺し合いを、これ、どんな目で見ただろう? なお、本作の冒頭注で紹介した、本作発表の六年後、四十四年も前の中学三年の私が見、最初の梅崎春生体験となった、TVドラマ化された「幻化」(NHK/昭和四六(一九七一)年八月七日/九十分ドラマ/脚本・早坂暁/演出・岡崎栄/撮影・野口篤太郎)の冒頭では(「NHKアーカイブス」公式サイトのここに三分半だけあるが、そこにそのシーンはある)、病院を脱走した直後の久住五郎(演/高橋幸治)を俯瞰ショットのスローモーションで撮っているが、画面上半分の歩道を左へと逃げ走る五郎とは反対に、画面下半分の車道レーンを、赤旗を先頭にしたデモ隊が右へ向かうさまが描かれている。ご覧あれ。因みに、翌一九七二年二月十九日から二月二十八日には、あの連合赤軍の「あさま山荘事件」が起きている。
「桜島」の最後の注の終りでも述べた通り、虚構としての糜爛した繁栄の文化の蔓延する戦後世界を、致命的な「死」のトラウマというスティグマを十字架として背負って「影」のように生きることを決意した孤独な魂は、当然、擦り切れざるを得ない(「虚構としての」「文化」というのは、どこぞの戦後の糞評論家の言葉を引いたのではない。梅崎春生の、昭和二〇(一九四五)年七月二十三日に桜島の海軍秘密基地で書いた日記に出てくる言葉である。詳しくは「桜島」の最後の私の注を参照のこと)。
――魂が擦り切れれば……自己同一性が失われる……
――致命的にアイデンティティを見失えば……今の社会では「精神疾患」のレッテルを貼られるしかない……
――それこそがこの「幻化」の主人公たる「久住五郎」に他ならぬ
のである。
――昭和二十年十二月に突如、小説中のキャラクターとして登場した小説「桜島」の「村上兵曹」
はそれより後、
――二十年の間、「〈戦後の文学〉」という〈小説〉の主要登場人物の一人である「〈小説家梅崎春生〉」となって示現し続けた
末、
――昭和四十年二月、小説「幻化」の、精神を病んだ主人公「久住五郎」という本地(ほんぢ)となって顕現した
のであった。
「幻化」とは、人間という惨めな生き物の「惨めな/しかし確かな生」を摑まんがために、梅崎春生が自身の総ての小説上のキャラクターをオール・スター・キャスティグして、過去の、作家「梅崎春生」を「死」滅させ、第二の「生」を探求すべく放った――第二の新生「梅崎春生」――まことの自分の霊肉の融合した肉感の実感を伴った「生」の再生のため――丹尾や五郎と同様――命を賭けて放った――新生の第一作であったのである。
「しっかり歩け。元気出して歩け!」
と、五郎が丹尾に叫ぶように――五郎が五郎に叫ぶように――春生自身が、春生自身に、叫んでいる…………
――昭和四〇(一九六五)年七月十九日――
――『……小説「桜島」や「日の果て」で知られる作家の梅崎春生さんが、肝硬変のため、本夕刻、亡くなられました。五十歳でした。……』…………]