梅崎春生「幻化」附やぶちゃん注 (16)
昨日五郎と少年は吹上浜をあとにして、伊作の町の方に歩いた。自動車一台が通れるほどのせまい路で、両側に畠がひろがっている。少年はしだいに彼に親近感を深めるらしく、自分から進んで、あちこちの風景を説明したりした。いっしょに食事したことが、そんな変化を少年にもたらしたのか。やがて彼は少年を、少年が彼に持つ関心を、うるさく感じ始めていた。
しばらく歩くと、家並が見えて来る。床屋があった。だんだら模様の標識柱はなく、赤い旗が軒に出ているだけである。彼は少年に言った。
「おれはここで髪を刈る。君はもう帰りなさい」
「もっと先い行けば、きれいな床屋があっとに。そん方がよかよ」
「小父さんはここでいいんだ」
彼は強引に床屋に入る。少年は頰をふくらまし、彼につづいて土間に足を踏み入れた。どこまでもついて来る気か、と彼は思う。少年は理髪師に声をかけた。
「こんちゃ。漫画本を読ませって下さい」
五郎は理髪台に乗った。髪を刈っている間、少年は背を曲げるようにして、漫画本に見入っている。時々声を立てて笑う。鏡の中のその様子を、彼は警戒の眼色で見ていた。
散髪が終って、台の背が倒され、髭剃りが始まる。彼はすすけた天井をにらみながら、じつと辛抱していた。彼は床屋がきらいだ。一定時間拘束されるのが、いやなのである。剃刀(かみそり)がじゃりじゃりと音を立てた。剃り終って、背が立てられた。彼はひりひりする顎(あご)を撫(な)でながら、鏡を見る。少年の姿は見えなかった。やっと帰ったのか、と彼は思い、代金を払って外に出た。外には自動車が停っていた。前の座席から少年が顔を出した。
「小父さん。お父さんの車を呼ん来たど」
車? 車だって? 五郎は軽いめまいを感じ、そばの電柱につかまった。おれはハイヤーを頼んだ覚えはない。自動車で行けば直ぐだと、少年の口から聞いただけだ。何をかん違いしたのだろう。
「さあ。どうぞ」
実直そうな角刈りの父親が、既定の事実のように後部のドアを中から押す。彼は吸い込まれるように、ふらふらと乗ってしまった。
「湯之浦温泉でっね」
返事も待たず車は動き出した。五郎はだんだん腹が立って来た。うかうかと乗り込んだ自分自身に対してだ。
「お客さあ」
運転手がハンドルを切りながら言った。
「湯之浦に泊っとですか?」
「まだはっきり決めてない」
「泊ってあんまを呼んなら、佐土原ちいう爺さんを呼んでやって下さい」
「なぜ?」
「あたしの縁者(ひっぱり)でしてね」
五郎は黙っていた。間もなく湯之浦に着く。黙ったまま、代金を支払った。貧寒な温泉宿の一軒をえらび、部屋に入る。着換えして温泉につかると、あとはもう何もすることがない。焼酎を注文して部屋に坐り、じっと飲んでいる。その彼の心を、遠くから脅して来るものがある。
〈なぜおれが佐土原というあんまを呼ばなくちゃいけないのか?〉
あの少年と浜で出会った時から、妙な段取りがつけられて、うまくそれに乗せられたような気がする。自分の意志と関係のない、何か陰謀めいたものが、煙のように彼を取巻いている。彼はしばらく食膳のものをつつきながら考えていた。考えるというより、ともすればこみ上げて来る不安感を、つぶそうつぶそうとしていた。彼は呟いた。
「状態がどうもよくないな」
彼は決然と床柱から背を剥がし、呼鈴(よびりん)を押した。女中がやって来た。
「佐土原というあんまさんがいるそうだね」
「はい。おいもす」
「呼んで呉れ」
「はい」
女中は手早に布団をしき、出て行った。あんまはすぐにやって来た。瘦せて背が高く、盲目のようである。かんはいいらしく、独りで手探りしながら、部屋に入って来た。五郎はあわてて膳を部屋の隅に押しやり、布団に寝そべりながら言った。
「ぼくはあんまをとるのは、初めてでね。あんまり無理な揉(も)み方をしないで呉れ」
「へ、へへえ」
あいまいな返事をして、老人の指は彼の頸(くび)筋にとりついた。背中を一応揉み終ると、あんまは彼の腕を揉み始めた。
「妙な(スダ)凝(こ)い方をしておいやる」
「どんな具合に?」
あまり人が凝らないところが凝っていて、緊張している筈のところがだらんとゆるんでいる。あんまはくぐもった声でそう説明した。
「何(ない)か病気でんしやしたか」
「うん。いや」
あんまというやつは、どうもくすぐつたい。くすぐったい反面に、いまいましい感じがある。向うが自由にこちらの体を動かす。こちらの自主的な姿勢は許されない。あんまに奉仕しているみたいだ。それが第一に癪(しゃく)にさわっていた。
「病院にしばらく入っていたんだ。ほとんど寝たっきりでね」
心は癪にさわっているけれども、肉体はくすぐったく、笑いたがっている。口も肉体の一部だから、ふつうの声を出すのに苦労をした。笑い声になりそうなのだ。
「はあ。ないほどね」
ずっと寝たきりで、運動といえば病院の廊下を歩く程度で、外出は許されてなかった。それを昨日脱出して、警戒したり力んだりして旅行した。その力んだ部分が妙な凝り方をしたのだろう。全身を揉み終ったあと、老人はまた彼にうつ伏せの姿勢を命じた。彼は枕に顔を当てて、素直にそれにしたがった。背中と腰の間のところが、急に圧迫された。拳や肱(ひじ)でない。もっと大きく、ずしんとした重量感がある。
〈何で押しているんだろう〉
彼はいぶかしく思い、顔を横にして、さらに横眼を遣って見上げた。するとあんまの顔が、おそろしく高いところに見えた。
「おい、おい。あんまさん」
五郎はつぶれた声で言った。
「お前さん、どこに立ってんだね?」
「お客さあの背中いですよ」
「冗、冗談じゃないよ」
とたんに腹が立って来た。
「おれの背中を踏台にするなら、ちゃんと断ってからにして呉れ。無断でひとの背中に乗るなんて、それがサツマ流か」
「踏台じゃなか。こいも治療の一方法ござす」
あんまはかるく足踏みをした。肋骨(ろっこつ)がぐりぐり動くのが、自分でも判った。
「よか気持でしょう」
そう言いながら、あんまはそろそろと降りた。五郎は憤然と起き上って、寝具の上にあぐらをかいた。あんまは今度は頭の皮膚のマッサージに取りかかった。頭の皮はきゅとしごかれ、その度に眼が吊り上る。怒るな、怒るなと、五郎は自分に言い聞かせながら、我慢をしている。やっと全部が済んだ。
「揺り返しが来もんでな、明晩もあんまか指圧師にかかりやった方がよろしゅござんそ」
「揺り返し?」
「揉んほぐした凝いが、また元い戻ろうとすっとござすな。そいをも一度散らしてしも。何(ない)ならわたっが――」
「いや。明晩はここにいない」
「あ。そうござしたな。では次の旅先で――」
そう言いながら、あんまは手をうろうろさせた。
「お客さあ。灰皿をひとつ、貸して下さいもせ」
彼は灰皿を取ってやり、じつと老あんまの動作を見守っていた。あんまは煙草を出し、器用にマッチをつけた。彼は言った。
「あんたは全くのめくらじゃないね」
「はい。右の眼が少しは見えもす。ぼやっとね」
五郎も煙草を出して、気分を落着かせるために火をつけた。
「今日吹上浜に行ったらね、林の中に大きな繩が置いてあった」
「ああ。十五夜綱引のことですな」
「綱引? やはり綱引をするのかい。誰が?」
「皆がです。町中総出で、夜中にエイヤエイヤと懸声をかけもしてな」
「どんな意味があるんだね?」
老若男女が綱をにぎって、エイヤエイヤと引っぱり合う。その夜の情景は髣髴(ほうふつ)と浮んで来たが、にぎやかな和気より、別のものがまず彼をおそって来た。あんまはしずかな口調で話題を変えた。
「お客さあは今日、浜で踊っておいやったそうでござすな」
「なに?」
同じ質問をあんまは繰り返した。
「誰にそんなことを聞いた?」
「運転の人いです。あや、わたっの知合いござしてな」
あんまは煙草をもみ消して、耳にはさんだ。
「踊いもやっとござす。町中総出で」
沈黙が来た。少年が彼の無意味な踊りを見る。髭剃りの途中に伊作まで走り、父親にそのことを報告する。父親があんまに告げ口をする。少年はどんな報告を父親にしたのだろう。父親を儲けさせるために、車ごと床屋につれて来たのか。
「もういい。いくらだね」
自然ととげの立った声になる。言われた通りの代金を支払う。あんまが出て行ったあと、彼は膳を引寄せ、布団に腹這いになった。
「お節介(せっかい)め!」
彼は呟(つぶや)いた。
「踊ろうと踊るまいと、おれの勝手だ。他人から四の五の言われる筋合はない!」
少年が彼に親しみを見せたのは、いっしょに食事をしたせいではない。秘密を共有したという気持から、彼につきまとったのだ。共有。いや、共有でない。
〈おれの秘密を見たことで、あの子供は妙な優越感を持ったのだろう。おれという大人(おとな)と対等以上の位置に立ったつもりなんだ〉
彼は眼を閉じて、少年の風貌を思い浮べた。肌は浅黒く、眼が大きく、頭の鉢は開いていた。あの大きな眼で、どんな風に彼を眺めていたのだろうか。酔っぱらいと思ったのか、気違いだと判断したのか。とにかくそのおかげで、ハイヤーに乗せられ、あんまに背中を踏んづけられる羽目におちいった。すべてが誤解の上に成立っている。彼がチンドン屋の真似(まね)をして踊ったのは、秘密でも何でもない。
「なあ。子供よ」
茶碗の焼酎をぐっとあおり、彼は少年の顔を思い浮べながら呼びかけた。
「おれたちはあの時、判り合っていたんじゃないのか。お前は独りでズクラを獲り、おれは独りで踊っていた。それだけの話じゃなかったのか」
不安は怒りに移りつつあった。温泉に入ったこと、あんまをされたことで、彼の体はぐにゃりとなり、虚脱し始めていた。しかし感情は虚脱していない。むしろとがっている。彼はのろのろと寝巻に着換えた。膳を廊下に出すと、布団の中にもぐり込む。もぐり込んでも、彼はまだ怒っていた。
「おれは憐れまれたくないんだ」
怒りのあまり、布団の襟にかみつきながら思った。
「憐れむだけでなく、かまってもらいたくないんだ!」
[やぶちゃん注:時間が前日に捲き戻され、伊作と湯之浦にロケーションが戻っているので注意されたい。
「だんだら模様の標識柱」「だんだら」は「段々(だんだん)」の音変化かと思われ、太い横縞状に幾つかの色が染め出されたり織り出されたりしていること。また、そのような模様を指す。ここは無論、お馴染みの理容店を示す細長い円柱形の看板で、赤・白・青の三色の縞模様がクルクルと回転するサインポール(signpole)を指す。ウィキの「サインポール」によれば、『理髪店であることを示すもので、三色のサインポールは世界共通のマークであるといわれ』、『日本のサインポールの模様は、右側に行くに従って上がる、いわゆる「Z巻き」が圧倒的に多い』。『ひねりを加えた形が、安土桃山時代にポルトガルから伝来した砂糖菓子有平糖とよく似ていたことから有平棒(あるへいぼう)(またはアルヘイ棒)ともいう。英語圏ではバーバーズポール(Barber's pole)と呼ばれる』。『サインポールの由来には諸説あり、かつ明文化された記録が存在しないため、由来の調査は困難である。よって内容が異なる説があったとしても一概に違うとは言いきれない場合も存在する』。十二世紀の『ヨーロッパで、当時の理容師が外科医を兼ねていた(「床屋外科」と称した)ため、赤は動脈、青は静脈、そして白は包帯を表しているという説』が良く知られ、定説の如く思われているが、血管に動脈と静脈の二種があることが発見されたのは十七世紀になってからのことで、十二世紀に『血管を赤と青で分けて表示したということは、歴史上考えられないという指摘がある』。別説としては『サインポールは元々中世のイギリスで、当時の理髪師が外科医も兼ねていたことから血液を表す赤と包帯を表す白の』二色で生まれたものの、『理髪師と外科医を別けるため理髪店は赤白に青を加える動きもあったが』、『定着せず』『その後アメリカで同国の国旗(星条旗)のカントン』(旗・紋章の向かって左上に配されることのある小区画を指す語。星条旗の青地に白星の部分である)『の色である青が加えられたものである』というものがあり、これを紹介したTV番組では『全国理容衛生同業組合連合会の意見を根拠に、「赤は動脈、青は静脈、そして白は包帯というのはガセ」と結論付け』ていたとある。他には瀉血(しゃけつ:血液を故意に外部に排出させることで諸病の症状の改善や予防が出来るとされた治療法。古くは中世ヨーロッパに始まり、近代ヨーロッパやアメリカの医師たちに熱心に信じられ、日本でも明治時代には盛んに行われたようだが、健常者が行うそれは医学的根拠は皆無と言ってよい)の『際に使用した棒(患者の手に握らせる杖)が原型とする説』、一八一五年の『ワーテルローの戦いで、フランス国旗を巻き付けた棒が野戦病院に立てられたのが起源とする説』もあるとある。
「縁者(ひっぱり)」鶴田功氏のサイト「天草方言集」の「ひ」に『ひっぱり ひっぱりこっぱり 親類縁者 縁続き』とある。天草諸島は熊本県と一部の鹿児島県に跨っており、全く意味を成さない引用とは私は思っていない。
「妙な(スダ)凝(こ)い方をしておいやる」「妙な(スダ)」は「妙な」二字に「スダ」のルビ。個人サイト「おんじょどいの小屋」の「鹿児島弁辞典」の「す」に『すだ:妙な・変な』とあり、引用例文も載る。
「揺り返し」按摩やマッサージ・整体などの施術を受けた後に、施術の反動で起こる症状のことを指す。「揺り戻し」「揉み返し」などとも言う。整体サイトなどを見ると、良いそれと悪いそれがあり、悪いものというのは、要するに、合っていない施術、筋肉や関節を痛めて炎症起こすほどの施術が行われた結果、体が「拒否反応」を起こして、具体的には、動けなくなるほどの痛み、或いは施術前には痛くなかった箇所までが痛くなるような症状を指すという。逆に良いそれは、体に良い反応が返ってくる状態で「好転反応」と呼ぶ。よく見られる症状様状態は、施術後に体が重くなる、起き上がることが嫌になるほどだるくなる様態だそうである。これは感覚的には、施術によって逆に体に大きな負担がかかってしまった、施術は失敗だったのではないかとしばしば心配されるような様態ではあるが、それは悪化でない。適切な施療を受けた場合には、緊張状態になっていた身体が急激にリラックスし、体力レベルが一時的に一気に低下し、それが、体のだるさや重さとして感じられるのだそうである。
「十五夜綱引」鹿児島など南九州で広く旧暦八月十五夜に行われる祭事。「慶友社」公式サイト内の小野重朗著「増補版 十五夜綱引の研究」の「内容紹介」に以下のようにある。『綱引きは稲作の吉凶を占う行事であるとされてきたが、九州中南部の地域ごとに綱引の事例を集めた著者は、旧暦五月に山へ竜神を迎え水神祭をし、旧暦八月に竜神を送って十五夜綱引をするのが古い竜神の祭り方であり十五夜綱引の始まりではあるまいかと考えた。近年、綱引を復活したところもあり、人々は、今も満月の夜に月に祈りをささげ、綱を引き、相撲に興じる』。『九州中南部の宮崎、熊本、鹿児島から南島にかけて』、旧暦八月十五日に『綱引を行う。もともと綱引きは日本、朝鮮、東南アジアの地域に多く見られ、主に稲作の吉凶を占う行事であるとされてきた。また旧暦五月に竜神を迎え水神祭をし、旧暦八月に竜神を送って十五夜綱引をするのが古い竜神の祭り方であり』、『十五夜綱引の始まりではあるまいか』。即ち、この「綱引」祭事は「竜神送り」の祭りであり、『今も満月の夜に月に祈りをささげ、綱を引き、相撲に興じる人々に日本の文化と精神の神髄を見る』とある。また、「鹿児島県薩摩半島民俗文化博物館」公式サイト「南さつま半島文化」の「薩摩半島における十五夜行事の構造」には非常に詳しい記載がある。必見! 特に、 「4 十五夜ソラヨイとカヤ下ろし」の指宿地方の例として出る『十五夜の夜、ワラで作ったカサ・ミノ・ハカマを付けた子供たちが、「ソラヨイ、ソラヨイ」と唄いながら、地面を踏みしめ、月と大地に感謝する行事』というのは、祭りの苦手な私(私は祭りに行くと対位法的に気分が沈んでくる人間で、ディズニー・ランドなども鬼門中の鬼門なのである)でもちょっと見てみたくなった! さらにサイト「鹿児島祭りの森」の「十五夜綱引き・綱練り」では祭りの動画も見られる。そこでは『十五夜の綱は、竜や蛇を表現しているとも考えられる。蛇は脱皮して生まれ』変われる。『また月も、満月と新月を繰り返す。つまり、蛇も月も、いわゆる「死と再生」を繰り返していると言える。そのことが、不老不死、ひいては健康祈願の願いにつながっている。川に綱を投げ入れるのも、「竜蛇に悪いモノを憑かせて、集落を清め、再生させる」と意味が込められている』。『また、月が出ると、夜露が降りる。露は、水をイメージさせ、水は農作物にとって大切なもの。このことから、豊作祈願の願いにつながっている』。『したがって、「健康祈願」と「豊作祈願」を祈るために、十五夜で、綱引きが行われる』と祭祀解釈が示されてある。
「〈おれの秘密を見たことで、あの子供は妙な優越感を持ったのだろう。おれという大人(おとな)と対等以上の位置に立ったつもりなんだ〉」「おれたちはあの時、判り合っていたんじゃないのか。お前は独りでズクラを獲り、おれは独りで踊っていた。それだけの話じゃなかったのか」「おれは憐れまれたくないんだ」「憐れむだけでなく、かまってもらいたくないんだ!」このシークエンスを笑って読む読者も多いだろうが、私は笑っていられない。私にはこの五郎の心情と怒りが身に染みて解かるからである。それが分からない人物には――恐らく――「幻化」は――永遠に解からない――と断言出来るほどに、である。]