梅崎春生「幻化」附やぶちゃん注 (22)/「町」~了
宿に戻った。番頭らしい男はさっきと同じ表情で、五郎を出迎えた。女中が案内した部屋は、貧しくよごれている。ふだんは布団部屋に使っているのではないか。埃(ほこり)のにおいから、彼はそう推定した。しかし彼は反対のことを、女中に言った。
「いい部屋だね」
彼は皮肉を言ったつもりではない。穴倉のようで自分にはかっこうの部屋に見えたのだ。女中は困った顔になり、返事をしなかった。
「あんまか指圧師を呼んで呉れないか」
「御食事前にですと?」
「そうだ」
「聞いち来ますけん」
女中が去ったあと、五郎は壁に背をもたせ、足を投げ出す。筋肉はまた痛みを取戻していた。それはもう怒りとはつながらない。ただの痛みとして、彼の背や肩にかぶさっている。
〈昨日今日とよく歩き廻ったからな。野良犬みたいに!〉
五郎はくたびれていた。昨日のことを考えていた。昨夜のあんまのことから運転手、そして少年のことを考えた。それからズクラのことなども。――少年は悪意をもって彼を遇したのではない。もてなしたのだ。もてなしたついでに、ちょっぴり親孝行をしただけのことだ。疲労の底で、五郎はそう思おうとしている。氷水を食べたあたりから、彼の気分は下降し始めていた。怒りによる上昇は、束の間に過ぎなかった。
〈真底くたびれたな〉
障子をあけて、女中が入って来た。手に宿帳を持っている。
「どうぞ、ここに――」
女中は言った。
「指圧はすぐ来ますばい」
偽名を書こうかと迷う。次の瞬間、彼は三田村のことを思い出した。本名でないと、返事が届かない。彼は本名を記入した。元の姿勢に戻る。
「ズクラ」
と発音してみた。あれはへんな魚だ。よその海で泳いでいると、ボラなのだが、吹上浜に来ると、ズクラになる。実に平気でズクラになる。
戻り道に買った洋酒のポケット瓶の栓をあけた。いきなり口に含む。ポケット瓶を持ち歩くのは、あの映画セールスマンの真似(まね)だ。真似だと気付いたのは、買ってからしばらく後である。彼はすこしいやな気がした。病院にそんな患者が一人いた。相手の動作や言葉を、すぐに真似するのだ。たしかあれはエコーラリイ(反射症状)だと看護婦が教えて呉れた。
〈しかしおれは、反射的に真似するんじゃなく、時間を隔てているからな〉
そう思っても、真似をしたことは、事実であった。五郎は落着かない表情で、もう一口あおった。栓をして残りは床の間に立てかける。胃がじんと熱くなる。
やがて指圧師がやって来た。若くて体格のいい女だ。彼はほっとした。昨夜のように陰々滅々なあんまでは、かなわない。女指圧師は入って来るなり言った。
「ひどか部屋ね。物置のごたる。お客さん。よう辛抱出来なさるね」
「仕方がないんだ」
五郎は答えた。
「おれはそんなことに、もう怒らないことにしている」
上衣を床の間に放り投げる。とたんにポケットから白い貝殻が二、三個、畳にころがり出た。彼はそれを横眼で見ながら、毛布の上に横になった。
妙なこり方をしている。そのことから、湯之浦温泉の話になった。女は話好きらしく、いろんなことを問いかけて来る。背中が揉(も)みほぐされると同時に、酔いが背に廻って来る。やはりくすぐったい。が、昨夜ほどではない。圧(お)し方が素直なのだろう。
「うん。飛行機や汽車に乗ったり、足でてくてく歩いたり――」
彼は身元調べをされるのが、いやであった。いい加減にあしらう口調になる。
「ここに来て、ズクラになった」
「ズクラ?」
「いや。何でもないんだ。おれの故郷の方言だよ」
「熊本は初めて?」
「うん。いや。昔いたことがある」
「いつ頃?」
「君がまだ生れる前さ」
「ああ。判った。あんたはそん時、兵隊だったとでしょう」
「うん。よく判るね」
彼はうそをついた。
「今日一日、市内のあちこちを歩き廻ったよ。町も変ったね」
「どぎゃん風(ふう)に?」
「何だか歯切れの悪いお菓子を食べているような気分だったな。ちょっと――」
彼は半身をひねりながら言った。
「言って置くけれど、無断でおれに乗らないで呉れよな」
「乗るもんですか。いやらしか」
女は邪慳(じゃけん)に彼の体を元に戻した。冗談を言ったと思ったらしい。
「乗せたかとなら、他んひとば捜しなっせ」
「そ、それはかん違いだよ」
五郎は弁明した。指圧されながらそう言われると、乗せたい気持がないでもなかった。
「乗るというのは、またがるという意味じゃない。上に立つということだ。湯之浦で、それをやられたんだ。ふと見ると、あんまの顔が天井に貼りついていた」
その時障子がたたかれて、別の女中が入って来た。盆の上に電報と電信為替が乗っている。五郎は起きて、電報を開いた。
『明日そちらに行くから、宿屋で待機せよ。外出するな』
そんな意味の電文があった。差出人は三田村である。為替の金額は、二万円だ。五郎は二度三度、電文を読み返して思った。
〈はれものにさわるような文章だな〉
「よか部屋があきましたばい――」
老女中は言った。
「お移りになりますか?」
五郎はその問いを黙殺した。電文の意味を考えていた。二万円あれば、もちろん東京に戻れる。それなのに何故三田村は、ここに来ようとするのか。しかも外出しないで、宿で待てという。医者に相談したのか、それとも三田村の意志なのか。
〈御用だ。動くな。神妙にせよ〉
捕吏にすっかり周囲をかこまれたような気もする。眼を上げると、女中の姿は見えなかった。
「今日、子飼橋を見て来た」
彼はかすれた声で言った。
「ずいぶん変ったね。あの橋も」
「洪水のためですげな」
「そう。昔はもっと小さく、幅も狭かった。あちこちに馬糞(ばふん)が落ちているような橋だったよ」
「兵隊の頃?」
「兵隊服を着たおれの姿が、想像出来るかい。橋の上の――」
女の指の動きがとまった。
「出来っですたい。お客さんは将校じゃなかね。兵隊ばい」
にがい笑いがこみ上げて来た。女の指が脛(すね)の裏側を圧し始めた。
「どうしてお客さんの足や、びくびくふるえっとですか?」
「くすぐったいんだ。指圧慣れがしてないからね」
子飼橋のたもとに、中華ソバ屋があった。その主人は、足がびっこであった。ソバはうまかった。
〈あれは何が悲しかったんだろう?〉
学生の彼に悲しいことがあり、彼は悲しみのかたまりになって、熱いソバを食べていた。夜が更け、客は彼一人である。主人が店仕舞をしたがっているのは、その動作や表情で判った。だから彼も急いで食べ終ろうとするのだが、食べても食べてもソバは減らない。かえって殖えて来る傾きがあった。彼はついにあきらめて、店を出た。寒い夜だ。子飼橋にさしかかった時、左手の方遠くに、赤い火が見えた。阿蘇が爆発していることを、彼は新聞で知っていた。彼は立ちどまる。闇の彼方の彼方に、二分間置きに、パッと火花が上る。小さな火柱と、落下する火の点々が見える。そして闇が戻って来る。また二分経つと、音もなく火柱が立ち、点になって散る。彼は三十分ほど、爆発の繰り返しを眺めていた。悲しみはそれでも去らなかった。その気分は覚えているが、今五郎はその根源を忘れている。
「今日、子飼橋から、阿蘇が見えたよ」
五郎は低い声で言った。
「空気は澄んでいたし、雲もなかった。山の形も白い煙もはっきり見えた」
「よか天気でしたなあ。今日は」
女は五郎の体を表にした。腹這(ば)いからあおむけになったので、彼は女の顔や手の動きが見える。鼻の孔の形や色が、妙になまなましく感じられた。こんな角度から女の鼻孔を見るのは、初めてだったので、彼は眼をそらした。
「明日、阿蘇に登ってみようかな」
思わずそんな言葉が口に出た。すると急にそれは彼の中で現実感を帯びた。さっき橋の上から眺めた時、眺めるだけの眼で、彼は山を眺めていたのだが。――
〈よし。登ってやる!〉
三田村の電報が、底にわだかまっている。気合としては昨夜の温泉で、あんまを呼ぶために、呼鈴を押した感じに似ていた。しかし呼鈴を押したばかりに、妙な段取りが完成した。
「そぎゃんですか。そぎゃんしまっせ。明日もよか天気ですけん」
「保証するのかい」
「保証しますたい」
女は笑いながら、彼の肋骨を一本一本押えた。スラックスに包まれた厚ぼったい膝が、彼の脇腹を自然と押す形になる。その感覚に自分をゆだねながら、彼は三田村のことを考えていた。
〈あいつは明日来るというが、何で来るのだろう。飛行機か、それとも汽車か〉
背中より肋(あばら)の方がくすぐったかった。
「ここの空港は、どこにあるんだね?」
「水前寺の先、健軍ちいうところですたい」
「健軍? 昔は陸軍の飛行場じゃなかったかな」
名前に覚えがある。彼は海軍暗号なので、健軍からの直接の通信はなかったが、電文に時にその名が出て来たような気がする。陸軍の特攻隊はここらを中継地にして、知覧に飛んだのだろう。今はそれが民間航空の空港になっている。
「朝八時半か九時に羽田を発つと、午前中に着くね」
「はい。熊本駅まで三十分ぐらいの距離ですけん」
三田村はああいう性格だから、やはり飛行機でやって来るだろう。
「友達が迎えに来るんだ。おそらく午前中にね。その前に登らなきゃ――」
「友達?」
女は立って足の方に廻り、彼の膝を曲げ、胸に押しつけたり伸ばしたりする作業を始めた。それはかなり刺戟的な運動であった。
「そんなら友達といっしょに登ればよかじゃないですか」
「そうは行かないんだ。あいつはすぐおれを、東京に持って行く」
「持っち行く?」
女は妙な顔をした。
「まっで荷物んごだんね」
「荷物だよ。おれは」
饒舌(じょうぜつ)になっている、と自分でも思う。女は彼の体をまた裏返しにした。
「足ん裏ば踏んじゃろか。サービスですたい」
五郎の足裏に、しめった女の足が乗った。初めはやわらかく控え目に、つづいて全体量をこめて、交互に動いた。女の厚ぼったい足に接して、彼は自分の蹠(あしうら)がスルメみたいに薄く、平たいことを感じる。それ故にこそ、なまなましい肉感が彼に迫って来た。
〈こんなものだ〉
彼は声にならないうめきを洩らしながら思う。渇仰(かつごう)に似た欲望が、しずかに彼の体を充たして来た。
〈こんなに厚みがあって、ゆるぎなく、したたかなもの――〉
「お客さん。足がえれえ弱っちょるね。もうすこし足ばきたえなっせ」
「だから明日は山に登るんだ」
「ちゅうばってん、阿蘇は頂上まで、バスが行くとですよ」
女は足から降りた。
「そんなにかんたんに行けるのか。では、火口を一廻りする」
五郎は正座に戻り、女の顔を見た。
「君もいっしょに行かないか。どうせ昼は暇なんだろう」
「暇は暇ですばってん――」
女は彼の背後に廻った。頭の皮膚を押し始めた。佐土原あんまと同じやり口である。頭の皮は動いても、頭蓋骨は動かない。皮と骨の間に漿液(しょうえき)か何かが、いっぱいつまっているらしい。それが皮をぶりぶり動かせるのだ。
「汽車の切符も弁当も、用意しておくよ」
女はしばらく黙っていた。すこし経って、
「悪かことば聞いてんよかね?」
「いいさ」
「お客さんはお金ば持ち逃げしたとでしょう」
五郎の眼はつり上った。自分でつり上げたのではなく、女の指の動きで、自然にそうなったのだ。
「よく判るね」
皮膚の動きが収まって、彼はやっと口をきいた。今度は女の指先があられのように、頭皮に当った。
「どうして判る?」
「かんですたい。月ん一度くらい、そぎゃん人にぶつかりますばい。特徴はみんな齢のわりに、足の甲が薄かですもん」
「そうか。拐帯者(かいたいしゃ)の足は薄いか。いい勉強になったな」
「そいで明日、同僚か上役の人が迎えに来っとでしょう。まっすぐ帰った方がよかね。阿蘇にゃ登らんで」
得意そうな、言いさとすような声を出した。彼はその声に、ふと憎しみを覚えた。
「だから登るんだよ」
「なして?」
「最後の見収めに。いや、最後はまずいね。他に何か言葉が――」
「しばし別れの――」
「うん。そうだ」
女の笑いに和そうと思ったが、声には出なかった。指のあられはやんだ。指圧はこれで終ったのだ。
五郎は上衣を引寄せ、紙幣とともに、鹿児島で買った時間表を取出した。
「九時半の準急があるな。これにしよう。切符売場で待っている」
[やぶちゃん注:「エコーラリイ(反射症状)」他の人の言葉・動作・表情を不随意に真似る病的な状態を指すエコプラクシア(Echopraxia)があり、病態としては、統合失調症や老人性認知症などにしばしば見られる。そのエコプラクシア一種で、他者が話した言語を繰り返して発声する言葉の反復行動や病的様態をエコラリア(Echolalia)、「反響言語」と称するものがあり、ここはそれを指している。以下、ウィキの「反響言語」から引くと、これは健常児や成人でも普通に見られるが、自閉症や発達障害初期、統合失調症・アスペルガー症候群・アルツハイマー病、脳卒中の予後などの症状として見られる(但し、多くの場合はこの現象は収まっていく)。『例えば、母親から「晩御飯に何を食べたい?」と訊かれた子が「晩御飯に何を食べたい?」と鸚鵡返しに答えることを即時性反響言語(即時エコラリア)という』。『これに対し、自閉症の児童がテレビCMの気に入ったフレーズや親からの叱責の言葉などを、時間が経ってからも状況に関わらず繰り返し話すことを遅延性反響言語(遅延エコラリア)という。後者には、肯定的な気持ちを表したり、自らの行動を制御するなど』七種類の類型があるとする。『D.M.Ricksの研究によれば』、三~五歳の『自閉症児は録音された自らの発声のみを模倣し、大人や他の自閉症児の発声は無視する傾向がある』。『精神科医レオ・カナーは、「周囲からは意味不明に思える言語仕様であっても、本人にとってはその言葉を覚えたときの特定の事物や場面と結びついており、聴き手がその個人的な体験にたどりつければ、なぜその言葉を選ぶのか理解することができる」と述べている』。何故、このエコラリア「反響言語」を引いたかというと、以前にも述べたが、私はこのシーンの直前の「ズクラ」のように、梅崎春生の作品に登場する人物(殆んどが春生自身がモデルと見られるキャラクター)には特定の単語(外来語やカタカナ表記のそれが多い)に対する、奇妙な拘りやそれを繰り返し口に出す、まさに反響言語行動、エコラリア的反応が有意に多いからである。私は健常者でもしばしば生ずる一種のゲシュタルト崩壊(特定の漢字や文字列を見たり、聴いたりしているうちに、それらの部分がバラバラに認知され、その集合体である当該漢字や文章が、何故、そう読み、何故、そういう意味になるのか、という疑義が湧いてきて強い違和感を抱く例がそれ。因みに最近の私の語注の傾向にはこのゲシュタルト崩壊的焦燥に駆られたものがあるように自身で感じていることを告白しておく)を想起していたが、もしかすると、このエコラリアの観点からそれらを解明出来るかも知れないと強く感じたからである。
「陰々滅々」薄暗く陰気で、気が滅入るようなさま。
「邪慳(じゃけん)」「邪険」とも書く。もとは、仏教で因果の理法を否定する誤った邪(よこしま)な考え或は正しくない見解の意の「邪見」で、「意地が悪く、人に対して思いやりのないさま」「薄情」の意である。現行では動詞化して「邪慳にする」で「退け者にする」「意地悪する」を「邪慳する」、或いは受身形「邪慳にされる」で用いることが殆んどである。文字通り「邪」は「よこしま」、「慳」は心が誤った方向に向かって堅くなって凝り固まってしまい、善悪の区別が出来なくなった状態を指す。
「子飼橋のたもとに、中華ソバ屋があった」これもモデルがありそうである。哀しいかな、私は修学旅行の引率でただ一度しか熊本には足を下ろしたことがない。もし、御存じの方がおられれば、御教授下さるとありがたい。
「〈あれは何が悲しかったんだろう?〉」「学生の彼に悲しいことがあり、彼は悲しみのかたまりになって、熱いソバを食べていた」「彼も急いで食べ終ろうとするのだが、食べても食べてもソバは減らない。かえって殖えて来る傾きがあった。彼はついにあきらめて、店を出た。寒い夜だ。子飼橋にさしかかった時、左手の方遠くに、赤い火が見えた。阿蘇が爆発している」「彼は立ちどまる。闇の彼方の彼方に、二分間置きに、バッと火花が上る。小さな火柱と、落下する火の点々が見える。そして闇が戻って来る。また二分経つと、音もなく火柱が立ち、点になって散る。彼は三十分ほど、爆発の繰り返しを眺めていた。悲しみはそれでも去らなかった。その気分は覚えているが、今五郎はその根源を忘れている」最早、五郎も思い出せない、例の「翳を引いている」「過去」の一つである。それだけにやけに気になる。
「阿蘇が爆発していることを、彼は新聞で知っていた」梅崎春生の事蹟に合わせて調べると(久住五郎は春生より五歳若く設定しており、その年齢で検証する意味はないと私は判断した)、春生が熊本五高に入学した昭和五(一九三二)年に『空振のため阿蘇山測候所窓ガラス破損』、十二月十八日、火口付近で負傷者十三名とあり、翌昭和八年には『第二、第一火口の活動活発化。直径』一メートル『近い赤熱噴石が高さ、水平距離とも数百』メートルも飛散したとある。作品内の季節からは前者がしっくりし、激しい火炎の立ち上るところからは後者で、春生の両方の記憶が原景なのかも知れない。
「しかし呼鈴を押したばかりに、妙な段取りが完成した」春生の時系列のパッチ・ワークでやや見えにくくなっているが、かの湯之浦の爺さんの按摩に憤激して、その怒りの勢いのままに、五郎はこの日、一気に熊本まで来てしまったのである。
『「水前寺の先、健軍ちいうところですたい」/「健軍? 昔は陸軍の飛行場じゃなかったかな」/名前に覚えがある。彼は海軍暗号なので、健軍からの直接の通信はなかったが、電文に時にその名が出て来たような気がする。陸軍の特攻隊はここらを中継地にして、知覧に飛んだのだろう。今はそれが民間航空の空港になっている』「水前寺」は水前寺公園(JR熊本駅から真西に六キロメートル強)で知られる熊本県熊本市中央区の町名で、「健軍」は「けんぐん」と読み、熊本市東部の旧町名で、現在は熊本市東区内。水前寺町の東に接する。現行でも汎用地名として概ね、健軍商店街周辺の東区若葉一丁目・新生二丁目・健軍三丁目と東本町の一部を指し、健軍本町という町名も現存する。戦中まではここに陸軍の健軍飛行場(太平洋戦争が始まった昭和一六(一九三一)年に三菱重工業熊本航空機製作所が建設された際に作られたもので旧陸軍によって軍用飛行場としても利用されていた)があり、戦後は、熊本空港として昭和三五(一九六〇)年の四月に跡地に千二百メートル滑走路で開港した。この後の昭和四六(一九七一)年四月の現熊本空港の開港に伴い、廃港となった(現在の熊本空港からは西南西約八キロ附近)。この健軍飛行場部分は主に佐伯邦昭氏のサイト「インターネット航空雑誌ヒコーキ」の「航空歴史館」のこちらの記載や、「とりさん」氏のブログ「空港探索・2」の「旧熊本空港(旧陸軍健軍飛行場)跡地」を参照させて頂いた)。
「渇仰(かつごう)」もとは仏教用語で、喉の渇(かわ)いた者が水を切望する如く、仏を仰ぎ慕うの意で、深く仏を信ずることを指し、そこから広く、対象を心から憧れて慕うことを指すようになった。
「漿液(しょうえき)」医学で言った場合は体液や体内外への分泌液の性質を表わす語で、粘性の低いさらさらした液体を指す。主に消化・排泄・呼吸に関与するところの唾液・胃液などの消化液から、漿膜(腹膜・胸膜・心膜などの身体内面や内臓器官の表面を蔽っている薄い半透明の膜で、表面は滑らかで漿液を分泌する細胞から構成されている)からの分泌液など全般を指す。但し、頭皮の下はと頭蓋骨であって、ここで五郎が言うような漿膜のような部分は存在しない。これは所謂、脳漿(のうしょう)、頭蓋骨内部で脳を満たしているところの脳脊髄液と勘違いした表現のように思われる。
「拐帯者(かいたいしゃ)」人から預かった金品を持ち逃げした者。もしかすると、この指圧師の女性は五郎を横領した中年サラリーマンが横領したはいいが、結局、罪の意識に苛まれて、阿蘇に飛び込んで自殺でもしようと思っている、と考えているのではあるまいか、と私は思ったりする。拐帯――横領――様子のおかしい中年男――阿蘇――これだけの揃い踏みなら、私でもそう考えるのである。読者の意識の中にも、そうした噴火口への飛び込み自殺のイメージが潜在的に浮かぶように仕組まれているように私には思われる。それが本作の最後のクライマックスの伏線となるかのように――である。]