生物學講話 丘淺次郎 第十七章 親子(8) 五 親を食ふ子 / 第十七章 親子~了
五 親を食ふ子
前に幼時生殖のことを述べるに當つて、植物に五倍子を造る一種の微細な蠅のことを例に擧げたが、この蠅の幼蟲が卵を産むときには、卵は親なる幼蟲の体内で發育し、親と同じ形の幼蟲となり、初は子宮の内に居るが、少しく大きくなると皆子宮を食ひ破つて、母の身體の組織を片つ端から食ひ盛に生長する。それ母の體は遂にはたゞ表面を包む薄皮が一重殘るだけで、恰も氷囊の如きものとなつてしまふ。人間は母親のことをときどきお袋と呼ぶが、この蟲では母親は眞に囊だけとなり、肉は悉く胎兒に食はれてその肉に化するのである。胎兒は生長が進むと、終に母の遺骸なる薄皮の囊を破つて出るが、かやうな場合にこれを「生れ出る」と名づくべきか否か、頗る曖昧で、實は何と名づけて宜しいかわからぬ。「生まれる」といふ文字は元來母の體はそのまゝに存して、子の體が母の體から出で離れる普通の場合に當つて造られもの故、普通と異なつた場會によく當て嵌らぬのは當然である。この蟲などでは、子が生まれるときは既に母親は居ないが、居ない親から子が生まれるといふのは如何にも理窟に合はぬ。またそれならば、母に親は死んだかといふと、後に死骸が殘らぬから、普通の意味の死んだともいひ難い。即ち生きて居る親の身體組織が、生きたまゝで子に食はれるから、これが親の死骸であるというて指し示すことの出來るものは全く生ぜぬ。前に薄皮の囊を母の遺骸というたが、これは單に便宜上いうたことで、體の表面を包む薄皮の如きは、人體に譬へていへば毛か爪か、厚皮の表面の如き神經もなく、切つても痛くない部分故、これのみでは無論眞の遺骸とは名づけられぬ。死骸の發見せられぬ人の葬式に、頭髮を以てこれに代用するのと同じ意味で、遺骸というたに過ぎぬ。
[やぶちゃん注:「前に幼時生殖のことを述べるに當つて、植物に五倍子を造る一種の微細な蠅のことを例に擧げた」「長幼の別(5) 四 幼時生殖(2) タマバエの例」の箇所。
「この蠅」前記箇所の「蟲癭」に附した注で、私は有翅昆虫亜綱新翅下綱内翅上目ハエ目長角亜目ケバエ下目キノコバエ上科タマバエ科 Cecidomyiinae 亜科 Mycodiplosini 族Mycophila 属に属するタマバエと取り敢えず比定した。]
[蛙の寄生蟲
右の二疋は泥中に自由に生活するもの(長さ約一・五粍)
左の一疋は蛙の肺の内に寄生するもの(長さ約一・五粍)]
[やぶちゃん注:以上の図は底本の国立国会図書館国立国会図書館デジタルコレクションの画像からトリミングし、補正を加えたものである。]
これと同樣の例をなほ一つ擧げて見るに、蛙類の肺臟の内に往々一種の小さな絲の如き寄生蟲が居る。蛔蟲・十二指腸蟲などと同じ仲間に屬するものであるが他のものが皆雌雄異體であるに反し、これは一疋毎に雌雄を兼ね、その産んだ卵は蛙の肺から食道・胃腸に移り、蛙の糞と共に體外に出で、水の中で發育する。かくして生じた子は親とは形が違ひ同じく絲狀ではあるが、親に比べると稍太くて短く、且つ雌雄の別があつて形も互に違ふ。泥の中で自由に生活し、成熟すると交尾して、雌の體内に少數の子が出來る。これらの子供は始は親の子宮の内で發生し、少しく生長すると子宮を食ひ破つてその外に出で、母親の肉を順々に食ひ進み、遂には表面の薄皮のみを殘して、内部を全く空虛にしてしまふ。この點は、前の例に於けると少しも違はぬ。次に薄皮をも破つて裸で泥の中に生活し、蛙に食はれてその體内に入ると、直に肺臟内に匍ひ移り、少時で雌雄同體の生殖器官が成熟して卵を産むやうになる。前の蠅は幼蟲が子を産むから、幼時生殖の例であつたが、この寄生蟲はかくの如く雌雄同體で卵生する代と、雌雄異體で胎生する代とが交る交る現れるから、世代交番の例ともなる。
[やぶちゃん注:「蛙類の肺臟の内に往々一種の小さな絲の如き寄生蟲が居る」寄生部位の特異性から、浅川満彦氏の論文「日本産カエル類に寄生する線虫類の保全医学的なコメント」(PDF)にある、
線形動物門双腺綱桿線虫亜綱桿線虫目桿線虫亜目桿線虫(カンセンチュウ)科
Rhabdias 属
かと思われる。更に限定させてもらうなら、
ガマセンチュウ(蟇線虫)Rhabdias bufonis
ではないか私は考える。何故ならこの丘先生の図と殆ど相同の同種の図(恐らく原画は同一物である)を前段と同じロシア語サイト「Рис. 197
(zu) Rhabdias bufonis: гермафродитное и свободноживущее поколения」に見出せるからである。因みに、浅川氏によれば、本種や、腸に寄生する桿線虫目糞線虫上科糞線虫(フンセンチュウ)科 Strongyloides 属及び桿線虫亜綱円虫目モリネウス科の Batrachonema 属と Oswaldocruzia属、及びCosmocercidae科の各属、双腺綱旋尾線虫亜綱カイチュウ(回虫)目 Meteterakis 属らは、『まったく健康に見える野生カエル類から発見される。おそらく,これら宿主体内で線虫単独による重篤な疾病発生原因とはなり難いであろう。しかし,たとえば,飼育環境下におかれ,ほかの病原体の感染やストレスにより,症状をより悪化させる因子になることが考えられる』と喚起を促しておられる。
「蛔蟲・十二指腸蟲などと同じ仲間に屬する」「蛔蟲」は前注にも示した通り、
線形動物門双腺綱旋尾線虫亜綱(但し、桿線虫亜綱とする記載もある)回虫(カイチュウ)目 Ascaridida
に属し、本文の本種を、
双腺綱桿線虫亜綱桿線虫目桿線虫亜目桿線虫(カンセンチュウ)科 Rhabdias 属
と仮定するならば、同じ「線虫」であり、しかも綱(或いは亜綱)のタクサで同類と言え、「十二指腸蟲」の方も、
桿線虫亜綱円虫目鉤虫上科鉤虫科 Ancylostomatidae
で亜綱のタクサで同類である。因みに、「十二指腸虫」という呼称は、本来、本種は小腸上部に寄生するにも拘わらず、たまたま最初に十二指腸で発見されたために、この名が与えられたに過ぎないため、現行では鉤虫と呼ぶ方がよい。]
動物界に於ける親と子の關係を見渡すと、本章に掲げた例だけによつても知れる通り、全く無關係なものから、親が子を保護するもの、親が子を養育するもの、子が親の身體を食うて生長するものまで、實にさまざまの階段がある。しかもよく調べて見ると、決して偶然に不規則にさまざまのものが竝び存するのではなく、一々かくあるべき理由が存し、如何なる場合にも種族の維持繼續を目的として、そのため各々異なつた手段を採つて居るに過ぎぬことが明に知れる。例へば最後に擧げた例の如きも、種族繼續の目的からいふと、母親の身體が生きながら子の餌食となることが最も有利であらう。最後の子を産み終つた後の母の身體は、種族の標準としていふと、最早廢物であるが、これが自然に死んで腐つてしまふか、または敵に食はれ敵の肉となつて敵の勢を增すことに比べれば、我が子の身體を造るために利用せられ、直接に自分の種族の繁榮に力を添へ得る方が、全體として遙に得の勘定となる。しからば何故すべての動物で子が母親を食うて生長せぬかといふに、これは各種類の生活狀態が皆相異なつて、甲に對して有利なことも、乙に對しては必ずしも有利と限らぬからである。何事にも一得あれば一失あるを免れぬもので、子が母親の體の内部から食うて生長するとすれば、母は忽ち運動の力を失ひ、子は一塊に集まりて動かずに居ることになるから、敵に攻められた場合には全部食ひつくされて種が殘らぬの虞がある。假に魚類が胎生して胎兒が腹の内から母の肉を食うて生長すると想像するに、さめにでも食はれてしまへば子孫全滅を免れぬから種族保存の上からいへば極めて不利益であつて、これに比べれば無數の小さな卵を撒き散らし、殘つた母の體を廢物として捨て去つた方が如何程有效であるかわからぬ。かやうな次第で、各種動物の習性に應じて、それぞれ最も有效な種族保存の方法が自然に講ぜられて居るから、親子の間にさまざまな關係の違うたものが生ずるのである。
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