「笈の小文」の旅シンクロニティ―― 枯芝ややや陽炎の一二寸 芭蕉
本日 2016年 2月16日
貞享5年 1月15日
はグレゴリオ暦で
1688年 2月16日
枯芝ややや陽炎の一二寸
「笈の小文」に先に出した、前書「初春」の「春たちてまだ九日の野山哉」と並置する。「曠野」には、
かれ芝やまだかげろふの一二寸
とするが、孰れが初案かは不明。山本健吉氏は『「まだ」ではあまりにあらわに言い過ぎていて、「やゝ」の方が心もちの繊細さを示している。だが「や」音の重複が少しわずらわしい。土芳の『蕉翁句集』や『全伝』には、「まだかげろふの」の形で録している』とある。また、外のものでは、
かれ芝やまだかげろふも一二寸
という句形が複数出る。私は圧倒的に「枯芝ややゝ陽炎の一二寸」の句形と思う。重複などというのはただ字面上の問題であって、山本氏の指摘する如く意味は勿論、「かれしばや//やや/かげろふの//いち/にすん」の響きこそが早春の自然の微妙な気配を詠みとっていて素晴らしいの一言に尽きる。「まだ」も「も」も全くの問題の外と私は思う。
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