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2016/02/29

生物學講話 丘淺次郎 第二十章  種族の死(1) (序)

    第二十章  種族の死

 

 生物の各個體にはそれぞれ一定の壽命があつて、非業の死は免れ得ても壽命の盡きた死は決して免れることが出來ず、早いか晩いか一度は必ず死なねばならぬ運命を持つて居るが、さて種族として論ずるときはどうであらうか。同樣の個體の集まりである種族にも、やはり個體と同じやうに生死があり壽命があつて、一定の期限の後には絶滅すべきものであらうか。これらのことを論ずるには、まづ生物の各種族が如何にして生じ、如何なる歷史を經て今日の姿までに達したものかを承知して置かねばならぬ。

 

 動植物の種族の數は今日學者が名を附けたものだけでも百萬以上もあつて、その中には極めて相似たものやまるで相異なつたものがあるが、これらは初め如何にして生じたものであるかとの疑問は、苟しくも物の理窟を考へ得る程度までに腦髓の發達した人間には是非とも起るべきもので、哲學を以て名高い昔のギリシヤ人の間にもこれに關しては已に種々の議論が鬪はされた。しかし近代に至つて實證的にこれを解決しようと試みたのは、誰も知る通りダーウィンで、「種の起原」と題する著書の中に次の二箇條を明にした。即ち第一には生物の各種は長い間には少しづつ變化すること、第二には初め一種の生物も代を多く重ねる間には次第に數種に分れることであるが、絶えず少しづつ變化すれば、先祖と子孫とはいつか全く別種の如くに相違するに至る筈で、太古から今日までの間には境は判然せぬが幾度も形の異なつた時代を經過し來つたものと見倣さねばならず、また初め一種の先祖から起つた子孫も後には數種に分れるとすれば、更に後に至れば數種の子孫の各々がまた數種に分れるわけ故、すべてが生存するとしたならば、種族の數は次第に增すばかりで、終には非常な多數とならねばならぬ。この二箇條を結び合せて論ずると、およそ地球上の生物は初め單一なる先祖から起り、次第に變化しながら絶えず種族の數が殖えて今日の有樣までに達したのである。即ち生物各種の間の關係は、一本の幹から何囘となく分岐して無數の梢に終つて居る樹枝狀の系圖表を以て示し得べきもので、各種族は一つの末梢に當り、相似た種族は、相接近した梢に、相異つた種族は遙に相遠ざかつた梢に當つて、いづれも互に血緣の連絡はあるが、その遠いと近いとには素より種々程度の相違がある。これだけは生物進化論の説く所であるが、これは單に議論ではなく、化石學を始とし比較解剖學・比較發生學・分類學・分布學など生物學の各方面に亙つて無數の證據があるから、今日の所では最早疑ふ餘地のない事實と見倣さねばならぬ。

[やぶちゃん注:「動植物の種族の數は今日學者が名を附けたものだけでも百萬以上もあ」るとあるが、本書初版刊行の大正五(一九一六)年から八十八年も経った二〇〇四年現在は、ウィキの「種」によれば、

命名済みの種だけで二百万種

あり(これは化石種も当然含まれる。生物学者である丘先生の謂いも同じと考えてよいと思うが、一般的向けの本書の体裁から考えると、この百万種以上というのは現生種(現在、生存している種)のみの数とも読め、それだと八十八年で五十万増えると言うのはかえって自然と言えるかもしれない)、実際に

地球の歴史上ではそ『の数倍から十数倍以上の種の存在が推定され』ている

とあるから、実に百年弱で百万種が増えたことになる。しかし、ウィキの「古生物」によれば、

古生物(かつて地球上に存在した生物種)は約十億種以上(但し、『(?)』が附されてある)

化石種(化石として発見された種)は約十三万種

人類が発見して命名した現生種は約百五十万種

未確認種は数千万種

とされるとあるから、実に

化石絶滅種を含めた生物の推定種数は実に十億数千万種以上

ということになろう。

「種の起原」『種の起源』原題「On the Origin of Species」はイギリスの自然科学者チャールズ・ロバート・ダーウィン(Charles Robert Darwin 一八〇九年~一八八二年)が一八五九年十一月二十四日(安政六年十一月一日相当)に出版されている。本書初版刊行の大正五(一九一六)年の五十七年前となる。]

 

 かくの如く生物の各種族はいづれも長い歷史を經て今日の姿までに達したものであるが、その間には何度も形の變じた種族もあれば、また割合に變化することの少かつた種族もあらう。しかしながらいづれにしても變化は徐々でゐるから、いつから今日見る如き形のものになつたかは時期を定めていふことは出來ぬ。化石を調べて見ると、少しづつ次第次第に變化して先組と子孫とがまるで別種になつてしまつた例は幾らもあるが、これらは血筋は直接に引き續いて居ながらその途中でいつとはなしに甲種の形から乙種の形に移り行くから、乙なる種族はいつ生じたかといふのは、恰も虹の幅の中で黄色はどこから始まるかと問ふのと同じである。人間などは化石の發見せられた數がまだ甚だ少いから、この場合の例には不適當であるが、もしも時代の相續いた地層から多數の化石が發見せられたならば、やはりいづれから後を人間と名づけてよいかわからず、隨つていつ初めて生じたといふことは出來ぬであらう。

 

 生物種族の初めて現れる具合は、今述べた通り漸々の變化によるのが常であるが、かくして生じた種族は如何になり行くかといふに、無論繼續するか斷絶するかの外はなく、繼續すれば更に少しづつ變化するから、長い間には終に別の種族となつてしまふ。地屏の中から掘り出された化石が時代の異なる毎に種族も違つて、一として數代に繼續して生きて居た種族のないのは、昔もその通りであるが、今後とても恐らく同じことであらう。稀には變化の極めて遲いものがあつて、いつまでも變化せぬやうに見えるが、これは寧ろ例外に屬する。「しやみせんがひ」や「あかがひ」などの種族は隨分古い地層から今日まで繼續して居るから、その間だけを見ると殆ど永久不變のものであるかの如き感じが起るが、「しやみせんがひ」屬「あかがひ」屬の形になる前のことを考へると、無論變化したものに違ない。また或る地層までは澤山の化石が出て、その次の地層からは最早その化石が出ぬやうな種族は、その間の時期に斷絶して子孫を殘さなかつたものと見倣さねばならぬが、かやうな種族の數は頗る多い。獸類でも魚類でも貝類でも途中で斷絶した種族の數は、現今生きて居る種族の數に比して何層倍も多からう。そしてこれらの種族はなぜかく絶滅したかといふと、他種族との競爭に敗れて亡びたものが多いであらうが、また自然に弱つて自ら滅亡したものもあつたであらう。

[やぶちゃん注:「しやみせんがひ」三味線貝(その独特の形状由来)。冠輪動物上門腕足動物門 Brachiopoda に属する、二枚の殻を持つ海産の底生無脊椎動物。腕足綱無関節亜綱舌殻(シャミセンガイ/リンギュラ)目シャミセンガイ科シャミセンガイ属オオシャミセンガイ Lingula adamsi やミドリシャミセンガイ Lingula anatina などのシャミセンガイ類(他にシャミセンガイ科 Lingulidae には Credolingula 属・Glottidia 属・Lingularia 属があり、化石属になると更に多数ある。分類タクサは保育社平成四(一九九二)年刊の西村三郎編著「原色検索日本海岸動物図鑑」に拠った)。一見、二枚貝に似ている海産生物であるが、体制は大きく異なっており、貝類を含む軟体動物門とは全く近縁性のない生物である。化石ではカンブリア紀に出現し、古生代を通じて繁栄したグループであるが、その後多様性は減少し、現生種数は比較的少ない。「腕足動物門」の学名“Brachiopoda”(ブランキオポダ)はギリシャ語の“brachium”(腕)+“poda”(足)で、属名Lingulida(リングラ)は「小さな舌」の意(学名語源は主に荒俣宏「世界大博物図鑑別巻2 海産無脊椎動物」(平凡社一九九四年刊)の「シャミセンガイ」の項に拠った)。以下、まずウィキの「腕足動物」から引用する。『腕足動物は真体腔を持つ左右相称動物』で、斧足類(二枚貝)のように二枚の殻を持つが、斧足類の殻が体の左右にあるのに対し、『腕足動物の殻は背腹にあるとされている。殻の成分は分類群によって異なり、有関節類と一部の無関節類は炭酸カルシウム、他はキチン質性のリン酸カルシウムを主成分とする。それぞれの殻は左右対称だが、背側の殻と腹側の殻はかたちが異なる』。二枚の『殻は、有関節類では蝶番によって繋がるが、無関節類は蝶番を持たず、殻は筋肉で繋がる』。殻長は五センチメートル前後のものが多く、『腹殻の後端から肉茎が伸びる。肉茎は体壁が伸びてできたもので、無関節類では体腔や筋肉を含み、伸縮運動をするが、有関節類の肉茎はそれらを欠き、運動の役には立たない。種によっては肉茎の先端に突起があり、海底に固着するときに用いられる』が、種によってはこの『肉茎を欠く種もいる』。『殻は外套膜から分泌されてできる。外套膜は殻の内側を覆っていて、殻のなかの外套膜に覆われた空間、すなわち外套腔を形成する。外套腔は水で満たされていて、触手冠(英語版)がある。触手冠は口を囲む触手の輪で、腕足動物では』一対の『腕(arm)に多数の細い触手が生えてできている。有関節類では、この腕は腕骨により支持されるが、無関節類は腕骨を持たず、触手冠は体腔液の圧力で支えられる』。『消化管はU字型。触手冠の運動によって口に入った餌(後述)は、食道を通って胃、腸に運ばれる。無関節類では、消化管は屈曲して直腸に繋がり、外套腔の内側か右側に開口する肛門に終わるが、有関節類は肛門を欠き、消化管は行き止まり(盲嚢)になる』。『循環系は開放循環系だが不完全。腸間膜上に心臓を持つ。真の血管はなく、腹膜で囲われた管がある。血液と体腔液は別になっているとされ』、ガス交換は体表で行われる。一対か二対の『腎管を持ち、これは生殖輸管の役割も果たす』。『神経系はあまり発達していない。背側と腹側に神経節があり』、二つの『神経節は神経環で繋がっている。これらの神経節と神経環から、全身に神経が伸びる』。生態は『全種が海洋の底生動物である。多くの種は、肉茎の先端を底質に固着させて体を固定するか、砂に固着させて体を支える支点とする。肉茎を持たない種は、硬い底質に体を直接固定する。体を底質に付着させない種もいる』。『餌を取るために、殻をわずかに開き、触手冠の繊毛の運動によって、外套腔内に水流を作り出す。水中に含まれる餌の粒子は、触手表面の繊毛によって、触手の根元にある溝に取り込まれ、口へと運ばれる。主な餌は植物プランクトンだが、小さな有機物なら何でも食べる』。以下、「繁殖と発生」の項。『有性生殖のみで繁殖し、無性生殖はまったく知られていない。わずかに雌雄同体のものが知られるが、ほとんどの種は雌雄異体』で、『雌雄異体のものでも、性的二型はあまりない』。『体外受精で、卵と精子は腎管を通じて海水中に放出され、受精するのが一般的。一部の種では、卵は雌の腎管や外套腔、殻の窪みなどに留まり、そこで受精が起こる。その場合には、受精卵は幼生になるまで、受精した場所で保護される』。以下、ウィキの「シャミセンガイ」の項。『尾には筋肉があるだけで、内臓はすべて殻の中に入っている。殻は二枚貝のように見えるが、二枚貝が左右に殻を持つのに対して、シャミセンガイは腹背に殻を持つ。殻をあけると、一対のバネのように巻き込まれた構造がある。これは触手冠と呼ばれ、その上に短い多数の触手が並び、そこに繊毛を持っていて、水中のデトリタスなどを集めて食べるための器官である』。『特異な外観は、日本では三味線に例えられているが、中国では舌やモヤシに例えられて、命名されている』(中文サイトを見ると「舌形貝」「海豆芽」とある)。『太古から姿が変わっていない生きている化石の一つと言われることも多いが、実際には外形は似ているものの内部形態はかなり変化しており、生きた化石とは言いがたいという説もある。化石生物と現在のものとは別の科名や属名がつけられている』。二〇〇三年、『殻の形が大きく変化していることから、生きている化石であることは否定された』(下線やぶちゃん)。『日本では青森県以南に分布する。砂泥の中に縦穴を掘り、長い尾を下にして潜っている』。『中国では、渤海湾以南に分布』し、『台湾にも見られる』。しかし、『生息数が減少しており、地域によっては絶滅が危惧されている』。『大森貝塚(東京都大田区・品川区)の発見者であるエドワード・S・モースは』、明治一〇(一八七七)年に東京大学お雇い外国人として生物学を教える一方、シャミセンガイの研究のためにも来日しており、滞在期間中の凡そ一ヶ月の間、『江ノ島臨海実験所で研究をしており、その間にミドリシャミセンガイを』五百個体も捕獲している(私の「日本その日その日」E.S.モース 石川欣一訳」の「第五章 大学の教授職と江ノ島の実験所」以下のパートを参照されたい。因みに、日本で最初にダーウィンの進化論を東京大学や公開講演会で学術的に講義講演したのも、このモースである日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十章 大森に於る古代の陶器と貝塚 27 日本最初のダーウィン進化論の公開講演などを参照されたい)。日本に於ける代表種であるミドリシャミセンガイ Lingula anatina は『岡山県児島湾や有明海で食用とされる。有明海ではメカジャ(女冠者)と呼ばれ、福岡県柳川市や佐賀県佐賀市周辺でよく食用にされる。殻及び触手冠の内部の筋肉や内臓を食べる。味は二枚貝よりも濃厚で、甲殻類にも似た独特の旨みがある』。『日本での料理としては、味噌汁、塩茹で、煮付けなどにすることが多』く、『中国では広東省湛江市、広西チワン族自治区北海市などで主に「海豆芽」(ハイドウヤー)などと称して炒め物にして食べられており、養殖の研究も行われている』(引用部を含め、下線やぶちゃん)。

「あかがひ」翼形亜綱フネガイ目フネガイ上科フネガイ科アカガイ属アカガイ Scapharca broughtonii モースによる、現在の東京都品川区から大田区に跨る繩文後期から末期の大森貝塚の発掘(明治一〇(一八七七)年六月十七日に横浜に上陸したモースは二日後の六月十九日に東京大学との公式契約を結ぶために横浜から新橋へ向かう途中、大森駅を過ぎてから直ぐの山側の崖に貝殻が積み重なっている地層を発見、三ヶ月後の九月十六日に第一回発掘調査を行い、九月十八或いは十九日に第二回を、十月一日附で東京府の許可を得た上で十月九日から本格的な発掘を開始し、終了は十二月一日)の際には多量の、アカガイを含むフネガイ科 Arcidae の埋蔵貝類の殻を発掘し、同時に近くの海岸で同種・近縁種である現生種の貝殻も採取してそれを比較検討している日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十五章 日本の一と冬 大森貝塚出土の貝類と現生種の比較の本文及び私の注を是非、読まれたい。私も小学生の頃、家近くの切通しや崖から沢山の未だ化石化していないアカガイの埋蔵物古物を発掘したものだった。泥だらけになりながら、それを掘り出すのに至福を覚えた(今も絵日記に残っている)あの少年は、どこへ行ってしまったのだろう……

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