僕は
僕は誰より確かに僕自身の疑問のためにテクストを電子化していることだけは確かなことだ。しかし、誰か若い人が、それを、ふと面白く思ってればよいと思っていることも確かなことだ。それ「以外の人」から、僕のテクスト表記や表示法の在り方を云々されるのであれば――(事実、漢字が多過ぎるとか、ぐだぐだ判り切った注が多いとか(正直、本当に、あんたは判ってるのか? と言いたいのをぐっとこらえてのことだがね)、ウィキの引用が多いとか(僕はウィキを素晴らしい博物学者集団だと思うし、単純な表現修正のウィキの記者でもあるのだが)よく言われるが――それは正直、「糞喰らえ!」だし、そもそもが、だったら、僕のテクストを読まねばよかろう、自分でもっとアカデミックなものを披露すればよかろうが! と言わざるを得ないのである――それほど僕はその程度には非アカデミストであり、似非博愛主義者ではないということである――
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