柳田國男「蝸牛考」昭和一八(一九四三)年創元社版「蝸牛異名分布表」
柳田國男「蝸牛考」昭和一八(一九四三)年創元社版「蝸牛異名分布表」
[やぶちゃん注:以下は、一九九〇年ちくま文庫刊「柳田國男全集19」を底本としたので、今までの『初版「蝸牛考」』とは異なり、新字体現代仮名遣となる。底本は全集編者によって一部の漢字に読みが附されてあるが、それのどれが原本のものであり、どれが新たに編者が附したものかは判別がつかない(改訂版原本は私は所持しない)。但し、刀江書院版を考えると、推測として地名のルビは概ね全集編者が附したものではないかという推理は成り立つように思われる。なお、既にここまでの電子化で多くの地名注はさんざん附してきたのと、この電子化は私の初版電子化にとっては「付録」であるので、ここでは地名注は一切附さないこととした。なお、底本の多くの地名の下に用いられている不思議な半角ダッシュは「―」とした。このダッシュは連続性を持つ「その他」或いは「その周辺」の謂いらしいが(後の『説明』に『接近した土地を並べておくことにした』を参照)、こういう厳密に規定され得ない記号の使用は(ダッシュの後に『一部』などとあるのは私は正直言って首をかしげざるを得ない)、筆者の「そこだけではないよ」という親切心に基づくものとは判るものの、それだけで寧ろ、資料価値を減ずるもののように私には感ぜられる。以前に注した通り、私は「縄」の字が生理的嫌いである。特異的に「繩」に代えてあるので、私のテクストを剽窃する際には注意されたい。
柳田國男「蝸牛考」は初出が大正一六(一九二七)年刊『人類学雑誌』第四十二巻第四号から第七号の四回に亙って発表されたものであったが、それらを纏めて大きく改訂を加えたものが、私が『初版』と呼称している単行本、既に電子化注を終えた三年後の昭和五(一九三〇)年に刀江書院の「言語誌叢書」の一冊として刊行した「蝸牛考」であった。
この初出(私は未見)と刀江書院版の決定的な相違は、一九九〇年ちくま文庫刊「柳田國男全集19」巻末の真田伸治氏の解説によれば「方言周圏論」という名が初めてそこで登場することである。しかしこれは私の電子化注でも判るように、その後に再び全面的な改訂が行われて、十三年後の昭和一八(一九四三)年に創元社から改訂新版(真田氏は『決定版ともいうべき』と名ざしておられる)として出版され、現行、我々が目にするものも、概ね、その最終決定版を採用した筑摩書房全集版を親本とするものである。
ところが、この通行の決定版には刀江書院版(私が電子化し『初版』と呼称しているもの)とは一つ、非常に大きな違いがある。それは既に示した「蝸牛異稱分布圖」(既に注した通り、この呼称は地図本体には表記がない)が完全にカットされてしまい、それに合わせても作られてあったアイウエオ順の「蝸牛異稱分布圖索引」が呼称の類系統別の編成し直された「蝸牛異名分布表」に変わっている点である。
最終改訂の段階で、折角の『日本人による言語地理学の最初の論文』『「方言周圏論」(または「方言周圏説」)を初めて提唱した記念すべき論文』(前掲真田氏解説より引用)から地図を外した理由は、以下に電子化する柳田自身の『はしがき』に記されており、資料サンプリングの不徹底や恣意及びその手法の統計学的不完全性を考えれば(真田氏によれば「蝸牛考」の考察に用いられたその『資料の多くは、柳田国男が、一九二七年、「東京朝日新聞社」の名において全国各地の小学校に流した通信調査票への回答に基づいたもので』あったとある。恐らくはカタツムリの絵を見せ、就学児童に「それを何と呼んでいますか?」と問うたものででもあったろう)、それはそれで確かに論理的には納得出来るものはあるものの、真田氏は先に示した解説の中で、『この分布図が省かれた点に関しては、言語地図の作成を第一工程とし、その地図に基づいて語の歴史の再構成を目指すという言語地理学の立場からの批判がある』とあり、私もこれには同様の疑義を持つ。さらに実際に見て貰えば判るが、この概ね頭部の音の類同性によって柱立てされた柳田の分類「系」自体に私はある種、非論理的で非科学的な胡散臭い臭いを感じるとも言っておく。
ただ、確かにこの地図は言わばダモレスクの剣でもあった。真田氏は同解説で「方言周圏論」の以後の不幸な経過を次のように記しておられる。やや長いが引用させて戴く(引用箇所はブログでの不具合を考えて一行字数を減じてある)。
《引用開始》
「方言周圏論」は、いわば簡単明瞭な原理であるために、一般に与えるインパクトは強烈であった。それゆえに、それを金科玉条のものと理解し、すべての分布事象が周圏論で説明できるとする誤解を一部で生むことにもなった。そして逆に、周圏論が適用できない事例を掲げて、その有効性を全面的に否定する傾向も見られたのである。また、周圏論は方言だけではなく民俗にも適用できるという観点から、民俗学の世界でも、その後「民俗周圏論」あるいは「文化周圏論」の名のもとにアッピールされた時期がある。しかしながら、この分野においては周圏論で説明できない現象が非常に多いこともあって、民俗関係では周圏論はあまり問題にされなくなってきたようである。
柳田国男は、「方言周圏論」提唱の初期において、「これはさしずめ博士論文に価する」というようなことを東条操あたりにもらしていた由である(柴田武、岩波文庫『蝸牛考』の解説)から、はじめのころは大変な自信をもっていたと推測される。しかし、初版本以後の方言学界、民俗学界での反応を考慮してか、新版(創元社本)においては、
発見などというほどの物々しい法則でも
何んでもない。私は単に方言という顕著
なる文化現象が、だいたいにこれで説明
し得られるということを、注意してみた
に過ぎぬのである。
とトークダウンし、また、『蝸牛考』を著した目的も、「児童の今までの言葉を変えて行こうとする力と、国語に対する歌謡・唱辞の要求と、この二つだけを抽(ぬ)き出して考えてみようとしたのである」として、その重点を、ことばの創造の方面に巧みに移行させている。そしてさらには、
今頃あのようなありふれた法則を、わざ
わざ証明しなければならぬ必要などがど
こにあろうか。
とまで述べているのである。
《引用終了》
正直、この尻を捲ったような柳田自身の物言いは結局は逆に「方言周圏論」を非科学的な思いつきの部類に過ぎぬと大衆の大勢を引っ張って行ってしまった不幸となったのではなかろうかとも私は思うのである(この柳田の「改訂版の序」も後に電子化する)。]
蝸牛異名分布表
(はしがき) 初版には附録として蝸牛異称分布図を添えた。それがまた一つの著述の楽しみでもあつたのだが、よく考えてみると、これには少しばかり無理がある。単に印刷が容易でなく、誤謬(ごびゅう)を発見しがたいからといふ以上に、何とかこれを改訂しなければならぬ理由が、少なくとも二つはあったのである。第一には蝸牛の日本名の最もよく知られて居るもの、デデムシとマイマイツブロとカタツムリと、この三つは古書にもしばしば見え、今でも一人で三つとも知つて居る者も多いだけでなく、この三つのうちのどれか一つが、行われて居る区域はなかなか広く、たいていの方言集には普通として報告せられないから、現在はまだその全部の使用地を突き留めることが出来ない。それをいちいち地図の上に書き込めない以上は、分布の彩色もやや頼りないものとならざるを得ぬ。だいたいに一つの系統は連続して居るものと言えるが、まだその幅と境とは知りがたく、かつ存外中が切れまたは飛び離れて居るものがあるのである。
第二に分布地図は五通りの色分けを試みたが、まだこのほかに二つまたは三つの類が認められる。その一つはこの虫をツブラの特色をもつて呼び始めた以前から、すでにあったかと思われるニナもしくはミナ系統の語、他の一つはこれと反対の端に、デェデェよりもさらに新たに、発明せられたかと思う幾つかの方言の群で、その中にも由来のほぼはっきりとしているものと、今はまだその来歴を詳(つまびら)かにしがたいものとがある。ニナ・ミナ系のものは数も乏しく、新たに加わる様子もないから痕跡と見てしまってもよいが、後に生れた新語は、無視することのできない一つの傾向である。たとえ蝸牛においてはもう問題にせられないとしても、国の単語の変らねはならぬ原因としては、注意しておく必要があるわけである。
それから今一つ、私が本篇の中で力説している辺境現象というもの、すなわち二つの別系統の方言が接触する地域に、盛んに生れて来る複合形の新語、これをどちらの色に染めておくかは問題になる。はなはだ機械的にはなるが自分だけは、その複合形の頭部を作るものによって、かりに所属をきめてみようとしている。この列挙がやや完全に近いものになって来たら、いつかは総国の分布図もこの一語についてはできるかと思うが、現在としてはまずだいたいの趨勢(すうせい)とも名づくべきものを、例示することをもって満足するのが、問題提出者の身の程に合うかと考えるようになったのである。それでこの裏ではかりに七つの部類に分ち、各系統に属する名詞を排列(はいれつ)して、同じ例が少なかろうと思うものだけ、その下へ府県郡市島名、または方言集の名を略記する。これでおおよそどの地方に多いかといふことだけは、読者には判ってもらえると思うのである。二三の説明の必要な点は、もう一度この表の末に書き添えるが、だいたいに下に点線のみを附した五つ六つの名だけが、地名を挙げきれぬほどに使用区域の広いもので、しかも多くの場合には形の近い方言と相接して行われ、従って耳だけにはもっと弘く、これで通用しているということを、明言してもよいようである。(昭和十七年十月)
[やぶちゃん注:以下、『(説明)』の前までは底本では全体が二字下げ。]
一 デデムシ・デンデンムシ系
デデムシ・デェデェムシ……
デェデェ 三重、松阪市附近
デェデ 福井、大飯(おおい)―
デデェゴ 山口、玖珂(くが)―
デテコナ 広島、因(いん)ノ島(しま)
デノムシ 兵庫、赤穂(あこう)―
デンノムシ 岡山、邑久(おく)―
デブシ 愛媛県一部
デンデコナ 同 伯方(はかた)島
デンデムシ 大阪、滋賀、阪田―
デンデ 和歌山、日高―
デンデコナイ(デンデコナ) 三重、三重―
デコナ 同 一志(いつし)―
デンべノカイ 同 鈴鹿(すずか)―
デンデラムシ 岐阜、大垣市附近
デェラクドン・レェダドン 大分、宇佐(うさ)―速見(はやみ)―
デンボノコ 神奈川、三浦―
デンボウラク 同県一部
デンボロ 山梨、北都留(つる)―。千葉、海上(かいじょう)―
デンデンムシ……
デンデンムシムシ 富山、東礪波(ひがしとなみ)―。栃木、河内(かわち)―
デンデンデムシ 和歌山、有田―
デンデンマムシ 鳥取、東伯(とうはく)―
アカハラデンデンムシ 滋賀、蒲生(がもう)―
デンデンコ 香川、丸亀(まるがめ)市附近
デデンゴウ 岡山、児島(こじま)―
デンデンツブロ 茨城、真壁―
デンデンタツボ 三重、飯南(いいなん)―
デンデンゴウナ 岡山、浅口―。香川県一部
デンデンゴナ 三重、津市
デンデンコボシ 奈良県一部
デンデンケェボン 福岡、築上(ちくじょう)―
デンデンガラムシ 富山、氷見(ひみ)―
デンデンガラボ 石川、鹿島(かしま)―
デンデンガラモ 同郡灘(なだ)地方
デンデンダイロ 群馬、群馬―。埼玉、川越市附近
デンデンべェコ 岩手、上閉伊(かみへい)―
レンレンムシ 長崎、北松浦―大島
ゼンゼンムシ 大分、大分市及び諸郡
ゲンゲンムシ・ベンベンムシ 同県一部
ジュジュムシ 宮崎、児湯(こゆ)―
ジュンゴロ 同 宮崎―
ジシムシ 鹿児島、川辺―
ダイダイムシ・ダエダェムシ 島根、松江市附近
ダイダイマムシ 鳥取、西伯(せいはく)―
〇
デェロ・デェロウ……
デェロデェロ 福島、北会津―
デェロン 群馬、利根(とね)―吾妻(あがつま)―
デェロンジ 群馬、山田―一部
デェラボッチャ 長野、諏訪
デェブロ・デェボロ 埼玉、北葛飾(きたかつしか)―
デェブル・ネェブル 千葉、東葛飾―
デェボロ・ダイボロ 栃木県南部
ダイロ・ダイロウ・ダエロ……
ダイロ・デデモ 『但馬方言集』
ダイリョウ 長崎、対馬(つしま)一部
ゲンダェロ・ダイロウ 新潟、西頸城(にしくびき)―
ダエロダエロ 山形、米沢市附近。富山、下新川(しもにいかわ)―
デァイロ 福島、安積(あさか)―安達(あだち)―
ダエロウカン 群馬、多野―
エェボロッボロ 栃木県一部
ネェボロ・ナイボロ 茨城、結城(ゆうき)―猿島(さしま)―
ネェボロッボロ 栃木、芳賀(はが)―
ネャボロ 同 河内―芳賀―
メェボロ・マイボロ 茨城県南部諸郡
メェボロッボロ 同 北相馬―
マエボチツボロ・メェボチツボロ 同 新治(にいはり)―
メェメェツボロ 同 稲敷(いなしき)―
マイマイツボロ 同県南部
メンメンツボロ 神奈川、川崎市一部
二 マイマイツブロ系
マイマイ・マエマエ……
マアマイ 愛知、渥美(あつみ)―和地(わじ)―
マアヨ 鳥取、気高(けだか)―
マアメ 同 東伯―北谷
モイモイ・モオイ 島根、邇摩(にま)―大森
モオモリ 同 簸川(ひかわ)―今市附近
モンモロ・モオロモロ 同県出雲一部
モオリモオリ 兵庫、美方(みかた)―
ミャアミャア 岡山、吉備(きび)―小田―
ミャアミャアコ 同 小田―金清(かねのうら)
ミャアミャアキンゴ 同 真庭(まにわ)―富原(とみはら)
ミョウミョウ 石川、加賀一部。佐渡島
ミョウゴ 同 能美(のみ)―
ニョウニョウ 新潟、北蒲原(きたかんばら)
メイメイ 同 佐渡島外海府(そとかいふ)
メャアメャア 広島、蘆品(あしな)―府中
メャメャア 千葉、安房(あわ)だ
メェメェ 愛知、幡豆(はず)
メンメンコ 同郡西尾
メェメ 同 愛知―一部
メェマイゴ 同 知多―半田
メンメンダバゴロ 宮城、遠田―
メンメン 同郡涌谷(わくや)
マイマイドン 静岡、榛原(はいばら)
メメド 愛媛北宇和(きたうわ)―
メメドカタド 同郡高市(たけち)村
メメンジョ・メンメンジョウ 山梨、甲府市附近
マイマイコ 山口、山口市附近
メェメッポ 千葉、市原―長生(ちょうせい)―
メメップ 同 東葛飾―一部
メェメェズ 東京、北多摩―
マイモズ 同 西多摩―氷川(ひかわ)
マイマイズ 埼玉、入間(いるま)―
メェアメェアズ 同郡名栗(なぐり)地方
モモウズ 山梨、北都留―
ヤモウズ 東京、伊豆大島
マメジッコ 栃木、上都賀(かみつが)―
メメンデェロ 長野、下伊那―
マンマンダイロ 同郡竜丘(たつおか)
ママダイロ 同 飯田市附近
ママンジョ 愛知、知多―岡田
ママデ 三重、南牟婁(みなみむろ)
メェダセ 鳥取、西伯―堺港(さかいみなと)
メェメェツノ 愛知、日間賀島(ひまかじま)
ミョメョツノ 石川、能登
[やぶちゃん注:これは初版では本文及び索引で『ミョミョツノ』として採集地を『能登能登島』としている。実際に発音してみると分かるが、「ミョメョ」は発音が異様にし難い(出来ない訳ではないが、児童には非常に難しいと私は思う)。前後を見ても、私はこれは「ミョミョツノ」の誤植ではないかと強く疑っている。]
ミョミョツノダセ 同 東礪波―出町(でまち)
メェメェコウジ 神奈川、津久井―
メェメェコンジョ・メェメェクンジョ 愛知、八名(やな)―宝飯(ほい)―
マイマイコンジョ 同 愛知―等
マイマイクジ 同 葉栗(はぐり)―
マイマイクジラ 福岡、糟屋(かすや)―
マイマイグズグズ 三重、渡会―
マイマイカタツボ 同 多気(たき)―
マイマイカタッポ 富山県一部
メェメェカンカ 千葉、夷隅(いすみ)―
メンメンカエブツ 富山、高岡市
メンメンカイポポ 同県一部
メンメンカエボ 同 中新川―大岩
メンメンカエボコ 同 射水(いみず)―海老江(えびえ)
メンメンガラモ 石川、鹿島―鰀目(えのめ)
メェメェタツボ 千葉、山武(さんぶ)―
メメチャブロ 同 東葛飾―。埼玉、南埼玉―
マイマイツブロ……
マイマイツブリ 福井、坂井―金津(かなづ)。宮崎県一部
マイマイツムリ 神奈川、横浜市
メェツムリ 千葉、佐倉市
メェメェツブロ 大分、日田(ひた)―
マイマイツンブリ 静岡、磐田(いわた)―
マイマイツンボ 同郡浦川
マイマイコツブリ 福岡、戸畑(とばた)市
メェメェツングリ・メメンツングリ 同 久留米市附近
マメツングリ 同 三瀦(みずま)―一部
メェメェツングラメ 佐賀、佐賀市附近
三 カタツムリ系
カタツムリ……
カタツブリ 『易林木節用集(えきりんぼんせつようしゅう)』
カタツブレ・カタツブリ 広島、佐伯(さえき)―
カタツンブリ 佐渡島。大和、十津川(とつかわ)
カダツブレ・カサツブレ 秋田、秋田市附近
カサツンブレ・カナツブ 同 河辺(かわべ)―
カダツムリ・カサツブレ 秋田、平鹿(ひらか)―
カサツブリ 山形、最上(もがみ)―村山―
カサツムリ 同 山形市
カサツブレ 同 荘内地方
(カサツブリ) 同 飛島
(カサツブレ) 『越佐方言集』
カサツンブリ 佐渡島海府地方
カサツブ 福島、大沼―河沼(かわぬま)―
カタツモリ 栃木、上都賀―。大分、大分市
カタツボ 三重、度会―
カナツンブ・カナツブ 秋田、河辺―
カンツブリ・カンツンブリ 富山、東礪波・五箇山(ごかやま)
カッタナムリ 高知、高知市
○
カァサンメ 神奈川、愛甲(あいこう)―足柄上(あしがらかみ)―
カサッパチ・カサンマエ 静岡、田方(たがた)―
カサッパチマイマイ 同 駿東(すんとう)―
カシャパチ・カサッパチ 同 富士―
カタッパチ 同 志太(しだ)―
カサンマイ 同 静岡市
カサノマイ・カサンマイ 山梨、南都留―南巨摩(みなみこま)―
カサンメェ 同 北巨摩―
カタカタバイ 三重、南牟婁―
カタカタ 和歌山、東牟婁―
カタジ 同 西牟婁―串本(くしもと)
カタッタア・カタカタ 奈良、吉野―十津川
(カタカタ) 高知、幡多(はた)―中村
カタト 愛媛、宇和島市
カタタン・カタタ 同 喜多―伊予―
カァタ 同 大三島(おおみしま)
(カタツブリ・カタツムリ) 同 越智(おち)―周桑(しゅうそう)―
カッタイコンゴ 徳島、海部(かいふ)―北川
カタクジリ 熊本、八代(やつしろ)―金剛村
ガト 京都、加佐(かさ)―
四 ツブラ・ツダラメ系
ツダラメ・ツンダラメ……
ツブラメ・ツンブラメ……
ツンツングラメ 佐賀、弛摺柿附近
ツンツンツングラメ 大分、南海部(みなみあまべ)―
ツンツクツングラメ 福岡、三瀦―一部
ツッガメ・ツッガメジョ 長崎、五島
ツルマメ 同 平戸島
ツブロマメ・チュブラメ 鹿児島、揖宿(いぶすき)―
ツンナメ 同 種子島(たねがしま)―宝島
チンニャマァ 同 奄美大島北部
チンダル・チンダリ 同島南部
テンダリキョ・チンニャマ 同島古仁屋(こにや)
ツンミョウ・トゥンニャーウ一 同県喜界島(きかいじま)
チンタイ 同 沖永良部(おきのえらぶ)島
チンナミ・チンナン 沖繩、島尻(しまじり)―
シンナン 同郡糸満
チンナンモウ 同県国頭(くにがみ)―
チンダミ 同 八重山―小浜島(こはまじま)
チダミ・ツダミ 同郡石垣島
チンヅァン 同 西表島(いりおもてじま)
シダミ 同 黒島
シタミ 同 波照間島(はてるまじま)
シダミ 同 与那国島(よなぐにじま)
ヤマシタダミ 東京、伊豆八丈島
○
ツブサン 広島、備後岩子島(いわしじま)・向島(むかいしま)
ヤブツブ 愛媛、弓削島(ゆげしま)
ヤマツブ 岩手、西磐井(にしいわい)―平泉(ひらいずみ)
タツボ・デンボロ 千葉、海上―高神(たかがみ)村
ツンブリ 京都、天田(あまた)―。愛知、愛知―等
ツンツン 岐阜、山県(やまがた)―
ツボロカイボロ 栃木、宇都宮市附近
ツムクリ 福島、石城(いわき)―
ツブカサ 同 会津地方
○
タマグラ・タンマグラ……
タンバクラ 宮城、玉造(たまつくり)
カマグラ 同 牡鹿(おしか)―石巻(いしのまき)市
マタグラ 同 仙台市附近
ヘビタマクラ 岩手県一部
ヘビタマグリ 同 岩手―等
タマグラナメトウ 同下閉伊―船越
ヘビタマ 秋田、鹿角(かづの)―
五 蛞蝓同名系
ナメクジ・ナメクジリ……
ナメクジラ 岩手、盛岡市附近
ナメクズリ 青森、弘前(ひろさき)市附近
ナメクグリ 茨城、稲敷(いなしき)―
ナマイクジリ 広島、安佐―北部
マメックジ・マメックジロ 栃木、河内―一部
マメクジ 富山県一部。栃木、塩谷(しおや)―
マメクジラ・マメクジリ 岐阜、高山市
メメクジ 神奈川県一部。愛知、南設楽(みなみしたら)―
(マメクジ) 愛知、南設楽―岡崎市
マメツジ 同 西加茂
(マメクジ) 山口、阿武(あぶ)―
ミナクジ 長崎、南高来(みなみたかき)―。宮崎、東諸県(ひがしもろかた)―
エェショイムシ 長野、下伊那―遠山
イエカツギ 石川、石川―江沼―
イエモチ 滋賀、東浅井―
イエカルイ 大分県各郡市
イエカエル・イエカル 同 直入(なおいり)―
ツウナメクジ 熊本、玉名―
ツウノアルナメクジ 長崎、諫早(いさはや)附近
カェンコノアルナメクジラ 岩手、盛岡市一部
カイカツギ 石川、河北―。富山、婦負(ねい)―
カイカイクジリ 富山県一部
カイナメクジ 福島、石城―部
カイナメラ 伊豆神津島(こうづしま)
○
カイムシ・カイロウ 富山県一部
ガイガイムシ 三重、渡会―一部
キャガラムシ 佐賀、藤津(ふじつ)―
ケェブロ 秋田、仙北(せんぼく)―田沢
カエッグラ・カエボボ 富山、婦負―一部
カエカエツブリ・カエカエツモル 同 上新川―一部
カエツブリ 同 氷見(ひみ)―一部
カエツモリ・カエツブリ 同 下新川―一部
カイツブレ 石川、石川―江沼―一部
カイカイカタツブレ 同 河北―(児語)
カイツブラ 長野、西筑摩(にしちくま)―開田(かいだ)
カエツムリ 岩手、盛岡市一部
カエカエツノダス 富山―氷見―宇波(うなみ)
六 蜷同名系
ミナムシ 『鹿児島方言集』
ムナムシケ 同上
ンムゥナ・ヴゥナ 沖繩、宮古島(みやこじま)平良(ひらら)
ユダイクイミナ 『鹿児島県方言集』
チヂミナ・シジミナ 同上
カキミナ 同上
ヤミナ 同上
ヤマミナ 鹿児島、川辺(かわべ)―知覧(ちらん)
ヤマニナ 愛媛、南宇和―西外海(そとうみ)
カッビナ 鹿児島、鹿児島―谷山(たにやま)
七 新命名かと思わるるもの
ツノンデェロ 群馬、吾妻―山田―。埼玉県北部
ツノンデイロ 群馬、群馬―
ツンノンデェショ 同郡総社(そうじゃ)
ツノンダェショ 埼玉、大里(おおさと)―
ツノダシデイロ 群馬、山田―
ツノダシダイロ 同郡一部
ツノンデロ 栃木、足利市
ツノダシ 石川、金沢市、松任(まつとう)
ダシミョウミョウ 同 河北―
ツノライモウライ 同 鹿島―一部
ツノダシガイ 富山、東礪波―五箇山
ツノダシミョミョ 同郡井ノ口
ツノツノミョミョ 同上
ツノミャアミャア 岡山、勝田―北和気(きたわけ)
(ツノダシ) 青森、津軽及び八戸(はちのへ)市
ツノダイシ 同 三戸(さんのへ)―五戸(ごのへ)
チノダシ 岩手、九戸(くのへ)―
チノダェアシ 同上
ツンノウカソノウ 広島、佐伯―一部
ツノベコ 福島、石城―一部
べエコ 茨城、久慈(くじ)―多賀―
ベココ 岩手、上閉伊―(児語)
ボウダシ 千葉、東葛飾―一部
ボウリ 同 海上―矢指(やざし)
○
オバオバ 千葉、海上―一部
ジットウバットウ・ジットウ 山梨、北巨摩―逸見(へんみ)
オッシャビョウビョウ 福井、坂井―
キネキネ・ネギロ 愛知、愛知―碧海(あおみ)―
ゼンマイ 福岡、福岡市博多
八 系統明らかならぬもの
チンケ 秋田、北秋田―笹館(ささだて)
ツンケマゴシロ 同郡小阿仁(こあに)
チンケマゴシロ 同県山本―藤琴(ふじこと)
ゴンゴ 島根、八束(やつか)―美保関(みほのせき)
ツメツメゴンゴ 石川、能美(のみ)―
ツロロ・ツロウ 富山、下新川―一部
ツドロガエドロ 同郡
チチマタ 石川、能美―一部
ゲゲボ 千葉、君津―
ガマヒメ 富山、五箇山一部
カンニョブ 福島、安達(あだち)―
マシジロ 愛知、知多―
(説明)一つ一つの言葉の下に、できるだけ県都市島の名を掲げておくことにしたが、これはその区域以外の土地で、行われておらぬという意味ではなく、むしろ反対に隣接町村などには、聴けばわかるという人がいくらもあることを推測し得るものである。がこれと同時にその区域内でも、すべての住民が知り、誰でもこの語を使うわけではないことも、明記しておかなければならぬ。二つ以上の方言を保存する例も、見らるるごとくなかなか多いのである。ただし一方を用いる者に、他の一方が通用せぬわけでは決してなく、時々は何かの都合で甲乙取り替えても使い、また一家の内でも老若男女、口癖を異にする者もあり得ることは、富山県などに一部落二方言の例のあるのを見ても推察し得られる。
一 排列(はいれつ)は許されるだけ、接近した土地を並べておくことにした。二地の中間の空隙(くうげき)にもおおよそこれに近い言葉のあるらしいことを窺(うかが)わしめるためである。しかしこれと同時に一方には非常に隔たった地方の例を、比較のためにわざと並べてみた場合もある。ここにしかないときめてかかる人の多いのが、現在の方言調査の通弊なので、それを改める必要を感ずるからである。
一 孤立の例のやや心もとないのは、前回に出したものでも若干は留保することにした。方言集の誤記誤植は存外に多いもので、警戒は常に必要である。その代りにはこの十二年間に新たに知ったものが少しばかり加えてある。まだこの表の二分の一くらいは、採集せられぬ言葉が残っているように私は感じている。
一 このついでに、本文と多少の重複はあろうが、心づいた点を二つ三つ挙げてみると、まずデンデンムシは「出よ出よ」の子供歌に始まっているのだから、デェデェの方が前なのにきまっているが、デンデンの方が音が面白かったためか、遠くの土地へはこの形をもって拡まっている。九州の方では鹿児島県の南の端、佐賀県の西南部にも、子供語となって知られており、関東の方では茨城県の稲敷郡にも、ぽつんと一つ採集せられている。古い文献では狂言の「蝸牛」に、このデンデンムシムシがすでに見える。これとデェデェとのはっきりとした区別は、後者の領域においては蝸牛を手に取って、出よ出よと唱えた童言葉(わらわことば)が、つい近い頃までまだ流行していたことであろう。そうしてこの区域はデンデンムシよりずっと狭く、中央部の四五の府県の農村だけに限られている。
[やぶちゃん注:『狂言の「蝸牛」』「文化デジタルライブラリー」の狂言「蝸牛(かぎゅう)」に以下のような梗概が載る(私は未見)。蝸牛を進上すれば祖父(おおじ)の寿命が伸びるというので、主人が家来の太郎冠者に蝸牛を捕ってくるよう命ずる。『蝸牛が何か全く知らない冠者に、主人は「頭は黒く、腰に貝をつけ、折々角を出し、藪にいる」と教え』たところ、『藪の中を探して旅疲れで寝ている山伏を見つけた冠者は、山伏の頭が黒いので起こして蝸牛かと尋ね』る。『勘違いに気づいた山伏は、からかってやろうと蝸牛のふりをし』、『すっかり信じた冠者が、主人の元へ一緒に来るよう頼むと、山伏は囃子物(はやしもの)に乗るならば行こうと言い、冠者に「雨の風も吹かぬに……」と囃させ、自分は「でんでんむしむし」と言いながら舞い』、二人は浮かれ出す。『そこへ帰りが遅いと業を煮やした主人がやってきて冠者を叱』るものの、結局は最後はその雰囲気に釣り込まれてしまい、三人して囃しながら退場となる、とある。]
一 デェデェの唱えごとでは、蝸牛に二本の捧を持って、出て来いと誘う趣旨であったものが、後にはただその二本の角だけを、出せという歌に替ってしまっている。関東の方などはことにその方が弘く流行して、新たにツノダシという類の名称を設けたと同時に、デェロまたはダイロの意味を不明なものにしているが、デェロがやはり「出る」の命令形であったことは、こうして各地の語を並べてみると、もうたいていは断定し得るようである。
一 関東平野におけるデェボロ系統の方言の変化は、特に私の興味を感じている点で、これは一方にマイマイツブロという語があまねく知られていなかったら、そうしてまたそれが毎日の子供歌になっていなかったら、こういう融合は決して現われなかったろうと言ってよい。すなわちちょうどチンガラモンガラが江戸でチンチンモガモガとなったごとく、最初はこのマイマイツブロをもって始まっていた文句に、今まで普及していたデェロが割り込んで来たのである。察するにこの音(おん)配合が小児には特に面白かったので、単なるマイマイといふ名に、古くからのツブロを結び合せたのも、本来は同じ要求によるものと考えて差支えはない。ツブロはおそらくまたカタツブリの複合形の企てられるよりも前から、日本に普及していた蝸牛の日本語であって、起りはツブラ虫あるいはツブラ蜷(にな)であったのであろう。
[やぶちゃん注:「チンガラモンガラ」「チンチンモガモガ」遊邑舎&北條敏彰氏のサイト「遊び学事典」の「【ち】」の「チンチンモグモグ[ちんちんもぐもぐ]」に『片足跳びあそびの古称。江戸時代に、幼児が「チンチンモグモグ、オヒャリコ、ヒャーリコ」と歌いながらあそんだと言われている。時代や地域の違いにより、チンガラモンガラ、チンチンモガモガなどの、呼び名のバラエティーが生まれた』とある。小学館の「日本国語大辞典」の「ちんちんもがもが」の項には、『片足を少し上げ、一方の片方で軽くはねる動作。片足跳びをいう。けんけん。ちんがらもんがら。ちんちんもんがら。ちんちんもがら。ちんちんもぐら。ちんちんもぐらこ。ちんちんが。ちんちん』とある。老婆心乍ら、男女が性行為をすることを指す隠語の「とんちんかもかも」とは違う(意味上は。語源上の類縁関係は知らない)ので要注意。]
一 新潟県は方言採集の夙(はや)くから盛んな地方であるにかかわらず、蝸牛に関する限り、知られている資料の乏しいのは、多分はデェロ・ダイロで元はほぼ統一せられ、それが標準語へ一足飛びに変って来たからであろう。このデュロという一語の領域は、言語文化の一ブロックとして、将来も注意せらるべきものである。どこが中心ということはとてもきめられないが、東北は福島県の大半がそれで、ここに古そうな形が伝わっている。次には東の北半分、これには珍らかな変化のあることはすでに述べた。それから信州は約九割まで、甲州もこれに接した一隅にはデェロが入っている。西の堺(さかい)としては富山県の下新川郡までだが、どういうわけでか飛んで但馬(たじま)と対馬(つしま)には採集せられている。この単語の一つの特色は、一度も大都市を占領したことのない点で、すなわちいわゆる方言の尤(ゆう)なる者であったことであろう。
[やぶちゃん注:「尤」は通常は非常に優れているさまをいうが、ここは方言の中でも甚だ際立った如何にも方言らしい存在であることを指しているようである。]
一 諏訪(すわ)のデェラボッチャは、たった一つの異例だが興味がある。これはこの地方の伝説上の巨人、山に腰かけて湖水で足を洗ったというような話のある怖ろしい者の名である。それを蝸牛の名にしたのは一方が有名であった他に、もはやデェロの意味が埋もれて、ただ語音ばかりの記憶になったことを談(かた)るものであろう。これと似た例は九州各地で、片足飛びのスケケンまたはステテンを、スッケンギョウという者の多いことである。もとは正月七日の火祭をホッケンギョウといっていたのが、何かの拍子にこの童戯の名に移ったので、こういう改造は子供でないとできない。土筆(つくし)のツクツクシとホウシとを二つ合せて、ツクツクボウシという寒蝉(かんぜみ)の名と、一つのものにしてしまったのも彼等のしわざと思われる。
[やぶちゃん注:所謂、「どんど(焼き)」など、「左義長(さぎちょう)」の数多くある地方異名の一つ。]
一 マイマイはもと蝸牛の貝の線条が、いわゆる螺旋(らせん)しているところから出た名で、これをカサと名づけたのも一つの動機らしく、ツブラと結合してマイマイツブロと呼んだ以前、ただマイマイだけで行われた時期が、かなり久しく続いたらしいことは、この語の分布の弘いことからわかるのだが、七音節のマイマイツブロが盛んに流行した結果、今ではその語の下半分を略したもののごとく、解する人ばかり多くなった。この語の発生地は京都か、または少なくともそれから西の方だろうと私は想像している。中国の山地には平野のデェデェムシと対立して、最も多くこのマイマイ単称が残っている。四国などもあるいは同じでないかと思うが、この方はまだ調べてみた所がない。
一 この分類表の中で、最も不明な区域は四国、ことに大洋に面した二県であって、これが細かく調べられたら、またよほど方言の新たに生れて来る順序道筋というものが、明らかになって来ることと思っている。九州の方でも熊本県などは方言の少ない方だが、これはツグラメまたはツブラメの系統の語が、普及している結果と推定して誤りはなかろう。ツグラメの末のメの音がミ、ナまたはニナの名残で、もとはツグラミナなどと、呼んでいたものだろうということは本篇にも説いた。ツブラもこの虫の貝が巻き巻きになっているところから出た名なのだが、それとマイマイもしくはカサと結合すれば、歌に唱えやすいマイマイツブロ、またはカタツブリになるのは自然であって、それが東日本の一部では、さらにデェロやダイロとも一つのものになって、あの珍らしい多くの地方称呼を作るに至ったのである。富山県西部などの、村ごとにちがった長い名の多くは、この過程の中間を示すものとも見られる。それとよく似た辺境現象が、東京から少し北寄りに、やや斜めに引かれた一線の上にも見られるので、すなわち関東方言には山地と海沿いと、南北二通りの文化系統があったろうということを、私はこの方面からも立証し得られると思っている。
一 東北地方の蝸牛名の主流をなすタマグラという語が、やはりツブラと同一系統だということは、私の発見であるが、ちょっとは同意せぬ人が多かろう。しかしこの地方では蛇がトグロを巻くのもタマクラマクであり、頸(くび)に環(わ)のある蚯蚓(みみず)タクマグラミミズであり、なお鎌などの柄にはめる鉄の輪もタマダラと呼んでいる。内容の上からは一つの語であることは明らかである。あるいは小倉博士の言われたように、グラの濁音が必ず鼻音化を伴なうもので、以前タングラに近く発音していたのが始めかも知れぬが、なおタマまたはタマキという重要な古語が、本来は円のツブラと無関係のものでなかったことを、想定せしめる手掛りにはなるのである。
[やぶちゃん注:「小倉博士」言語学者小倉進平(明治一五(一八八二)年~昭和一九(一九四四)年)か?]
一 九州のツグラメ・ツブラメが、ツングラメ・ツンブラメと発音せられ、次第に南の島々に渡ってチンナン・チンナミ系統の語に移って行くのは、私は偶然でないと考えている。この島々には夙(つと)に今日のシタダミに近い蝸牛の名があって、これをも無視すまいとすれば、自然にこのような折合いを見ずにはおられなかったのである。この傍証をなすものは八丈島のヤマシタダミで、この島には土をミザといい、少女をミナラべというなど、為朝以外にも共通のものは多い。しかも海上のこの大きな距離を考えると、これは単なる運搬の問題ではないのである。ミナよりもまた一つ以前に、もしくはミナと対立して、別に蝸牛をシタダミに近い語で、呼んでいた時代または地域があったかも知れぬのである。少なくとも記録に伝わっているカタツブリ、もしくはマイマイツブロなどのツブロをもって、最初の日本名ときめることは許されない。どんなに古くてもやはり言葉は人がこしらえたものなのである。
一 蝸牛と蛞蝓(なめくじ)とを一つの名をもって呼んでいた時代、すなわち蝸牛に特別の名を与えていなかった時代の方が、また一つ古いということも想像し得られる。これには現在もなお各地に思い思いの実例が残っているために、そのように古くからの風ではあるまいと、多くの人は感じているだろうが、大昔の風俗慣習は、ことごとくすでに消えてしまっていると、断定することはむろんできぬことであり、また現に我々はそういう久しく伝わるものを、探し出そうとしているのである。ナメクジ同系の方言の分布には、注意すべき特徴がある。すなわち東北は青森県の端から、遠くは隠岐(おき)とか壱岐(いき)とかの離れ島にも同じ例があり、その他の地方でも島のように、わずかずつ飛び飛びに、多くの土地にこれが見られる。そうして今なお両者一語をもってまかなおうとしている処と、何とかして二つを区別しようとしている処とがあり、その後者の場合にもこの表に示すように、蝸牛に特別の限定をしているものと、別に蛞蝓の方に変った名を示すものとがあって、第二のものは表には顕(あら)われておらぬが、たとえば大分市の附近では蛞蝓をカラナシナメクジ、愛知県北部ではこれをイエナシ、千葉県西北隅ではハダカナイブル、群馬県山田郡や信州の佐久地方ではハダカデェロなどと、これも飛び飛びに遠く離れて、名を付ける心持のみは一致している。長崎県の島原半島のごときは、蝸牛をミナクチと呼ぶ村々と、蛞蝓の方をそういっている村とがある。ミナクチもナメクジの音加工と見られるが、これは巻貝をミナという語と関係があるらしいから、もとは蝸牛のためにできたものであろう。しかし差し当りの目的は、何とか二つの者を区別し得ればそれで達するので、現にナメクジに対する蝸牛のマメクジなども、今はこれを蛞蝓に譲って、別に蝸牛のために新たな名を採用している土地も多い。マメクジのマメは元はマイマイから出たものと見られ、現にマイマイコウジといって、角によって小牛と解している例も見られる。同じ島原半島でも、特に蛞蝓をハダカマメクジという村もあるようである。
一 一方にはまた埼玉県のある農村のごとく、蛞蝓をナメンデェロという例もある。ナメはあのぬるぬるとした粘液のことであるらしく、この特徴は二つの虫に共通している。小さな島々の粘土を産出せぬ処では、土器を焼く土を固めるのにこれが必要であったらしく、現に八重山群島の新城(あらぐすく)の島などでは、これを利用して大きな皿甕(さらかめ)類を製しているが、これなどはツダミすなわち貝のある方の蝸牛であって、そのために土器の表面に貝の破片の焼けたのが附いている。いわゆるナメクジに貝があると否とは、こういう場合に問題とならざるを得なかったのである。離れ島以外の多くの土地で、貝ということに中心を置いた蝸牛の名のできているのは、あるいはこういう生産上の理由からではなかったかも知れぬが、カイナメクジだのカェンコノアルナメクジラだのと、貝を特徴とした蝸牛名の多いのを見て、かりに私はこれを蛞蝓同名系の中に入れておくことにした。九州でいうツウナメクジの、ツウというのもやはり貝のことである。あるいは亀(かめ)や蟹(かに)の甲羅にも、巻貝類の蓋(ふた)にも、また腫物(はれもの)のかさぶたにもツウといっている。カイは本来は蛤(はまぐり)などの殻に限られ、飯匙(いいがい)のカイと同様に器物に用いられてから後の名だったらしいのである。
[やぶちゃん注:「飯匙(いいがい)」歴史的仮名遣は「いひがひ」。飯を盛るための杓文字(しゃもじ)のこと。「いがひ(いがい)」とも読む。]
一 こういったこまごまとした点は、今少し単語の発達ということに、興味を抱く人が多くなって後に、改めて説き立てる方が有効で、現在はまだそういう学者もないのであるが、残念ながら自分はこの一巻以上に、もはや蝸牛を説くような機会をもたない。それでできるだけ順序を立てて、他日問題となるべきものに、あらかじめ口を挟んでおくのである。私たちの利用した方言集には不満足なものが多く、しかも調査地ははなはだ限られている。これ以吉まったく想像しなかった新らしい事実が現われて来ぬとは言われず、また援用の当を得ぬものが若干はありそうである。そういう資料のやや完備した時代に、果して私の仮定はどうなって残るであろうか。いかに訂正せられまたどれだけまで是認せられるか。それを考えてみることがいよいよ未来の文化に対する関心を深くする。
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