生物學講話 丘淺次郎 第二十章 種族の死(3) 二 優れた者の跋扈
二 優れた者の跋扈
劣つた種族が生存競爭に敗れて滅亡することは理の當然であるが、しからば優れた種族は永久に生存し得るかといふに、これに就いては大に攻究を要する點がある。優れた種族は敵と競爭するに當つては無論勝つであらうが、悉く敵に打ち勝つて最早天下に恐るべきものがないといふ有樣に遂した後は如何に成り行くであらうか。敵がなくなつた以上は、なほいつまでも全盛を極めて勢よく生存し續け得るであらうか。または敵がなくなつたために却つて種族の退化を引き起す如き新な事情が生ずることはないであらうか。今日化石となつて知られて居る古代の動物を調べて見るに、一時全盛を極めて居たと思はれる種族は悉く次の時代には絶滅したが、これは如何なる理由によることであるか。向ふ處敵なき程に全盛を極めて居た種族が、なぜ今まで己よりも劣つて居た或る種族との競爭に脆くも敗北して忽ち斷絶するに至つたか。これらの點に關してはまだ學者間にも何らの定説もないやうで、古生物學の書物を見ても滿足な説明を與へたものは一つもない。されば今から述べようとする所は全く著者一人だけの考であるから、その積りで讀んで貰はねばならぬ。
およそ生存競爭に於て敵に勝つ動物には勝つだけの性質が具はつてあるべきはいふまでもないが、その性質といふのは種族によつてさまざまに違ふ。第一、敵とする動物が各種毎に違ふから、これに勝つ性質も相手の異なるに從ひ異ならねばならぬ。今日學者が名前を附けた動物だけでも數十萬種あるが、如何なる動物でもこれを悉く敵とするわけではなく、日常競爭する相手はその中の極めて僅少な部分に過ぎぬ。例へば産地が相隔れば喧嘩は出來ず、同じ地方に産するものでも森林に住む種族と海中に住む種族とでは直接に相敵對する機會はない。されば勝つ性質といふのは、同じ場處に住み、ほゞ對等の競爭の出來るやうな相手に對して優れることであつて、樹の上の運動では巧に攀ぢるものが勝ち、水の中の運動では速く游ぐものが勝つ。そして水中を速く游ぐには足は鰭の形でなければならぬから、木に登るには適せず、巧に木に登るには腕は細くなければならぬから、水を游ぐには適せぬ。それ故、水を游ぐことに於て敵に優れたものは、樹に登るには敵よりも一層不適當であり、木に登ることに於て敵に優れたものは、水を游ぐには敵よりも一層不適當であるを免れぬ。同一の足を以て、樹上では猿よりも巧に攀ぢ、平原では鹿よりも迅く走り、水中では「をつとせい」よりも速に游ぐといふ如きことは到底無理な註文である。鴨の如く飛ぶことも歩くことも游ぐことも出來るものは、飛ぶことに於ては遠く燕に及ばず、走ることに於ては遠く駝鳥に及ばず、游ぐことに於ては遠くペンギンに及ばず、いづれの方面にも相手に優る望はない。魚類の中には肺魚類というて肺と鰓とを兼ね具へ、空氣でも水でも勝手に呼吸の出來る至極重寳な種類があるが、水中では水のみを呼吸する普通の魚類に勝てず、陸上では空氣のみを呼吸する蛙の類に勝てず、今では僅に特殊の條件の下に熱帶地方の大河に生存するものが二三種あるに過ぎぬ。龜の甲の厚いことも、「とかげ」の運動の速いことも、それぞれその動物の生存には必要であるが、甲が重くては速に走ることが到底出來ず、速に走るには重い甲は何よりも邪魔になるから、「とかげ」よりも速力で優らうとすれば、甲の厚さでは龜に劣ることを覺悟しなければならず、甲の厚さで龜よりも優らうとすれば、速力では「とかげ」に劣ることを覺悟しなければならぬ。
[やぶちゃん注:「肺魚類」脊椎動物亜門肉鰭綱肺魚亜綱 Dipnoi に属する、肺や内鼻孔などの両生類的特徴を有する魚類で、出現は非常に古く、約四億年前のデボン紀で、化石では淡水産・海産合わせて、約六十四属二百八十種が知られるが、現生種は以下の六種のみが知られ、所謂、「生きた化石」と称される。現生種は全て淡水産。
ケラトドゥス目 Ceratodontiformes
ケラトドゥス科ネオケラトドゥス属
ネオケラトドゥス・フォルステ(オーストラリアハイギョ)Neoceratodus
forsteri
レピドシレン目 Lepidosireniformes
レピドシレン(ミナミアメリカハイギョ)科レピドシレン属
レピドシレン・パラドクサ Lepidosiren paradoxa
プロトプテルス科(アフリカハイギョ)科プロトプテルス属
プロトプテルス・エチオピクス Protopterus aethiopicus
プロトプテルス・アネクテンシス Protopterus annectens
プロトプテルス・ドロイ Protopterus dolloi
プロトプテルス・アンフィビウス Protopterus aethiopicus
ウィキの「ハイギョ」によれば(記号の一部を省略した)、『ハイギョは他の魚類と同様に鰓(内鰓)を持ち、さらに幼体は両生類と同様に外鰓を持つ』(ネオケラトドゥスは除く)『ものの、成長に伴って肺が発達し、酸素の取り込みの大半を鰓ではなく肺に依存するようになる。数時間ごとに息継ぎのため水面に上がる必要があり、その際に天敵のハシビロコウやサンショクウミワシなどの魚食性鳥類に狙われやすい。その一方で、呼吸を水に依存しないため、乾期に水が干れても次の雨期まで地中で「夏眠」と呼ばれる休眠状態で過ごすことができる』(ネオケラトドゥスは除く)。『この夏眠の能力により、雨期にのみ水没する氾濫平原にも分布している。アフリカハイギョが夏眠する際は、地中で粘液と泥からなる被膜に包まった繭の状態となる。「雨の日に、日干しレンガの家の壁からハイギョが出た」という逸話はこの習性に基づく』。『オーストラリアハイギョが水草にばらばらに卵を産み付けるのに対し、その他のハイギョでは雄が巣穴の中で卵が孵化するまで保護する。ミナミアメリカハイギョの雄は繁殖期の間だけ腹鰭に細かい突起が密生し、酸素を放出して胚に供給する』。『ハイギョは陸上脊椎動物と同様に外鼻孔と内鼻孔を備えている。正面からは吻端に開口する』一対の『外鼻孔が観察でき、口腔内に開口している内鼻孔は見えない』。『ハイギョの歯は板状で「歯板」と呼ばれる。これは複数の歯と顎の骨の結合したもので貝殻も砕く頑丈なものである。獲物をいったん咀嚼を繰り返しながら口から出し唾液とともに吸い込むという習性を持つ。現生種はカエル、タニシ、小魚、エビなどの動物質を中心に捕食するが、植物質も摂食する。頑丈な歯板は化石に残りやすいため、歯板のみで記載されている絶滅種も多い。ハイギョの食道には多少の膨大部はあるものの、発達した胃はない。このためにじっくりと咀嚼を繰り返す。ポリプテルス類、チョウザメ類、軟骨魚類と同様に、腸管内面に表面積拡大のための螺旋弁を持つ。総排出腔は正中に開口せず、必ず左右の一方に開口する。糞はある程度溜めた後に、大きな葉巻型の塊として排泄する』。『硬骨魚類は肉鰭類と条鰭類の』二系統に分かれるとされるが、『四足類は肉鰭類から進化したとされる。肉鰭類の魚類は現在』シーラカンス(肉鰭亜綱総鰭下綱シーラカンス目ラティメリア属のラティメリア・カルムナエ(シーラカンス)Latimeria
chalumnae 及びラティメリア・メナドエンシス(インドネシアシーラカンス)Latimeria
menadoensis の二種)『とハイギョのみである。かつての総鰭類(肉鰭類から肺魚類を除いた群)は分岐学に基づいて妥当性が見直され、さらに、現生種に対して分子遺伝学手法が導入された結果、シーラカンスよりもハイギョが四足類に近縁とする考えや、それに基づいた分類が用いられるようになった』とある。]
かくの如く、優れた種族といふのは皆それぞれその得意とする所で相手に優るのであるから、競爭の結果、益々專門の方向に進むの外なく、專門の方向に進めば進むだけ專門以外の方面には適せぬやうになる。鳥の翼は飛翔の器官としては實に理想的のものであるが、その代り飛翔以外には全く何の役にも立たぬ。犬ならば餌を抑へるにも顏を拭ふにも地を掘るにも前足を用ゐるが、鳥は翼を用ゐることが出來ぬから止むを得ず後足または嘴を以て間に合せて居る。されば如何なる種族でも己が得意とする點で相手に優り得たならば、忽ち相手に打ち勝つてその地方に跋扈することが出來る。即ち水中ならば最もよく游ぐ種族が跋扈し、樹上では最もよく攀ぢる種族が跋扈し、平原ならば最もよく走る種族が跋扈することになるが、今日までに地球上に跋扈した種族を見ると、實際皆必ず或る專門の方面に於て敵に優つたものばかりである。
對等の敵と競爭するに當つては一歩でも先へ專門の方向に進んだものの方が勝つ見込みの多いことは、人間社會でも多くその例を見る所であるが、同じ仕事をするものの間では、一歩でも分業の進んだものの方が勝つ見込みがある。身體各部の間に分業が行はれ、同じく食物を消化するにも、唾液を出す腺、膵液を出す腺、硬い物を咀嚼する器官、液體を飮み込む器官、澱粉を消化する處、蛋白質を消化する處、脂肪を吸收する處、滓を溜める處などが、一々區別せられるやうになれば、身體の構造がそれだけ複雜になるのは當然であるから、數種の異なつた動物が同じ仕事で競爭する場合には、體の構造の複雜なものの方が分業の進んだものとして一般に勝を占める。古い地質時代に跋扈して居たさまざまの動物を見るに、いづれも相應に身體の構造の複雜なものばかりであるのはこの理由によることであらう。相手よりも一歩先へ專門の方向に進めば相手に打ち勝つて一時世に跋扈することは出來るが、それだけ他の方面には不適當となつて融通が利かなくなるから、萬一何らかの原因によつて外界の事情に變化が起つた場合には、これに適應して行くことが困難になるを免れぬ。相手よりも一層身體の構造が複雜であれば、無事のときには敵に勝つ望が多いが、複雜であるだけ破損の虞が增し、一旦破損すればその修繕が容易でないから、急に間に合はずして失敗する場合も生ぜぬとは限らぬ。恰も人力車と自動車とでは平常はとても競走は出來ぬが、自動車は少しでも破損すると全く動かなくなつて、到底簡單で破損の憂のない人力車に及ばぬのと同じことである。嘗て地球上に全盛を極めた諸種の動物は、各その相手に比して專門の生活に適することと分業の進んだこととで優つて居たために、世界に跋扈することを得たのであるが、それと同時にここに述べた如き弱點を具へて居たものであることを忘れてはならぬ。
[やぶちゃん注:「膵液」膵臓で分泌される消化液。重炭酸塩及び多種の消化酵素を含んでおり、消化酵素にはトリプシン・キモトリプシン・カルボキシペプチダーゼなどの蛋白質分解酵素、リパーゼなどの脂肪分解酵素、アミラーゼなどの炭水化物分解酵素、ヌクレアーゼなどの核酸分解酵素が含まれ、三大栄養素の全てを消化出来る。]
« 生物學講話 丘淺次郎 第二十章 種族の死(2) 一 劣つた種族の滅亡 | トップページ | 生物學講話 丘淺次郎 第二十章 種族の死(4) 三 歷代の全盛動物 »