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2016/02/06

ベトナムの夢

今朝方見た夢――

僕は富山にいるらしく、高校の非常勤の国語教師をしているらしい。

突然、僕はベトナムへ行こうと思う。

パスポートも持たず、飛行機に乗り込み、ベトナムに着くのだが、そこはハノイではなく、山間の都市である。パスポート提出をせずに山のだらだら長い急坂を降りて行く。

道に沿って褪赭色に濁った深い小川が恐ろしいスピードで流れている。

左手の斜面のところに、古い旧家らしいが、つい先頃、新しく建てられた豪華な家があって、そのエントランスを沢山の現地の人々が埋め尽くしている。

下って行く目の前の坂の小川の脇に、クバの葉で美事に編まれた二メートルほどの小舟が置かれている。舟の中央にはやはりクバの葉と木の枝で荒く組まれた小さな小屋が設えてあって、その中には、金襴に包まれた大きな繭のようなものが置かれている。

僕は立ち止まってそれを見ながら、それは今日亡くなった赤ちゃんの葬送なのだと思った。

すると、旧家の主人らしい老人が、僕を見つけ、近寄ってきて、小舟を指さしながら、ベトナム語で何か言った。

僕は無論、老人の言っていることが全く分からないのだが、その仕草を見ると、一緒に小舟を担いで呉れと言っていることが判るのであった。

僕は赤ん坊のことを思うとなんとなく可哀想になって、思わず頷いてしまうのであった。

すると、老人は僕の手を引っ張って、小舟の脇へと導き、老人が舳を、僕が艫を担いだ。舟は大方がクバ製だからごくごく軽い。

しかし僕は迂闊にも何故、舟かを考えていなかったのであった。老人は道の右手へずんずんそれて、その脇で奔流する泥川の中へと入ってゆくのであった。僕もかくなった以上はと胆を据えて小舟を肩に支えながら、小川の中に入ってみると、川は予想外に深く、僕は殆んど頭の天辺まで水没してしまうのであった。それでも川底を軽く蹴りながら、小舟を支えた。空気を吸うたびに、周囲を見ると、集まった人々が、拍手をして皆、笑っているのである。
少し下ると、舳の老人は右手の階梯から新居の玄関へと向かってゆき、そこでやっと儀式は終った。
老人と僕は、美しい絨緞の轢かれた玄関の間に小舟を降ろした。
老人は僕の両手を自分の両手でとって、とてもいい笑顔で、声をたてずに笑いながら、何度も何度も握手するのであった。

――そこで何故かは判らないが――僕は
――この小舟は赤子の葬送の舟なのではなくて――これは
――この新居を建てたことを産土(うぶすな:土地神)に奏上し、またそれを言祝いでもらうための祭祀である――と直感したのであった
――あの繭の形をしたそれは――産土の聖石なのだ――と知れたのであった……

それから僕は冷えた体を暖めるために、その旧家の前にある売店で暖かい飲み物を頼んだのだが……そこで店員が何故かパスポートの提示を求めた……僕が「ない」というポーズをすると……頂上の空港の方から沢山の武装警察官がやって来て僕は空港内の拘置所に拘引されてしまうのであった……

……その後、日本へ連絡が行き……僕の友人(僕の友人には実在しない背広を着た官僚のような男)が来て、
「……これは微妙な問題だ。」
と言い、何年も日本に帰れなくなるかも知れない、旅券法違反で何年もここで投獄されるかも知れない、などと言う。

(この辺りに、まるで映画のように、僕不在の日本の情景がインサートされ、亡くなっている母が生きていて、懸命に僕を帰国させようといろいろと手を尽くしているシーン、僕が勤めている学校の若い女性国語教師が、職員室で、僕がベトナムに不法入国した、という電話を誰彼にしているのを、そばにいた僕の教えている生徒が聴き、学校中に――僕が「ベトナムに亡命した」――という噂が広がるというシエピソードなどが描かれていた。
さらにベトナムでは、かの一緒に小舟を背負った旧家主人の老人が僕が留置されていることを知って、政府関係者に盛んにコンタクトをとっては、やはり懸命に僕の解放を求めようとするシークエンスもある。)

僕はベトナムの拘置所にいる。

鉄格子から射してくる夢のように青い月光を見上げながら、

『僕は……この牢屋の中で死ぬんだな……それもいいな……』
と思いながら、何故か、会心の笑みを浮かべているのであった…………
 
 
 
[やぶちゃん注0:僕は再任用その他の慫慂は一切断っており、四年前の早期退職以来、全くの無職である。中学高校過ごした富山には、もう二十年以上行っていない。]
[やぶちゃん注1:僕は十年前に一度、ベトナムに行っている。ハノイ到着直前から左耳が炎症性の重い航空性中耳炎となり、一週間、左耳が半分聴こえない状態であったが、再訪したい国である。]
[やぶちゃん注2:登場する不思議な小舟は二十六年前の初めての海外旅行で行ったペルーのチチカカ湖で買い求めた一メートルほどのトトラ舟に酷似し、中央の御霊屋のようなものは、かの那智の補陀落(ふだらく)渡海の舟のそれに似ていた。]
[やぶちゃん注3(追加):再読してみたら、赤ん坊の葬送と思って云々はこれ、坂が逆転してみれば、芥川龍之介の「年末の一日」終曲部の無意識のインスパイアだ! と気がついた。
 
 すると墓地裏の八幡坂(はちまんざか)の下に箱車(はこぐるま)を引いた男が一人、楫棒(かぢぼう)に手をかけて休んでゐた。箱車はちよつと眺めた所、肉屋の車に近いものだつた。が、側へ寄つて見ると、横に廣いあと口(くち)に東京胞衣(えな)會社と書いたものだつた。僕は後から聲をかけた後(のち)、ぐんぐんその車を押してやつた。それは多少押してやるのに穢(きたな)い氣もしたのに違ひなかつた。しかし力を出すだけでも助かる氣もしたのに違ひなかつた。
 北風は長い坂の上から時々まつ直に吹き下ろして來た。墓地の樹木もその度にさあつと葉の落ちた梢を鳴らした。僕はかう言ふ薄暗がりの中に妙な興奮を感じながら、まるで僕自身と鬪ふやうに一心に箱車を押しつづけて行つた。………]

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