「笈の小文」の旅シンクロニティ―― 香にゝほへうにほる岡の梅のはな 芭蕉
本日 2016年 2月16日
貞享5年 1月15日
はグレゴリオ暦で
1688年 2月16日
伊賀の城下にうにと云(いふ)ものあり、
わるくさき香(か)なり
香にゝほへうにほる岡の梅のはな
「有磯海」(浪化扁・元禄八(一六九五)年刊)より。
土芳「蕉翁全伝」(宝永年間(一七〇四年~一七一一年頃成立か)の前書には、
伊賀山家に、うにといふ物有(あり)。
土の底より掘出(ひりいで)て薪とす。
石にもあらず、木にもあらず、黑色に
してあしき香有。そのかみ、高梨野也
(のや)、これを考(かんがへ)て
曰(いはく)、「本草に石炭(いしずみ)
といふ物あり。いかに申伝(まうしつ
た)へて、此國にのみ燒きならはしけ
ん、いとめづらし。」
とある。高梨野也は名は揚順、京の医師で貞門七俳仙の一人であった高瀬梅盛(ばいせい)門の俳人。この「うに」は伊賀・伊勢・尾張地方での、亜炭・泥炭等の品質の低い石炭の古称で、伊賀山中では古山(ふるやま)で採掘されていた。ここは実際の採掘時の炭の臭気がしたのではなく、野也の解説を見るに仮想した言い掛けの句であることがわかる。しかも実は恐らくは「うに」が「めづらし」が本体にあって、その粗野なる風雅ならざるくさい臭いに伝統の梅の香をぶつける対立のモンタージュにこそ本句の眼目ある。この句以下三句は同時期に読まれたと推定されており(後掲する「手鼻かむ」の句と句作りの酷似性が認められる)、後の翌三月十一日に訪れた土芳の蓑虫庵で初めて披露されている。
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