「笈の小文」の旅シンクロニティ―― 二日にもぬかりはせじな花の春 芭蕉
本日 2016年 2月 2日
貞享5年 1月 1日
はグレゴリオ暦で
1688年 2月 2日
宵の年、空の名殘惜(をし)まんと、酒飮み夜更かして、元日寢忘れたれば、
二日にもぬかりはせじな花の春
「笈の小文」より。歳旦句(この年は九月三十日に元禄に改元)。
「篇突(へんつき)」(許六等編・元禄一一(一六九八)年刊)には、
空の名殘おしまむと舊友の來りて酒興
じけるニ、元日の晝まで伏(ふし)て
曙(あけぼの)見はづして
と前書し(「おしまむ」はママ)、また「泊船集」(風国編・元禄十一年刊)には、
元日ハ晝まで寢てもちくひはづしぬ
と前書する。
土芳の「赤冊子」で、芭蕉はこの句について、『等類の氣遣ひなき趣向を得たり』と述べたことが載る。類型句のありそうな気遣いが全く必要がない句であるということで、しゃっちょこばって言祝ぎすべき歳旦の句を、型破りに前例なく滑稽にいなしたところに面白さがあるのである。というより、前日の句「古里や臍の緒に泣く年のくれ」が、謂わば、能の「シオリ」を孕んだ黙して語り得ぬ深く沈んだ重みを持つものであったのを、うって変わって歳旦の挨拶句として俳文としてリズミカルに繋げるには、春の大道芸の万歳が山家に来たったような、如何にも軽快な面白さ、まさに間(アイ)狂言の如きメーターの大きな振れが必要であったのだと私は思うのである。
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