柳田國男 蝸牛考 初版(21) 物の名と智識(Ⅱ)
或は又伊豫地方のやうに、特に右のミナ即ち河貝子をカハニナと謂ふ例もある。伊勢の度會郡ではこれをコナ、紀州南牟婁郡神川村などはゴニラ、豐後の日田郡でコウヒナといつて居る。ゴウナは肥後の玉名郡で細螺即ち東京のキシヤゴのことであり、遠州濱名郡庄内でも、海に居る一種の蜷貝をゴウナイと謂つて居る。寄居貝即ちヤドカリの住む貝のみを、ゴウナと謂ふのは普通であるが、是とてもいつたん川蜷の名を經てから移つたものかも知れない。現に下總の利根上流では、ゴウナイは小川に棲むキセル貝のことであつた。下野河内郡ではこれをカハジラと謂ひ、嶺を越えて福島縣に入つて行くと、弘くこの同じ蜷をカンニョプ、またはガンニョウボウなどと謂ふのであるが、これも恐らくは亦カワビナの轉靴であらう。山形縣の最上地方では、之をミョウゴツブ亦はミョウゴカエと呼んで居る。前のカンニョプと地域も接近し、外形も「川」の語を除けばよく似て居るが、果して類推が許されるかどうか。兎に角に此語は越後新發田のニョウニョウや、越中各地のミョウミョウを中に置いて、遠く加賀能美郡などの蝸牛の方言、ミョウゴとの連絡が付くのであつて、此關係はちやうど又沖繩縣下の、チダミ・ツンナンのそれと似て居るのである。
[やぶちゃん注:「神川村」「かみかわむら」と読む。三重県南牟婁郡にあった村で現在の熊野市神川町(ちょう)の各町及び育生(いくせい)町の各町に相当する。
「日田郡」「ひた」と読む。現在、大分県日田市。北九州の中央部に位置する。
「玉名郡」有明海の諫早湾の東の対岸、福岡県大牟田市の南の、現在の熊本県玉名市及び玉名郡の旧郡名。
「遠州濱名郡庄内」「濱名郡」は静岡県の旧郡(ほぼ現在の浜名湖西岸の湖西市の西端の一部(白須賀・境宿)に相当する)で、「庄内」は南庄内村及び北庄内村の村域と思われる。具体的には浜名湖に北から貫入する庄内半島の根と中央部一帯に当たる(同半島先端部は同村ではなく、独立した村櫛村(むらくしむら)である)。
「キシヤゴ」改訂版では『キシャゴ』。腹足綱前鰓亜綱古腹足目ニシキウズガイ超科ニシキウズガイ科サラサキサゴ属キサゴ Umbonium costatumやその仲間を指す。前の「ヤマシタダミ」の私の注を参照されたい。
「寄居貝」ルビを振っていないということは柳田はこれで以下と同じ「やどかり」と当て読みさせていると考えるべきであろう。甲殻亜門軟甲(エビ)綱十脚(エビ)目抱卵(エビ)亜目異尾(ヤドカリ)下目ヤドカリ上科 Paguroidea に属し、主として腹足類(巻貝)の貝殻に体を収納し、その貝殻を背負って生活している甲殻類を総称するヤドカリは「宿借」「寄居虫」「寄居蟹」などと漢字表記し、また古語では「かみな」「かむな」「かうな」「がうな」「ごうな」など呼称した。
「ゴウナイは小川に棲むキセル貝」この謂い方は生物学的ではない。「キセル貝」は腹足綱有肺目キセルガイ科 Clausliidae に限定された和名であって、彼らは有肺類であることから判る通り、全種が陸生貝類で、「小川」の中に「棲む」ことは絶対にないからである。柳田は「キセル貝」を所謂、カワニナのような螺塔の高い、細身のそれの謂いで用いているのであるが、生物としてのカタツムリの名前の呼称の変化変遷を具体例として方言周圏論を主題としする本書に於いて、蝸牛とはずれる生物種であるからと言って、こんないい加減な生物群名をごちゃごちゃにして使う(実際、私は、このところ、電子化をしながら彼が「螺」や「蜷」を安易に混淆して用いているのには生理的嫌悪感さえ感じていることを告白しておく)のは学術論文として救い難い誤謬であると断言するものである。
「カンニョプ」「ガンニョウボウ」を柳田は「カワビナ」が元で、「カン」も「ガン」も「川」の訛りとしているが、本当にそうだろうか? 私はこの呼称を一見直ちに「カン」「ガン」は蟹と置き換えた。実際に例えば有明地方では蟹のことを「ガン」と呼ぶ。これらは「蟹女房」であって「川螺」→「カワビナ」の転訛なんどではないと私は感ずるものである。川蟹の代表格であるサワガニやモクズガニの類いはカワニナ類の天敵で大好物なのであるが、彼らがそれら捕食するのを見た者が逆に蟹に寄り添う女房に川螺を譬えたのではあるまいか?
「越後新發田」現在の新潟県下越地方にある新発田(しばた)市。同市は現在、北蒲原郡聖及び東蒲原郡と隣接している(次注下線部参照)。
「加賀能美郡などの蝸牛の方言」「能美」は「のみ」と読む。石川県に現存する郡であるが、当時は現在の川北町(かわきたまち)以外に能美市全域と小松市の大部分及び白山市の一部を含む広域であった。なお、後の改訂版の「蝸牛異名分布異名表」には、まさに石川の一部と佐渡の「ミョウミョウ」と新潟北蒲原の「ニョウニョウ」との間に、この能美のものとして「ミョウゴ」が挙がっている(底本の異名表はアイウエオ順になっていて、この文脈の絶妙の臨場感が逆に読み取れなくなっている)。]
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