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2016/02/24

生物學講話 丘淺次郎 第十七章 親子(7) 三 子の飼育(Ⅱ)

Penginesa

[子に餌を與へる「ペンギン鳥」]

 [やぶちゃん注:本図は底本の国立国会図書館国立国会図書館デジタルコレクションの画像からトリミングし、補正を加えた。]

 親鳥が雛を養ふ仕方も、種類によつて種々に違ふ。燕などは捕へて來た昆蟲をそのまゝ雛の口に移してやるが、雀や「からす」もこれと同樣で、そこで啄んだ食物をそのまゝ子に與へるのを屢々見掛ける。鷲や鷹の類は捕へ殺した餌を、更に小さく裂いて雛に食ひ易いやうにしてやる。動物園の鶴なども子にやるときには、「どぜう」をまづ少さく嚙み切り、水で洗うて與へる。また「ペリカン」の如き鳥は、一度嚥み込んだ餌を口まで吐き出して子に啄ませる。鳩類では雛が孵化する頃には、雌雄ともに嗉囊の壁が厚くなり、特に一種の濃い滋養液を分泌し、これを口から吐き出して子の口に移してやる。昔から『「からす」に反哺の孝がある』といひ傳へたのは恐らく、鳥類の親が雛の口の中へ餌を移し入れてやる所を遠方から見て、子が親を養ふのかと思ひ誤つたためであらう。烏類に限らず如何なる動物にも、子が生長し終つた後に、老耄して生き殘つて居る親に餌を與へて養ふものは、決して一種たりともない。それはかゝることをしても種族の維持のためには何の役にも立たぬのみか、餌が少くて生活の困難な場合には、却つて種族のために明に不利益になるからであらう。

[やぶちゃん注:「嗉囊」「そなう(そのう)」と読む。鳥類(他に軟体動物・昆虫類・貧毛類の多くの種が持つ)の消化管の一部で、食道に続く薄壁の膨らんだ部分の呼称。食べ物を一時的に蓄えておく場所とされる。

「どぜう」正しい歴史的仮名遣表記は「どぢやう」である。私の中毒(数ヶ月食べないと気持ちが沈んでくるのである)の店駒形ぜう」公式サイトの「のれんの由来」に、『「どぜう」としたのは初代越後屋助七の発案で』、文化三(一八〇六)年の『江戸の大火によって店が類焼した際に、「どぢやう」の四文字では縁起が悪いと当時の有名な看板書き「撞木屋仙吉」に頼み込み、奇数文字の「どぜう」と書いてもら』ったところが、『これが評判を呼んで店は繁盛。江戸末期には他の店も真似て、看板を「どぜう」に書き換えたと』伝える、とある。目から泥鰌(どぜう)!

『「からす」に反哺の孝がある』梁武帝の「孝思賦」や、一二四六年成立の宋代の祝穆(しゅくぼく)編になる類書(辞書)「事文類聚」などの故事に基づく「慈烏反哺(じうはんぽ)」「烏(からす)に反哺(はんぽ)の孝(こう)あり」という故事成句。鴉は成長した後は親鳥の口に餌を含ませて(「反」は「返す」の、「哺」は口の中の食物の意)養育の恩に報いる、という丘先生のおっしゃる通り、誤認に基づいたもので、畜生で死肉を啄む邪悪な鴉でさえも親の恩に報いるのであるから、ましてや、人は親孝行をせねばならぬという意。

「ペリカン」鳥綱真鳥亜綱新鳥下綱新顎上目ペリカン目ペリカン科ペリカン属 Pelecanus のペリカンの仲間。コロニー(集団繁殖地)を形成することで知られる。ウィキの「ペリカンによれば、『ペリカンが胸に穴を開けてその血を与えて子を育てるという伝説があり』、『あらゆる動物のなかで最も子孫への強い愛をもっているとされる。この伝説を基礎として、ペリカンは、全ての人間への愛によって十字架に身を捧げたキリストの象徴であるとされ』、『このようなペリカンをキリストのシンボルとみなす記述は、古くは中世の著作にも見つけることができる』。また、カツオドリ目ウ科 Phalacrocoracidae の鵜の類を指す「鵜」(音は「ダイ・テイ」)という漢字があるが、これは『もともとはペリカンの意である』とある。目から鵜(ぺりかん)! にしても、何故、挿絵は「ペリカン」でなく、「ペンギン」(新顎上目ペンギン目 Sphenisciformes)なんじゃろ? 本文に言及がなく挿絵が載る例は今までもなかった訳ではないものの、極めて異例ではある。しかも「ペリカン」と「ペンギン」は妙に文字が似ている。丘先生か或いは編集を手伝った助手が図を選ぶ際、「ペリカン」を「ペンギン」と誤認した可能性、或いは子に餌を与えるペリカンの適当な原図が見当たらなかったので「ペンギン」で代用した可能性が想定される。]

Hatiesahakobu

[餌を運ぶ蜂]

 [やぶちゃん注:本図は底本の国立国会図書館国立国会図書館デジタルコレクションの画像からトリミングし、補正を加えた。]

 昆蟲類の中でも蜂の類には、子を養ふために親蟲が盛に餌を集めて貯藏するものがある。蟻や蜜蜂のことは省くとして他の種類に就いていうて見るに地中に孔を穿つてその中に卵を産んで置く所謂「地峰」の類は、晝の間は絶えず飛び廻つて「くも」や昆蟲類などを捕へ、尻の先の毒針を以てその蟲を刺して麻痺せしめ、動けぬやうにして置いてこれを孔の中へ運び入れ、自分の幼蟲に食はせる。

[やぶちゃん注:「ファーブル昆虫記」の圧巻の観察(昆虫が苦手な小学五年の私が苦手であることを忘れて読みふけった箇所であった)で知られる、対象を美事な針さばきで麻酔させ(特定の神経節を狙う)、卵を産み込み、土中に封鎖、麻酔された対象生物は生きながらにして蜂の幼虫に内側から食われるという、強烈なあの、巣を造らない、

 単独性「狩り蜂」

のことである。具体的には、

 ドロバチ(ドロバチ科Eumenidae

 アナバチ(ミツバチ上科アナバチ(ジガバチ)科 Sphecidae

 ベッコウバチ(ベッコウバチ科 Pompilidae

等の仲間で、親が幼虫の摂餌対象として選んで卵を産み附けるのは、丘先生の記すように昆虫やクモ類である。図のそれは奥の地面に収納するための穴のようなものが描かれていること、触角の形状が顕著でないことなどから、ジガバチ科の類のように私には見うけられる。因みに、よく似た習性のものに通常は麻酔をせずに卵を産み附ける(後掲するように中間型の特異種がいる)ところの、

 「寄生蜂」

とは異なるので注意されたい。ウィキの「寄生バチ」によれば、膜翅(ハチ)目 Hymenoptera 中、『生活史の中で、寄生生活する時期を持つものの総称である。分類学的には、ハチ目ハチ亜目寄生蜂下目 Parasitica に属する種がほとんどであるが、ヤドリキバチ上科(ハバチ亜目)』(ヤドリキバチ上科 Orussoidea・ハバチ亜目=広腰亜目 Symphyta)や『セイボウ上科(ハチ亜目有剣下目)』(セイボウ上科 Chrysidoidea・有剣下目 Aculeata)『など、別の分類群にも寄生性の種がいる』とある。以下動物寄生の箇所を引く(植物体寄生種もいる)。『動物に寄生するものは、一匹のメスが宿主に卵を産みつける。卵から孵った幼虫は、宿主の体を食べて成長する。その過程では宿主を殺すことはないが、ハチの幼虫が成長しきった段階では、宿主を殺してしまう、いわゆる捕食寄生者である』。『外部寄生のものは宿主の体表に卵が産み付けられ、幼虫はその体表で生活する。内部寄生のものも多く、その場合、幼虫が成熟すると宿主の体表に出てくるものと、内部で蛹になるものがある』。『宿主になるのは昆虫とクモ類で、昆虫では幼虫に寄生するものが多いが、卵に寄生するものもある。寄生の対象となる種は極めて多く、昆虫類ではノミやシミなど体積の問題がある種を除いて寄生を受けない種はないといわれ、すでに寄生中のヤドリバチやヤドリバエの中にすら二重三重に寄生する。ただし、一部の種には後から寄生してきたハチを幼虫が食い殺す例もあることが発見されている』。『動物に寄生する寄生バチは、いわゆる狩りバチと幼虫が昆虫などを生きながら食べ尽くす点ではよく似ている。相違点は、典型的な狩りバチでは雌親が獲物を麻酔し、それを自分が作った巣に確保する点である。その点、寄生バチは獲物(宿主)を麻酔せず、またそれを運んで巣穴に隠すこともない。しかし中間的なもの(エメラルドゴキブリバチなど)が存在し、おそらく寄生バチから狩りバチが進化したと考えられる』とある。このハチ亜目ミツバチ上科セナガアナバチ科セナガアナバチ属エメラルドゴキブリバチ Ampulex compressa はゴキブリを特異的に幼虫宿主に選ぶことで知られ、見た目はスマートで名前通りの金属光沢を持った青緑色で美しい種であるが、その産卵生態たるや、一見、猟奇的ですこぶる科学的で、非常に面白い。ウィキの「エメラルドゴキブリバチ」から引いておく。エメラルドゴキブリバチは寄生蜂グループとしては異例に、『ゴキブリの特定の神経節を狙って刺していることが』確認されており、一回目の『刺撃では胸部神経節に毒を注入し、前肢を穏やかかつ可逆的に麻痺させる。これは、より正確な照準が必要となる』二回目の『刺撃への準備である』。二回目の『刺撃は脳内の逃避反射を司る部位へ行われる。この結果、ゴキブリは』三十分ほど『身繕いの動作を行い、続いて正常な逃避反射を失って遅鈍な状態になる』。二〇〇七年には『エメラルドゴキブリバチの毒が神経伝達物質であるオクトパミン』(octopamine)『の受容体をブロックしていることが明らかとなっ』ている。『続いてハチはゴキブリの触角を』二本とも『半分だけ噛み切る』(絶妙!!!)。『この行動はハチが自分の体液を補充するため、もしくはゴキブリに注入した毒の量を調節するためであると考えられている。毒が多すぎるとゴキブリが死んでしまい、また少なすぎても幼虫が成長(後述)する前に逃げられてしまうからである。エメラルドゴキブリバチはゴキブリを運搬するには体が小さい。従って巣穴までゴキブリを運ぶ際には、ゴキブリの触角を引っ張って誘導するように連れて行く。巣穴に着くと、ハチはゴキブリの腹部に長径』二ミリメートルほどの『卵を産み付ける。その後ハチは巣穴から出てその入り口を小石で塞ぎ、ゴキブリが他の捕食者に狙われないようにする』。『逃避反射が機能しないため、ハチの卵が孵るまでのおよそ』三日間、『ゴキブリは巣穴の中で何もせずに過ごす。卵が孵化すると、幼虫はゴキブリの腹部を食い破って体内に侵入し、これを食べながら』四~五日の間、『捕食寄生生活を送る』。幼虫は八日の間、『ゴキブリが死なない程度に内臓を食べ続け、そのままゴキブリの体内で蛹化する。最終的に変態を遂げたエメラルドゴキブリバチはゴキブリの体から出、成虫としての生活を送る。一連の成長は気温の高い時期ほど早い』とある。読む限りでは「寄生蜂」と「狩り蜂」の『中間型』というよりは、しっかり「狩り蜂」、それも特異な手法を持った奇体な種と呼ぶのが相応しいように思われる。] 

 

 昔の人はこの類が毎日「くも」を地に埋めるのを見、またその同じ孔から蜂の子が出て來るのを見て、「くも」が蜂に變化するのであらうと早合點して、この蜂の名前に「似我蜂」といふ字を當て、この蜂は實子を産まず、「くも」を連れて來て養子とし、「我に似よ」、「我に似よ。」というて埋めて置くと、やがてその「くも」が蜂になるなどといふ牽強附會な説を造つた。かやうな例はなほ他にも幾つもあつて、卵を産むときに一度だけ餌を添ヘて置くものや、卵が孵つて幼蟲になつてからも屢餌を持つて來て與ヘるものなど、多少相異なつた方法で子を養うて居る。

[やぶちゃん注:「似我蜂」これで「ジガバチ」と読む。前に注したように典型的な単独性「狩り蜂」で、幼生の摂餌に選ぶ対象は青虫(あおむし:蝶や蛾を含む鱗翅(チョウ)目の幼虫の中で長い棘毛などで体を覆っていない緑色を呈する幼虫類の総称)である(同科で似た生態で「ジガバチ」の名を附すが、ジガバチ亜科ジガバチ亜科ジガバチ族 Ammophiliniではない、全く別な属種群である
Sceliphron
 属はクモ類を選ぶ)である(かのファーブルが感嘆したのもこのジガバチ科アラメジガバチPodalonia
hirsuta
であった)。ウィキの「ジガバチによれば、『ジガバチの名は、その羽音に由来し、虫をつかまえて穴に埋め』、「似我似我(じがじが、我に似よ)と言っている」のだという『伝承に基づく。じがじがと唱えたあと、埋めた虫が後日ハチの姿になって出てきたように見えたためである』とある。目から似我蜂(じがばち)!]

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