生物學講話 丘淺次郎 第十九章 個體の死(4) 三 壽 命
三 壽 命
非業の死を免れたものはいつまで生きるかといふに、その期限は種類毎にそれぞれほゞ定まつて居る。これを壽命と名づける。即ち各種生物の生まれてから食つて産んで死ぬまでの年敷を指すのであるが、身體の大きなものは生長に手間がかかるから、身體の小さなものよりも自然壽命が長い。例へば象や鯨は鼠・「モルモット」に比べると遙に長命である。しかし壽命は必ずしも身體の大きさと比例するものではない。犬は二十年で老衰するが、犬よりも小さな鳥は百年以上も生きる。馬は三四十年で死ぬが、「ひき蛙」は五十年餘も生きて居る。しからば壽命なるものは何によつて定まるかといふに、如何なる動物でも、子二孫を遺す見込みの立たぬ前に死んではその種族が忽ち斷絶するは知れたこと故、必ず若干の子を産むに足るだけの壽命がなければならず、そして極めて多數の子を産めば、そのまゝ親が死んでも種族の繼續する見込みが確に立つが、稍々少數の子を産むものはこれを保護・養育して競爭場裡に安心して手放せるやうに仕上げてからでなければ親は死なれぬ。實際動物各種の壽命を調べて見ると、皆この説に定まつて居る。
[やぶちゃん注:「小さな鳥は百年以上」セキセイインコで七年、九官鳥で十五年、こちらの記載に動物学者によれば、鳥綱スズメ目スズメ亜目カラス科カラス属 Corvus のカラス類の寿命は十年から三十年であるが、人に飼育されていたカラス属クマルガラス Corvus dauuricusが六十年も生きていたという記録もあるとある(私がカラスを出したのは実は学術文庫版ではここは『烏(からす)』となっているからである。底本は確かに「鳥」(とり)であって「烏」ではないことを断わっておく)。また、オウムに至っては百年以上生きた例もあるとするから、丘先生の「百年以上」も強ち大袈裟とは言えない。因みに多くの個別動物の寿命を纏めたものはインターネット動物園「動物図鑑」の「動物の寿命」がよい。因みに、丘先生の挙げた生物は現在の推定知見では(複数のネット情報を比較勘案した)、
「象」は自然状態で五十から七十年(飼育下で五十~八十年)。
「鯨」は種によっては約二百十一年。短命の種でも百三十五年から百七十五年。
「鼠」大型種で約三年。二十日鼠で一年から一年半。
「モルモット」齧歯(ネズミ)目ヤマアラシ亜目テンジクネズミ上科テンジクネズミ科テンジクネズミ属モルモット Cavia porcellus は凡そ五から八年。
「犬」十二年から十五年。私の先代のアリスは十六年と一ヶ月生きた。
「馬」二十五から三十年で、四十年生きればとても長寿とされる。
「ひき蛙」自然環境下で条件さえ良ければ十五年以上、飼育下の両生綱無尾目カエル亜目ヒキガエル科ヒキガエル属ヨーロッパヒキガエル Bufo bufoで最長三十六年の記録がある
とある(丘先生の「五十年餘」は自来也の類いの伝承物?)。但し、「ゾウの時間 ネズミの時間」で知られる私の敬愛する生物学者本川達雄氏(現在、東京工業大学理学部生物学教室教授)によれば、代謝(特に心拍の周期(心周期)。ヒトは凡そ一秒、ネズミは〇・二秒ネコは〇・三秒、ウマは二秒、ゾウは三秒)から各生物体の生体内の時間は体重の四分の一乗に比例し、例えば体重が二倍になると時間が一・二倍長くゆっくりとなる(例えば三〇グラムのハツカネズミと三トンのゾウでは体重が十万倍異なるから個体生体内時間のスケールは十八倍も異なることになり、ゾウはネズミに比べて時間が十八倍緩やかに経過するという比較になる。本川先生よれば(例えばこちらのインタビュー記事を参照されたい)哺乳類の場合、各種の動物の寿命を心周期で割ってみると、単純計算で十五億回打って心臓は停止するとされ、心周期に限った生物学的なヒト本来の寿命は二十六・三年だそうである。……あなたの二十六歳の時を思い出し給え。……その時何をしていたかを。それが君の本来の生物学的死の時であったのだ。私は最初に担任を持って修学旅行に引率した年だった……]
生物の壽命に就いては昔から種々の説が唱へられ、その中には隨分廣く俗間に知られて居るものがある。一例を擧げると、如何なる動物でもその壽命は生長に要する年月の五倍に定まつて居るといふ説があるが、これには少しも據り所はない。身體の大きくなることが止まり、生殖の器官が十分に成熟したときを通常生長の終つたときと見倣すが二三の最も普通な動物に就いてその壽命とこの期限とを比較して見たら、直にかゝる説の取るに足らぬことが知れる。例へば蠶は發育を始めてから約一箇月で生長し終つて卵を産むが、その後四箇月生きるかといふと僅に四日も生きては居ない。「かげろふ」の幼蟲は二年もかかつて水中で生長するが、翅が生えて飛び出せば僅に數時間で悉く死んでしまうて、決して十年の壽命は保たぬ。アメリカの有名な「十七年蟬」の如きは、幼蟲は十七年もかかつて地中で生長し、成蟲となつて卵を産めば數日で死ぬが、これなどは五倍説に隨へば八十五歳まで生きねばならぬ筈である。また他の類から例を取つて見るに、鶴は二年で生長し終るが、その壽命は十年と限らず、よく百年以上も生きる。「からす」の如きも雛は數箇月で生長し終るが、壽命はやはり百年に達する。總じて鳥類は甚だ命の良いもので、生長期限の何十倍にも當るのが常である。また魚類の如きは卵を産むやうになつてから後も引き續いて身體が大きくなるから、生長の終をいつと定めることが出來ぬ。かやうな次第で種々の動物から實際の例を擧げて比べて見ると、生長に要する年散と壽命の年數との割合は種類によつてそれぞれ違ふもので、決して一定の率を以ていひ表し得べき性質のものでないことが明である。たゞいづれの場合にも種族繼續の見込みのほゞ確に附いた頃に親の命が終ることだけは例外のない規則のやうに見える。前の例に就いて見ても、蠶は各々の雌蛾が數百粒の卵を産んで置きさへすれば、後は捨てて置いても蠶の種族の絶える虞はないと見込んだ如くに、殆ど産卵が濟むと同時に壽命が盡きる。これに反して鳥類は概して運動が敏活であり、隨つて滋養分を多量に要するが、毎日食つた食物の中から自身を養ふべき滋養分を引き去つた、殘りの滋養分だけが溜つて卵を造る材料となるのであるから、餘程食物が潤澤になければ卵を多く産むことは出來ぬ。しかも鳥類の卵はすべての動物の中で最も滋養分を含んだ最も大きな卵でゐるから、これを數多く産むことは到底望まれぬ。雛の如く人に飼はれて常に豐富に餌を食ふものは一年に百以上も卵を産むが、野生の鳥類は食物の十分にあるときもあれば、食物の甚しく缺乏するときもあり、且競爭者もあること故、平均しては決して豐富とはいはれぬ。それ故鳥類が一年に産む卵の數は極めて少いのが通常であつて、十個も産めば頗る多産の方である。大きな鳥は大抵一年に一個もしくは二個の卵より産まぬ。その上鳥類の卵は頗る壞れ易いもので、雛が孵化する前に何かの怪我で破損する場合も決して少くはなからう。されば鳥類は餘程の長命でなければ種族維持の見込みが立たぬ。一年に卵を一つより産まねば、百年かかつても僅に百個産むに過ぎず、これを如何に大事に保護養育しても非業の死を遂げるものが相應にあるから、命は長くても決して必要以上に長いわけではない。他の動物に比べて鳥類の壽命が特に長いのは、恐らくかやうな事情が存するからであらう。
[やぶちゃん注:『「かげろふ」の幼蟲は二年もかかつて水中で生長する』蜉蝣(カゲロウ)については本テクストに限らず、今まで散々に注して来たが、以前のものにはどれもやや不満足な部分があるので、ここに決定版の注を記すこととする。「かげろふ(かげろう)」即ち、真正のカゲロウ類は、生物学的には、
昆虫綱蜉蝣(カゲロウ)目Ephemeroptera
に属する昆虫類のみの総称である。昆虫の中で最初に翅を獲得したグループの一つであると考えられている。本邦産の種群の代表例は以下。
トビイロカゲロウ科
Leptophlebiidae(四属九種)
トビイロカゲロウ属トビイロカゲロウParaleptophlebia spinosa 他
カワカゲロウ科
Potamanthidae(一属二種)
カワカゲロウ属キイロカワカゲロウ Potamanthus formosus
カワカゲロウ属オオカワカゲロウ Potamanthus fuoshanensis
モンカゲロウ科
Ephemeridae(一属四種)
モンカゲロウ属モンカゲロウ Ephemera strigata
モンカゲロウ属フタスジモンカゲロウEphemera japonica 他
シロイロカゲロウ科
Polymitarcyidae(一属三種)
シロイロカゲロウ属オオシロカゲロウEphoron shigae 他
ヒメシロカゲロウ科
Caenidae(二属三種以上。最も分類が遅滞している科)
ヒメシロカゲロウ属 Caenis
ミツトゲヒメシロカゲロウ属 Brachycercus
マダラカゲロウ科
Ephemerellidae(六属二十三種以上)
アカマタラカゲロウ属アカマダラカゲロウ Uracanthella punctisetae
トゲマダラカゲロウ属オオマダラカゲロウ Drunella basalis
トウヨウマダラカゲロウ属クロマダラカゲロウCincticostella nigna 他
ヒメフタオカゲロウ科
Ameletidae(一属六種)
ヒメフタオカゲロウ属ヒメフタオカゲロウ Ameletus montanus 他
コカゲロウ科
Baetidae(十一属三十九種以上)
コカゲロウ属フタバカゲロウ Baetiella japonica
コカゲロウ属シロハラコカゲロウ Baetiella thermicus 他
ガガンボカゲロウ科
Dipteromimidae(一属二種)
ガガンボカゲロウ属ガガンボカゲロウDipteromimus tipuliformis
ガガンボカゲロウ属キイロガガンボカゲロウ Dipterominus flavipterus
フタオカゲロウ科
Siphlonuridae(一属四種)
フタオカゲロウ属オオフタオカゲロウ Siphlonurus binotatus 他
チラカゲロウ科Isonychiidae(一属三種)
チラカゲロウ属チラカゲロウIsonychia japonica 他
ヒトリガカゲロウ科Oligoneuridae(一属一種)
ヒトリガカゲロウ属ヒトリガカゲロウOligoneuriella rhenana
ヒラタカゲロウ科Ecdyonuridae(八属四十二種以上)
ヒラタカゲロウ属ウエノヒラタカゲロウ Epeorus curvatulus
ヒラタカゲロウ属ナミヒラタカゲロウEpeorus ikanonis
ヒラタカゲロウ属エルモンヒラタカゲロウ Epeorus latifolium
タニガワカゲロウ属クロタニガワカゲロウ Ecdyonurus tobiironis
タニガワカゲロウ属シロタニガワカゲロウEcdyonurus yoshidae
ヒメヒラタカゲロウ属サツキヒメヒラタカゲロウ Rhithrogena tetrapunctigera 他
幼虫はすべて水生である。不完全変態であるが、幼虫→亜成虫→成虫という「半変態」と呼ばれる特殊な変態を行う。成虫は軟弱で長い尾を持ち、寿命が短いことでよく知られる。主に参照したウィキの「カゲロウ」によれば(この記載は優れて博物学的である。但し、上記の種群は同ウィキには必ずしも従っていない)、目の学名エフェメロプテラはギリシャ語で「カゲロウ」を指す「ephemera」と、「翅」を指す「pteron」からなるが、この「ephemera」の原義は 「epi」(on)+「hemera」(day:その日一日)で、カゲロウの寿命の短さに由来する(ギリシャ語で「ephemera」(エフェメラ)は、チラシやパンフレットのような一時的な筆記物及び印刷物で、長期的に使われたり保存されることを意図していないものを指す語としても用いられるが、これも、やはりその日だけの一時的なものであることによる)。和名の「カゲロウ」については、『空気が揺らめいてぼんやりと見える「陽炎(かぎろひ)」に由来するとも言われ、この昆虫の飛ぶ様子からとも、成虫の命のはかなさからとも言われるが、真の理由は定かでない。なお江戸時代以前の日本における「蜉蝣」は、現代ではトンボ類を指す「蜻蛉」と同義に使われたり、混同されたりしているため、古文献におけるカゲロウ、蜉蝣、蜻蛉などが実際に何を指しているのかは必ずしも明確でない場合も多い』。『例えば新井白石による物名語源事典『東雅』(二十・蟲豸)には、「蜻蛉 カゲロウ。古にはアキツといひ後にはカゲロウといふ。即今俗にトンボウといひて東国の方言には今もヱンバといひ、また赤卒をばイナゲンザともいふ也」とあり、カゲロウをトンボの異称としている風である。一方、平安時代に書かれた藤原道綱母の『蜻蛉日記』の題名は、「なほものはかなきを思へば、あるかなきかの心ちするかげろふの日記といふべし」という中の一文より採られているが、この場合の「蜻蛉」ははかなさの象徴であることから、カゲロウ目の昆虫を指しているように考えられる』。『クサカゲロウやウスバカゲロウも、羽根が薄くて広く、弱々しく見えるところからカゲロウの名がつけられているが、これらは完全変態をする昆虫で、カゲロウ目とは縁遠いアミメカゲロウ目に属する』とある。
さてここからが肝心。
この最後の『クサカゲロウやウスバカゲロウも、羽根が薄くて広く、弱々しく見えるところからカゲロウの名がつけられているが、これらは完全変態をする昆虫で、カゲロウ目とは縁遠いアミメカゲロウ目に属する』の部分を補注すると、
クサカゲロウは有翅昆虫亜綱内翅上目脈翅(アミメカゲロウ)目脈翅亜(アミメカゲロウ)亜目クサカゲロウ科 Chrysopidae
に属し、「クサカゲロウ」は「カゲロウ」と名にし負うものの、カゲロウ目とは極めて縁が遠いのである。附言しておくと、クサカゲロウの幼虫『は柔らかな腹部と、小さな頭部に細く鎌状に発達した大顎を持つ。足は三対の胸脚のみで、全体としてはアリジゴクをやや細長くしたような姿である。すべて肉食性で、アブラムシやハダニなどの小動物を捕食するためアリマキジゴクと呼ばれる。この食性から農業害虫の天敵としても利用されている。種によっては、幼虫は背面に鉤状の毛を持ち、そこに様々な植物片や捕食した昆虫の死骸などを引っ掛け、背負う行動を取る』。彼ら幼生は陸生で水中には棲まない。因みに、クサカゲロウ類の卵は長い卵柄を持ったもので、一単体で産む種も多いが、中に卵柄を紙縒(こより)状に絡ませた卵塊状で産みつける種がおり、この卵を俗に「憂曇華・優曇華(うどんげ)」と呼ぶが、これは「法華経」に出る、三千年に一度如来の降臨とともに咲くとされる伝説上の花である。確かに妖しく美しい。以上はウィキの「クサカゲロウ」に拠った。短命な種もいるようだが、クサカゲロウの種の中には摂餌もし、成虫で越冬する種もいるので、凡そ短命の代表とは言えないと私は思う(下線やぶちゃん)。
次に「ウスバカゲロウ」である。
ウスバカゲロウは脈翅(アミメカゲロウ)目ウスバカゲロウ上科ウスバカゲロウ科 Myrmeleontidae
に属し、「クサカゲロウ」と同様に「ウスバカゲロウ」とやはり「カゲロウ」と名にし負うものの、カゲロウ目とは極めて同じく縁が遠い。附言しておくと、ウスバカゲロウ類は、ウィキの「ウスバカゲロウ」によれば、所謂、『「アリジゴク」の成虫の名として有名であるが、本科全ての種の幼虫がアリジゴクを経ているわけではな』く、アリジゴク(蟻地獄)の幼生期を過ごす種は一部である。アリジゴクは『軒下等の風雨を避けられるさらさらした砂地にすり鉢のようなくぼみを作り、その底に住み、迷い落ちてきたアリやダンゴムシ等の地上を歩く小動物に大あごを使って砂を浴びせかけ、すり鉢の中心部に滑り落として捕らえることで有名である。捕らえた獲物には消化液を注入し、体組織を分解した上で口器より吸い取る。この吐き戻し液は獲物に対して毒性を示し、しかも獲物は昆虫病原菌に感染したかのように黒変して致死する。その毒物質は、アリジゴクと共生関係にあるエンテロバクター・アエロゲネス』(真正細菌プロテオバクテリア門γプロテオバクテリア綱腸内細菌目腸内細菌科エンテロバクター属ンテロバクター・アエロゲネス Enterobacter aerogenes)『などに由来する。生きているアリジゴクのそ嚢に多数の昆虫病原菌が共生しており、殺虫活性はフグ毒のテトロドトキシンの』百三十倍とされる(この事実を知る人はあまり多いとは思われないので特に注しておく)。『吸い取った後の抜け殻は、再び大あごを使ってすり鉢の外に放り投げる。アリジゴクは、後ろにしか進めないが、初齢幼虫の頃は前進して自ら餌を捉える。また、アリジゴクは肛門を閉ざして糞をせず、成虫になる羽化時に幼虫の間に溜まった糞をする。幼虫は蛹になるとき土中に丸い繭をつくる。羽化後は幼虫時と同様に肉食の食性を示す』。『かつてはウスバカゲロウ類の成虫は水だけを摂取して生きるという説が存在したが』、ウスバカゲロウ科オオウスバカゲロウ属オオウスバカゲロウ Heoclisis japonica)『など一部の種では肉食の食性が判明している』。『成虫も幼虫時と同じく、消化液の注入により体組織を分解する能力を備えている。ウスバカゲロウの成虫はカゲロウの成虫ほど短命ではなく、羽化後』二~三週間は生きるとある(以上、下線やぶちゃん)。
即ち、
クサカゲロウもウスバカゲロウも真正の「カゲロウ」類に形状は似ているものの、全く異なった種である
ので注意されたい。何故わざわざこんな注を附すかといえば、かの私の偏愛する、鋭い観察力に富んだ優れた作家梶井基次郎でさえも、この生物学上の致命的な誤りを犯しているから、である。かの名作「櫻の樹の下には」の中で(リンク先は私の古い電子テクスト)、
*
二三日前、俺は、ここの溪へ下りて、石の上を傳ひ步きしてゐた。水のしぶきのなかからは、あちらからもこちらからも、薄羽かげらふがアフロデイツトのやうに生れて來て、溪の空をめがけて舞ひ上がつてゆくのが見えた。お前も知つてゐるとほり、彼らはそこで美しい結婚をするのだ。暫く步いてゐると、俺は變なものに出喰はした。それは溪の水が乾いた磧へ、小さい水溜を殘してゐる、その水のなかだつた。思ひがけない石油を流したやうな光彩が、一面に浮いてゐるのだ。お前はそれを何だつたと思ふ。それは何萬匹とも數の知れない、薄羽かげらふの屍體だつたのだ。隙間なく水の面を被つてゐる、彼等のかさなりあつた翅が、光にちぢれて油のやうな光彩を流してゐるのだ。そこが、產卵を終つた彼等の墓場だつたのだ。
俺はそれを見たとき、胸が衝かれるやうな氣がした。墓場を發いて屍體を嗜む變質者のやうな慘忍なよろこびを俺は味はつた。
*
と記すが、これも実は『薄羽かげらふ』(ウスバカゲロウ)は誤りで真の「カゲロウ」類であることが、梶井の描写そのものによってお分かり戴けるものと思う。
「十七年蟬」「周期蟬(しゅうきぜみ)」と呼ばれる半翅(カメムシ)目セミ科 Magicicada 属に属する以下の三種を「ジュウシチネンゼミ(十七年蟬)」と総称する。
ヒメジュウシチネンゼミ Magicicada cassini
ジュウシチネンゼミ Magicicada septendecim
コジュウシチネンゼミ Magicicada septendecula
因みに、「ジュウサンネンゼミ(十三年蟬)」は以下の四種(和名は確認出来なかった)。
Magicicada neotredecim
Magicicada tredecim
Magicicada tredecassini
Magicicada tredecula
因みに、属名の「マジックシカダ」とは「魔法の蟬」の意。ウィキの「周期ゼミ」によれば(アラビア数字を漢数字に代え、記号の一部を省略した)、毎世代、『正確に十七年または十三年で成虫になり大量発生するセミである。その間の年にはその地方では全く発生しない。ほぼ毎年どこかでは発生しているものの、全米のどこでも周期ゼミが発生しない年もある。周期年数が素数であることから素数ゼミともいう』。『十七年周期の十七年ゼミが三種、十三年周期の十三年ゼミが四種いる。なお、十七年ゼミと十三年ゼミが共に生息する地方はほとんどない』。『北アメリカ東部。セミの仲間は世界中に分布しているが、この周期ゼミという現象が確認できるのは、世界の中でも北アメリカのみである』。『十七年ゼミは北部、十三年ゼミは南部に生息する』。『なお、北アメリカには周期ゼミしかいないわけではなく、周期ゼミ以外のセミも百種以上生息する』。『周期ゼミは、発生する年により年次集団に分けられる。理論上、十七年ゼミには十七、十三年ゼミには十三、計三十の年次集団が存在しうる。十七年ゼミの年次集団にはI - XVII(1 - 17)、十三年ゼミの年次集団にはXVIII - XXX(18 - 30)の通し番号が付いている』。『ただし、実際にある年次は三十の半数の十五である。したがって、全米のどこでも周期ゼミが発生しない年もある』。『年次集団は種によってはほとんど分かれていない。年次集団XVIIが M. septendecim のみからなる以外は、年次集団は複数の種からなり、多くは同じ周期の全ての種からなる』。なお、『これらは全米での話で、各々の地方には一つの年次集団しか生息していない。つまり、ある地方での周期ゼミの発生は十七年に一度または十三年に一度である』。『周期的発生および素数年発生の適応的意義を最初に指摘したのはロイドとダイバス(Lloyd and Dybas,1966,1974)である。彼らは素数年での同時発生は、捕食者が同期して発生する可能性を抑えられるためではないかと指摘した。十三年と十七年の最小公倍数は二百二十一年であり、同時発生は例えば四年と八年に比べて頻度が小さくなる。それぞれの大量発生についてはいわゆる希釈効果で説明できる。まとまって発生することで個体が捕食される可能性を低下させることができる。かつては種の保存のためと説明されたが、現在では個体の生存に有利であるためと考えるのが一般的である』。『それとは別に、吉村仁は氷河期と成長速度を関連付けて説明した。他の周期をもつ種と交雑するとその周期が乱れるため、同じ周期を維持できなくなる。したがって交雑種は大量発生年からずれて発生するようになり、希釈効果を受けられなくなるか、配偶相手を見つけにくくなる(ウォレス効果あるいは正の頻度依存選択による分断性選択)。そのため、もっとも他の周期と重なりにくい素数周期のセミが生き残った、と主張している』。イロコイ連邦(Iroquois Confederacy或いは Haudenosaunee(ロングハウスを建てる人々の意)とも称し、北アメリカ・ニューヨーク州北部のオンタリオ湖南岸とカナダに跨って保留地(居留地)を領有する六つのインディアン部族により構成される部族国家集団。アメリカの独立戦争に際しては英国側に与して戦ったが一七七九年に破れて、一七九四年にアメリカ合衆国連邦政府と平和友好条約を結んだ。アメリカ合衆国国務省のパスポートを認めず、鷲の羽根を使った独自のパスポートを発行、同パスポートの使用はいくつかの国家により認められている。日本国政府は二〇〇五年に宗教史協会の集まりでイロコイ連邦代表団が来日した際に、このパスポートを承認している。国連も認める独立自治領であり、独立した国家として、連邦捜査局(FBI)などアメリカ合衆国連邦政府の捜査権も及ばない、とウィキの「イロコイ連邦」にはある)の『インディアン部族のひとつ、「オノンダーガ族」は「十七年ゼミ」を伝統食としている。朝早く、まだ地上に出てきたばかりで空腹状態のこのセミを紙袋に集め、フライパンでバター炒めにする。蓋をして炒ると、ポップコーンのように弾けるので、これを皿に盛って食べる』とある。
「鶴は二年で生長し終るが、その壽命は十年と限らず、よく百年以上も生きる」ウィキの「ツル」によれば、実際の寿命は動物園での飼育の場合であっても五十年からせいぜい八十年程度で、野生では三十年位と推定されているとある。この記載、丘先生、ちょっと非生物学的でごぜえやす。
『「からす」の如きも雛は數箇月で生長し終るが、壽命はやはり百年に達する』ここを読むと、前の百年以上『鳥』が生きるとした箇所は、学術文庫版通り、やっぱり『烏』なのかなぁ?]
要するに動物の壽命は種族繼續の見込みのほゞ立つた頃を限りとしたもので、そのためには若干數の子を産み終るまで生きねばならぬことはいふまでもない。そして子の總數を一度に産んでしまふ種類もあれば、何度にも分けて産む種類もあり、分けて産むものでは最後の子を産むまで壽命は續かねばならぬ。また子を産み放しにする動物では、最後の子を産み終ると同時に親の壽命が終つても差支はないが、子を保護し養育する種類では、最後の子を産んだ後になほこれを保護養育する間壽命が延びる必要がある。即ち最後の子を産んだ後親の壽命は、丁度子が親の保護養育を受ける必要のある長さと相均しかるべき筈である。以上述べた所は無論大體に就いての理窟で、一個一個の場合にはこの通りになつて居ないこともあらうが、多敷を平均して考へるといづれの種類にもよく當て嵌つて決して例外はない。人間の如きも「人生七十古來稀なり」というて、まづ七十歳乃至七十五歳位が壽命の際限であるが、これは二十五年かかつて生長し、五十歳まで生長し、五十歳まで生殖し續けるものとすると、最後の子が徴兵檢査を受けるか大學を卒業する頃に親の壽命が盡きる勘定で、こゝに述べた所と全く一致する。人間の壽命も他の動物の壽命と同じく、一定の理法に隨つて、何千萬年の昔から今日までの間に自然に種族維持に最も有利な邊に定まつたのと考へると、特殊の藥品や健康法を工夫してこれを延長せんと努力することは、賢い業か否か大に疑はざるを得ない。
[やぶちゃん注:「人生七十古來稀なり」杜甫の七言律詩「曲江」より。七五八年、安禄山の乱が平定されたこの頃、杜甫は長安で左拾遺(さしゅうい)の官に就いていたが、敗戦の責任を問われた宰相房琯(ぼうかん)の弁護をして粛宗の怒りに触れ、曲江に通っては酒に憂さをはらしていた四十七歳の頃の作。
*
曲江
朝囘日日典春衣
每日江頭盡醉歸
酒債尋常行處有
人生七十古來稀
穿花蛺蝶深深見
點水蜻蜓款款飛
傳語風光共流轉
暫時相賞莫相違
朝(てう)より回(かへ)りて 日日春衣(しゆんい)を典(てん)し
每日 江頭(かうとう)に酔(ゑ)ひを盡くして歸る
酒債(しゆさい)は尋常 行く処に有り
人生七十 古來稀なり
花を穿(うが)つ蛺蝶(けふてふ)は深深(しんしん)として見え
水に點ずる蜻蜓(せいてい)は款款(くわんくわん)として飛ぶ
傳語(でんご)す 風光 共に流轉して
暫時相ひ賞して 相ひ違(たが)ふこと莫(なか)れと
*
以下、「・」で詩の簡単な語注を附す。
・「曲江」漢の武帝が長安城の東南隅に作った池。水流が「之(し)」の字形に曲折していたため、かく名づけられた。当時は長安最大の行楽地であった(埋め立てられて現存しない)。
・「朝囘」朝廷から帰参する。
・「典」質に入れる。
・「酒債」酒代の借金。
・「蛺蝶」揚羽蝶(アゲハチョウ)。又は蝶の仲間の総称。
・「蜻蜓」蜻蛉。トンボ。
・「款款」緩緩に同じい。ゆるやかなさま。
・「穿花」花の間を縫うように飛ぶ。一説に、蝶が蜜を吸うために花の中に入り込むことともいう。
・「點水」水面に尾をつける。トンボが産卵のために水面に尾をちょんちょんとつけるさま。
・「傳語」言伝(ことづ)てする。
「徴兵檢査を受ける」敗戦前の日本帝国に於いて、満二十歳(昭和一八(一九四三)年からは満十九歳)になった男子は徴兵令(明治二二(一八八九)年一月二十二日法律第一号.国民の兵役義務を定めた日本の法令。明治六(一八七三)年に陸軍省から発布された後に太政官布告によって何度か改定が繰り返されたが、この明治二十二年に法律として全部改正、その後の昭和二(一九二七)年の全改正の際に法令標題も「兵役法」に変更された。敗戦後の昭和二〇(一九四五)年に廃止)によって徴兵検査を受ける義務があった。以下、ウィキの「兵(日本軍)」によれば、当時の徴兵検査は海軍で徴兵する者も陸軍が一括して行っていた。海軍で徴兵する者を除いた者が下記の区分に従って徴兵された。徴兵検査は四月十六日から七月三日にかけて全国的に行われ、『検査を受ける者は、褌ひとつになって身体計測や内科検診を受けた。軍隊の嫌う疾病は、伝染性の結核と性病(集団生活に不都合。性病が発見されると成績が大きく下がり、その連隊にいる限りまず絶対に一等兵以上に進級しなかった』)『で、また軍務に支障ありとされる身体不具合は、偏平足・心臓疾患(長距離行軍が不能のため)・近視乱視(射撃不能のため・諸動作・乗馬に不都合)であった。X線検査などはなく、単に軍医の問診・聴診・触診や動作をさせての観察など簡単な方法にて診断が行われた。また褌をはずさせて軍医が性器を強く握り性病罹患を確かめる、いわゆるM検、さらに後ろ向きに手をつかせ、肛門を視認する痔疾検査も検査項目として規定され、全員に実施された。航空機搭乗者・聴音などの特殊兵種の少年志願兵の検査には、より入念な方法が実施された』。『検査が終わると、次の』五種に『分類された』。
《引用開始》[やぶちゃん注:一部を太字化し、半角空隙を全角に変更した。]
甲種 身体が特に頑健であり、体格が標準的な者。現役として(下記の兵役期間を参照)入隊検査後に即時入営した。甲種合格者の人数が多いときは、抽選により入営者を選んだ。
乙種 身体が普通に健康である者。補充兵役(第一または第二)に(同)組み込まれ、甲種合格の人員が不足した場合に、志願または抽選により現役として入営した。
丙種 体格、健康状態ともに劣る者。国民兵役に(同)編入。入隊検査後に一旦は帰宅できる。
丁種 現在でいう身体障害者。兵役に適さないとして、兵役は免除された。
戊種 病気療養者や病み上がりなどの理由で兵役に適しているか判断の難しい者。翌年再検査を行った。
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「大學を卒業する頃」旧学制では問題なく進級しても、満二十三から二十五歳であったが、実際には中学や大学での落第による留年、自主的に留年や結核などの病気療養のために休学をする者も多く、その他の理由(兵役忌避など)も合わせ、戦前は二十六、七歳での卒業者もざらにいた(例えば夏目漱石の東京帝国大学卒業は満二十六である)。]