日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第二十六章 鷹狩その他 (33) 日本人の道の歩き方
東京で銀座と呼ばれる一区域を除いては、歩道というものが無い。この銀座はある距離にわたって西洋風に出来ていて、煉瓦建の二階家の街衢や、煉瓦の歩道や、辺石がある。それ以外、東京のいたる所では、車道が往来の一側から他の側にまで達し、その中央は僅かに丸味を帯び、かなり固くて平滑である。人々は道路の真中へまで群れて出る。男も女も子供も、歩調をそろえて歩くということを、決してしない。時に二人が手をつないだり、一人が連の者の肩に手をかけたりする。我国では学校児童までが、歩調をそろえるのに、日本人は歩くのに全然律動が無いのは、特に目につく。我々は直ちに日本人が、我国のように一緒に踊ることが無いのに気がつく。その運動に、絶対的な旋律を必要とするワルツ、ポルカその他の旧式な舞踊や、学校からのピアノに合わせて出て来る練習やが、すべて我々の持つ行進の習慣に貢献している。
[やぶちゃん注:「街衢」老婆心乍ら、「がいく」と読む。「衢」は訓は「ちまた」で、「四方に分かれた道」の意、意味は「人家などの立ち並ぶ町、「巷(ちまた)」と同じい。]
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