生物學講話 丘淺次郎 第十九章 個體の死(2) 一 死とは何か
一 死とは何か
抑々死とは何ぞやと尋ねると、これに對して正確に答へることは到底出來ぬ。一寸考へると、死とは生の反對で死ぬとは生の止むことであるから、至極明瞭でその間に何の疑も起りさうにないが、已に本書の初に短く述べて置いた通り、生なるものの定義が容易に定められぬ。それ故生を知らず爰んぞ死を知らんやといふやうなわけで、死に就いてもすべての場合に常て嵌り、且つの除外例をも許さぬ正確な定義はなかなか見出されぬ。しかしながら正確な定義の定められぬことは、たゞ生と死とに限るわけではなく、自然界の事物には寧ろこれが通則である。例へば獸類は胎生するといへば、「かものはし」の如き卵生する例外があり、獸類の體は毛で蔽はれるといへば、象や鯨の如き毛のない例外がある。しかもこれらを含むやうな定義を造れば、獸類は胎生もしくは卵生體は毛で蔽はれまたは蔽はれずといはねばならず、かくては定義として何の役にも立たぬ。それよりは獸類は胎生で體は毛で蔽はれるとして置いて、「かものはし」や鯨は例外としてやはりその中ヘ入れる方が遙に便利であり。かやうな考から本書に於ては生の定義などには構はず、たゞ生物は食つて産んで死ぬものといふだけに止めて置いたが、死に就いてもこれと同樣に、まづ動物には如何なる死にやうをするものがあるかを述べて、死とはおよそ如何なるものかを概論するに止める。
[やぶちゃん注:「第一章 生物の生涯 一 食うて産んで死ぬ」を参照のこと。]
[輪蟲 (右)乾いたもの (左)生きて動くもの]
[やぶちゃん注:以上の図は底本の国立国会図書館国立国会図書館デジタルコレクションの画像からトリミングし、補正を加えたものである。]
まづ人間などに就いて見ても、死と生との區別の判然せぬ場合があり、死んだと思つて棺に入れ、今から葬式を始めようといふときにその人が蘇生したので、皆々、大に驚いたといふやうな記事を新聞紙上に見ことが往々ある。人間は死ねば呼吸が止まり脈が絶え、温かつた身體が冷くなるが、これだけを見て直に死んだものと定めてしまふと右のやうな間違も起る。淡水に産す「輪蟲」や「熊蟲」などは、乾せば體が收縮して全く乾物となり、少しも生きて居る樣子は見えず、そのまゝ何年も貯藏して置けるが、これに水を加へると忽ち水を吸收して膨れ、舊の大きさに反つて平氣で活潑に匍ひ出す。即ち死んだやうに見えても必ずしも眞に死んだとは限らず、いつまで置いても生き返らぬことが確になつて初めて眞に死んだといへるのでゐる。また全身としては確に死んでも、その組織の生きて居ることは常である。例へば頸を切られた罪人は最旱生き返る氣遣ひはないから、確に死んだに違ないが、その神經を刺戟すれば盛に筋肉が收縮する。心臟の如きは別に刺戟を與へずとら、暫くは生きて居る通りに搏動を續ける。蛙などで實驗して見るに、取り出した心臟の血管の根本を縊つて稀い鹽水の中に入れて置くと、十日以上も絶えず收縮して居る。これに反して全身は健全に生きて居ても、一部分づつの組織は絶えず死んで捨てられて居る。血液中の赤血球や粘膜の表面の細胞の如きは、特に壽命が短くて新陳代謝が始終行はれて居る。かくの如く一部分づつの組織や細胞が死んでも通常これを死と名づけず、組織や細胞がなほ生きて居ても、全體として蘇生の望がなければこれを死と名づけるのであるから、世人の通常死と呼ぶのは一般に生きた個體としての存在の止むことである。
[やぶちゃん注:「輪蟲」やはり冒頭の「第一章 生物の生涯 二 食はぬ生物」に既出既注。
「熊蟲」脱皮動物上門緩歩動物門Tardigrada に属する生物の通称。緩歩動物門はさらに異クマムシ綱 Heterotardigrada・中クマムシ綱 Mesotardigrada・真クマムシ綱 Eutardigrada に分かれ、ここでお馴染みの「クマムシ」の名が出る。ウィキの「緩歩動物」によれば、四対八脚の『ずんぐりとした脚でゆっくり歩く姿から緩歩動物、また形がクマに似ていることからクマムシ(英名はwater bears)と呼ばれている。また、以下に述べるように非常に強い耐久性を持つことからチョウメイムシ(長命虫)と言われたこともある』。体長は五〇マイクロメートルから一・七ミリメートルとごく小さいために馴染みがないが、『熱帯から極地方、超深海底から高山、温泉の中まで、海洋・陸水・陸上のほとんどありとあらゆる環境に生息する。堆積物中の有機物に富む液体や、動物や植物の体液(細胞液)を吸入して食物としている』。凡そ千種以上(内、海産は百七十種余)が知られる(以下、(アラビア数字を漢数字に代えた)。『体節制は不明確。基本的には頭部一環節と胴体四環節からなり、キチン質の厚いクチクラで覆われている。真クマムシ目のものは外面がほぼなめらかだが、異クマムシ目のものは装甲板や棘、毛などを持ち、変化に富んだ外見をしている』。『胴体部の各節から出る四対の脚を持つ。歩脚は丸く突き出て関節がなく、先端には基本的に』四本から十本ほどの『爪、または粘着性の円盤状組織が備わっている』。『頭部に眼点を持つものがあるが、持たないものもある。口の近くに口縁乳頭などの小突起を持つ例もあるが、外部に出た触角や口器などはない』。『体腔は生殖腺のまわりに限られる。口から胃、直腸からなる消化器系を持つ。排出物は顆粒状に蓄積され、脱皮の際にクチクラと一緒に捨てられる』。『呼吸器系、循環器系はない。酸素、二酸化炭素の交換は、透過性のクチクラを通じて体表から直接行う。神経系ははしご状。通常、一対の眼点と、脳、二本の縦走神経によって結合された五個の腹側神経節を持つ』。『多くの種では雌雄異体だが、圧倒的に雌が多い。雌雄同体や単為発生も知られる。腸の背側に不対の卵巣又は精巣がある。産卵は単に産み落とす例もあるが、脱皮の際に脱皮殻の中に産み落とす例が知られ、脱皮殻内受精と呼ばれる』。『幼生期はなく、直接発生して脱皮を繰り返して成長する。その際、体細胞の数が増加せず、個々の細胞の大きさが増すことで成長することが知られる』。『陸上性の種の多くは蘚苔類などの隙間におり、半ば水中的な環境で生活している。樹上や枝先のコケなどにも棲んでいる。これらの乾燥しやすい環境のものは、乾燥時には後述のクリプトビオシス』(cryptobiosis:「隠された生命活動」の意)『の状態で耐え、水分が得られたときのみ生活していると考えられる』。『水中では水草や藻類の表面を這い回って生活するものがおり、海産の種では間隙性の種も知られる。遊泳力はない』。クリプトビオシスとは無代謝の休眠状態を指し、『緩歩動物はクリプトビオシスによって環境に対する絶大な抵抗力を持つ。周囲が乾燥してくると体を縮める。これを「樽」と呼び、代謝をほぼ止めて乾眠(かんみん)と呼ばれるクリプトビオシスの状態の一種に入る。樽(tun)と呼ばれる乾眠個体は、下記のような過酷な条件にさらされた後も、水を与えれば再び動き回ることができる。ただしこれは乾眠できる種が乾眠している時に限ることであって、全てのクマムシ類が常にこうした能力を持つわけではない。さらに動き回ることができるというだけであって、その後通常の生活に戻れるかどうかは考慮されていないことに注意が必要である』。『また、単細胞生物では芽胞を作ることにより、さらに過酷な環境に耐えることが知られており、クマムシの耐性強度が大きいというのは、あくまで他の一般的な多細胞生物と比べた場合である』。『乾眠状態には瞬間的になれるわけではなく、ゆっくりと乾燥させなければあっけなく死んでしまう。乾眠状態になるために必要な時間はクマムシの種類によって異なる。乾燥状態になると、体内のグルコースをトレハロースに作り変えて極限状態に備える。水分がトレハロースに置き換わっていくと、体液のマクロな粘度は大きくなるがミクロな流動性は失われず、生物の体組織を構成する炭水化合物が構造を破壊されること無く組織の縮退を行い、細胞内の結合水だけを残して水和水や遊離水が全て取り除かれると酸素の代謝も止まり、完全な休眠状態になる。ただし、クマムシではトレハロースの蓄積があまり見られないため、この物質の乾眠への寄与はあまり大きくないと考えられている』。現行データでは、「乾燥」に対しては、通常は体重の八五%をしめる水分を三%以下まで減らして極度の乾燥状態にも耐え得る。「温度」に対しては、摂氏百五十一度の高温から、〇・〇〇七五ケルビンというほぼ絶対零度の極低温まで耐え得る。「圧力」に対しては、真空から七万五千気圧の高圧まで耐え得、「放射線 」についても高線量の紫外線・エックス線及びガンマ線等の放射線に対して耐え得る。エックス線の半致死線量は実に五十七万レントゲンの高値である(ヒトの致死線量は五百レントゲン)。長く『この現象が、「一旦死んだものが蘇生している」のか、それとも「死んでいるように見える」だけなのかについて、長い論争があった』が、先に示したように現在ではこのような状態を「クリプトビオシス(隠された生命活動)と呼称する『ようになり、「死んでいるように見える」だけであることが分かっている』(「クリプトビオシス」は生物体が、
乾燥によって水分が奪われた場合に起こる「アンハイドロビオシス」(anhydrobiosis:乾眠)
高浸透圧の外液によって水分が奪われて起こる「オスモビオシス」(Osmobiosis:塩眠)
氷結した際に起こる「クリオビオシス」(Cryobiosis;凍眠)
外界の酸素濃度が代謝を維持するのに必要なレベル以下に下がった際に起こる「アノキシビオシス」(Anoxybiosis:窒息仮死)
の四種の現象に分類される)。他にも前掲の
扁形動物上門輪形動物門 Rotifera のワムシ類
線形動物門 Nematoda の線虫類の一部
「シーモンキー」の通称でお馴染みの甲殻亜門鰓脚綱サルソストラカ亜綱無甲(ホウネンエビ)目ホウネンエビモドキ科アルテミア属 Artemia アルテミア類
双翅(ハエ)目長角(糸角/カ)亜目カ下目ユスリカ上科ユスリカ科ユスリカ亜科 Polypedilum 属ネムリユスリカ Polypedilum
vanderplanki
などが『クリプトビオシスを示すことが知られている』。『なお、クマムシはこの状態で長期間生存することができるとする記述がある。例えば、「博物館の苔の標本の中にいたクマムシの乾眠個体が、百二十年後に水を与えられて蘇生したという記録もある」など、教科書や専門書でもそのように書いているものもある。ただし、この現象は実験的に実証されているわけではなく、学術論文にも相当するものはない。類似の記録で、百二十年を経た標本にて十二日後(これは異常に長い)に一匹だけ肢が震えるように伸び縮みしたことを観察されたものはあるものの、サンプルがこの後に完全に生き返ったのかどうかの情報はない。通常の条件で樽の状態から蘇生して動き回った記録としては、現在のところ十年を超えるものはない。また、蘇生の可否は樽の保存条件に依存し、冷凍したり無酸素状態にしたりすると保存期間が延びることがわかっている』。『また、宇宙空間に直接さらされても十日間生存できることが実験で確かめられ、動物では初めての発見となった。太陽光を遮り宇宙線と真空にさらしたクマムシは地球上で蘇生し、生殖能力も失われていなかった。太陽光を直接受けたクマムシも一部は蘇生したが、遮った場合と比べ生存率は低かった』とある(下線やぶちゃん。この報道に接した際にはわくわくしたのを覚えている)。
「縊つて」「くくつて(くくって)」と訓じていよう。
「稀い」「うすい」。]
[「ほや」の群體]
[やぶちゃん注:以上の図は底本の国立国会図書館国立国会図書館デジタルコレクションの画像からトリミングし、補正を加えたものである。]
[紐蟲の幼蟲]
[やぶちゃん注:以上の図の前のものは底本の国立国会図書館国立国会図書館デジタルコレクションの画像からトリミングし、補正を加えたものである。その後のものは講談社学術文庫版の挿絵で、明らかに異なるので別に掲げた。]
獸類・鳥類など人の常に見慣れて居る高等動物は人間と同じやうな死に方をするが、稍々下等の動物にはさまざまに變つた死にやうのものがある。例へば「ほや」の或る種類ではときどき身體の上半だけが死んで頽れ去り、下半はそのまゝ殘り、芽生によつて新に上半身が出來ると、それが古い下半身と連絡して一疋の完全な身體が出來上る。また海産の苔蟲類では、各個體が老いて勢が弱くなると終に死んで組織が變質し、茶色の丸い脂肪の球となつてしまふが、僅に生き殘つた組織が基となつて後に新な個體が生ずる。そしてその際前の脂肪の球は芽の内に包み込まれ、滋養分として利用せられる具合は、死んだ親の肉を罐詰にして置いて子がこれを食つて生長するのに比較することが出來よう。群棲する「ほや」類の中には、ときどき群體内の個體が皆死に絶えて一疋もなくなり、たゝいづれの個體にも屬せぬ共同の部分だけ殘るものがあるが、暫く經つとこの部の表面から新に一揃の個體が生ずる。これなどは各個體は毎囘死ぬが、その個體から成る群體は始終生き續けて居る。また前に述べた植物に寄生する小蠅や蛙の肺に寄生する蛔蟲の類では、子が生まれる前に母親の身體を内から食ひ盡すから、母親は死んでも蟬の拔殼よりも遙に薄い皮の囊が殘るだけで、眞の死骸といふべきものは何もない。これに反して「うに」や「ひとで」などの發生中には、死なずして死骸が出來る。これは一寸聞くと全く不可能のことのやうであるが、「うに」や「ひとで」の類では卵が發育しても直に親と同じ形になるのではなく、最初暫くは親と全く形の異なつた幼蟲となつて海面を浮游し、その幼蟲の身體の一部分から「うに」や「ひとで」の形が出來て、殘り全體は萎びて捨てられるか吸收せられるかするから個體としては生存し續けながら、大きな死骸が一時そこに生ずることになる。淺い海の底に棲む「紐蟲」といふ細長い柔い蟲の發生中にもこれと同樣なことがある。即ち海の表面に浮いて居る幼蟲の體の一部に小さな成蟲の形が出來始まり、これが幼蟲の體から離れて成蟲となるが、その際幼蟲の殘りの身體は不用となつて捨てられる。「おたまじやくし」が蛙となるときには全身の形が變るが「うに」「ひとで」「紐蟲」などの變態するときには幼蟲の體の一部分だけが生存して成蟲となり、殘りは死骸となるのであるから、考へやうによつては、幼蟲が芽生によつて成蟲を生ずると見倣せぬこともなからう。さればこれらの動物は變態と世代交番との中間に位する例といふことが出來る。
[やぶちゃん注:『「ほや」の或る種類』後で群体ボヤを示していることから、これは単体ボヤの一種のように読めてしまうが、実際には単体ボヤは有性生殖で、出芽のような単為生殖能力を持たないのでそれは誤読である。これも群体ボヤの一種と断定出来るが、しかし、どうもこの丘先生の叙述は、少なくとも一見、単体ボヤのように見える「或る種」のホヤでは「ときどき身體の上半だけが死んで頽れ去り、下半はそのまゝ殘り、芽生によつて新に上半身が出來ると、それが古い下半身と連絡して一疋の完全な身體が出來上る」ことがあると述べておられるように感じてならない。そこで調べてみると、新稲一仁氏のホヤの学術サイト内の「採集と飼育」の二の「種による飼育の難易度他」の記載の中に、『ツツボヤ属のホヤは一見単体ボヤに見えるが、それぞれの個虫が芽茎で連絡しているので扱いには注意した方が良く、死滅後も芽茎が残っていれば再び出芽して(芽茎出芽=無性生殖の一)息を吹き返す場合もある』とあった。西村三郎「原色検索日本海岸動物図鑑[Ⅱ]」(保育社)の記載によれば、脊索動物門尾索動物亜ホヤ綱マメボヤ目マンジュウボヤ亜目ヘンゲボヤ(ポリキトリ)科ツツボヤ属 Clavelina に属するツツボヤ類で、同属には(以下は日本海洋データセンター(JODC)の分類データを利用)、
コバルトツツボヤ Clavelina coerulea Oka, 1934
ワモンツツボヤ Clavelina
cyclus Tokioka & Nishikawa, 1975
クロスジツツボヤ Clavelina obesa Nishikawa & Tokioka, 1976
フサツツボヤ Clavelina
elegans (Oka, 1927)
などが含まれることが判った。この正式表示の学名をよく御覧戴きたい。二種の命名者に丘先生がおられる。されば、この特異なホヤ(群体ホヤのくせに単体ボヤのように見える)で変わった蘇生現象を起こすことがある種はこのコバルトツツボヤ或いはフサツツボヤなのではあるまいか? 専門家の御教授を乞うものである。
「苔蟲類」触手動物(外肛動物)門 Bryozoa に属するコメムシ類。既注。丘先生の専門分野。但し、私の所持する複数の海産無脊椎動物関連の専門書には、苔虫全般に見られる老成(一般的に)個虫が退化してその外殻の虫室のみが残り、群体を支持する構造物化する空個虫(kenozooid)の記載はしきりに出るが、ここにあるように老個虫由来の「脂肪の球」が出芽した若い無性出芽した個虫「芽の内に包み込まれ、滋養分として利用せられる」という現象を叙述したものには遂に出逢わなかった。因みに、「老」とか「若い」と言ったかが、彼らは全部が同じ遺伝子型を持つ完全なクローン群体である。
『群棲する「ほや」類』少なくとも丘先生が選んだ挿絵の個虫の鮮やかな菊花状配列の模様を見る限りでは、これはホヤ綱マボヤ目マボヤ亜目イタボヤ科の、やはり丘先生の命名になる、
ミダレキクイタボヤBotryllus
primigenus Oka, 1928
或いは
ウスイタボヤ Botryllus schlosseri
キクイタボヤ Botryllus tuberatus
辺りではなかろうかと思われる。
「前に述べた植物に寄生する小蠅」「長幼の別(5) 四 幼時生殖(2) タマバエの例」に出、私が有翅昆虫亜綱新翅下綱内翅上目ハエ目長角亜目ケバエ下目キノコバエ上科タマバエ科 Cecidomyiinae 亜科 Mycodiplosini 族Mycophila 属に属する「タマバエ」に同定した種のこと。リンク先の「蟲癭」の私の注を参照のこと。
「蛙の肺に寄生する蛔蟲の類」直前章末「第十七章 親子(8) 五 親を食ふ子」に出、私がガマセンチュウ(蟇線虫)Rhabdias
bufonis に同定した種。
『「うに」や「ひとで」の類では卵が發育しても直に親と同じ形になるのではなく、最初暫くは親と全く形の異なつた幼蟲となつて海面を浮游し、その幼蟲の身體の一部分から「うに」や「ひとで」の形が出來て、殘り全體は萎びて捨てられるか吸收せられるかするから個體としては生存し續けながら、大きな死骸が一時そこに生ずることになる』棘皮動物門ウニ綱 Echinoidea のウニ類の「プルテウス幼生」及び星形動物亜門 Asterozoa のヒトデ類の「ビピンナリア幼生」及びその後の「ブラキオラリア幼生」からの成体形への変態ステージを言っているようであるが、私はてっきり突起の吸収ばかりが起こると思い込んでいたのだが、かく遺骸の如く脱ぎ捨てるというのは不覚にして知らなかった。
「紐蟲」冠輪動物上門紐形動物門 Nemertea に属するヒモムシ類の総称。大部分は海産で滑らかな平たい紐(ひも)状の体型をしている。ウィキの「ヒモムシ」によれば、『見かけの上ではその他に目立った特徴がな』く、『動きの鈍い動物であり、底を這い回るものが多い』ことから、潮干狩りの最中に「ヘンな色のキモいミミズみたような虫がいる」ぐらいの認識があれば恩の字、普通に身近に海浜に棲息しているにも拘わらず全然知らない人々が圧倒的に多い。『体は左右相称で、腹背があり、不明瞭ながら頭部が区別できる。前端に口、後端に肛門があり、いわば典型的な蠕虫である。附属肢や触手など見かけ上で目立つ構造はないが、前端に内蔵された吻があり、これをのばして摂食などに利用する』。『ほとんどが底生生活で、一部に浮遊生活のものが知られる。大部分の種が海産であるが、淡水産、陸生の種もわずかに知られている』。体長は数ミリメートル〜 十数センチメートルが一般的であるが、担帽綱リネウス科リネウス属の巨大種 Lineus longissimusは体長三十メートルにも『達し、動物のなかでも最大の体長をもつ種の一つに挙げられる』。『かつては扁形動物に近縁のごく原始的な後生動物と考えられたが、現在では見方が変わっている』。『体はその名の通りに細長い。体は柔らかく、摘まんでもつまみ心地がない程度。非常によく伸び縮みする。表皮は粘液に覆われ、また繊毛がある』。『左右対称で腹背がある。体はさほど厚みがないが、背中側にふくらみ腹面は扁平。背面には模様があるものもある。体は前端から後端までほぼ変わらない太さだが、前端から少し後ろでややくびれるものが多く、これを頭横溝という。ここから先が頭部というが、実際はこの少し後方までが頭部としての構造を持つようで、頭部とそれ以降の部分ははっきりと区別できない。また、頭の先端から背中側にくぼみがあって、先端が二つに分かれたようになっている例もよくあり、これを頭縦溝という』。『頭部には肉眼的にはあまりなにもないが、実際には眼点などの感覚器が並んでいる。一対の頭感器と呼ばれるものが頭部に開いた穴の内部にあり、これが化学物質の受容を行っているとされる』。『口は体の前端の下面にあり、消化管はそこから後方へと直線的に続き、後端の肛門につながる。消化管は前方から前腸・胃・幽門・腸に区別される』。『前頭部に長い吻(ふん)を持つ。この吻は裏返しにして体内に格納することができる。吻は消化管の背面側に伸びる吻腔に納められており、その先端は口か、口より前に開く吻口に続く。吻の先端には針を持つものと持たないものがあり、これによってヒモムシ類が無針類と有針類に区分される』。『循環系として、閉鎖血管系を持つ。体側面の柔組織の中を走る側血管、背面にある一本の背血管が体の前後で互いにつながっているもので、背血管の一部は吻腔に入り、その部分が心臓の役目を果たしている。排出系としては原腎管がある』。『神経系は大まかにははしご形神経系で、体側の腹面側を走る一対の縦走神経が前頭部の消化管の上で結合して脳を構成する』。『ヒモムシ類は普通は雌雄異体で、生殖腺は体の中央から後方にあり、複数が両側面に対をなして並び、それぞれ体側に口を開く』。『放出された卵は粘液に包まれるか、ゼラチン質にくるまって卵塊を作る。卵割は全割でらせん卵割を示す。幼生はほぼ親の形となる、いわゆる直接発生をするものが多いが、無針類の一部では特有の幼生の形が見られ、それらはピリディウム幼生、デゾル幼生などと呼ばれる』。『多くの種が海産である。浅瀬の岩の間や泥の中から』 四千 メートルの『深海まで、広い範囲に生息している。湿った土壌や淡水中に生息する種もいる。ほとんどが底生だが』、有針綱針紐虫目ペラゴネメルテス科ペラゴネメルテス属オヨギヒモムシPelagonemertes
moseleyi など、『少数の浮遊性の種が知られる』。『通常捕食性で、突き出した吻を獲物に巻きつけて捕らえる。また、吻の先端に毒針がついており、これを用いて他の動物を捕食する種もいる。体長の』三倍の『長さまで吻を伸ばす種もいる。一部に貝などに寄生生活する種が知られる』。『形態や繊毛運動をすること、原腎管があること、体腔らしいものが存在せず、無体腔と考えられたことなどから、かつては扁形動物の渦虫類と棒腸類に近縁であるとの説が有力であった。ただし扁形動物との大きな違いとして口と肛門が分化している点は大きく、そのために扁形動物に次いで原始的な、口と肛門の分かれたもっとも下等な動物、というのが一つの定説であった。しかし、閉鎖血管系を持つことなどより高度な性質と思われる面もあり、議論の分かれる動物群であった。脊椎動物の祖先形をこの類に求める説すらあった』。『さらに、近年の分子生物学的な研究では、環形動物や軟体動物(いずれも中胚葉由来の体腔がある真体腔類)と近縁であると説が浮上した。その観点からの見直しで、吻を格納する吻腔が体腔に相当するとの判断も出たため、無体腔動物との判断が揺らぎ、さらに発生の再検討からこの構造が裂体腔と見るべきとの判断も出ている。そのため前述のような扁形動物と関連させた位置づけは見直されている』。それにしても確かに、この図のリボンをつけた可愛いカラカサさんから、あのヒモムシが生まれるとは思えない。成体の幼生から最後に言っておくと、多くの種がレッド・データ・ブックに載っていることも皆、知らない。日常の視野に入って来ない地味な生き物や見た目のキモい生物は滅亡したって関係ないと不遜なたかが動物界脊索動物門脊椎動物亜門哺乳綱サル亜綱正獣下綱霊長(サル)目真猿(サル)亜目狭鼻(サル)下目ヒト上科ヒト科ヒト属ヒト Homo sapiens は思って平気なのである。実は自分自身が滅亡危惧種であることも知らずに。]
死の有無に就いて特に議論のあるのは「アメーバ」・「ざうりむし」などの如き單細胞蟲類である。甲なる一疋が分裂して乙・丙の二疋になつた場合に、甲は死んだか死なぬかというて、今でも議論をして居るが、實はこれは單に言葉の爭に過ぎぬ。死骸が殘らねば、死んだと見做さぬ人は甲は死なぬといひ、個體としての存在の止んだことを死と名づける人は甲は死んだといふが、いづれとしも事實は事實のまゝである。もしも死なぬものと見倣せば、かゝる蟲類は死ぬこともない代りに生まれることもないといはねばならず、またもし死ぬものと見倣せば、これは死んでも死骸を殘さぬ一種特別の死にやうでゐる。元來生死といふ文字は、人間・鳥獸などの如き雌雄生殖をする動物だけを標準として造られたもの故、無性生殖の場合によく當て嵌らぬのは當然のことで、「アメーバ」・「ざうりむし」に限らず、「いそぎんちやく」や「絲みみず」などが分裂によつて繁殖する場合にも、子が生れたとか親が死んだとかいふ言葉は、普通の意味では到底用ゐることは出來ぬ。
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