譚海 卷之一 武州八王寺幷高尾山の事
武州八王寺幷高尾山の事
○武州八王寺の近邊、玉川の兩岸山吹おびたゞしく有、暮春の月壯觀也。これほどの山吹外に見たる事なし。又紅葉もよしと云(いへ)り。つゝゐと云所なるよし。
[やぶちゃん注:現在の八王子の北を流れる多摩川の支流である浅川沿岸と思われるが「つゝゐ」(筒井?)という地名は現認出来ない。識者の御教授を乞う。標題はご覧の通り、次とペアになっているので一行空けで続けて示す。]
○又同所高尾山は、江戸に近くしてかほどの深山もまたおほからず。琵琶の瀧と云(いふ)有(あり)、四月の末あそびしに櫻など漸(やうやく)盛(さかり)にて、殘雪度々に消殘(きえのこり)たるけしき、殊に世外の心地せしと、長谷川安卿(やすあきら)主(しゆ)物語也。近來又金川宿より入(る)所に杉田と云所あり、梅ことに多し、山も岡も人家も皆梅なるよし。漸人(ひと)聞(きき)しりて、初春は一夜泊りに賞遊する人おほし。
[やぶちゃん注:「琵琶の瀧」高尾山薬王院(真言宗の関東三大本山の一つで正式には「高尾山薬王院有喜寺と称する)に現存する。現行では琵琶瀧(びわたき)と称し、蛇瀧(じゃたき)とともに水行道場として使用されている。
「長谷川安卿」(享保四(一七一九)年~安永八(一七七九)年)書物奉行(就任は明和二(一七六五)年)。
「金川宿」神奈川宿。
「杉田と云所あり、梅ことに多し」私の「杉田の梅花 田山花袋」の私の詳細注を参照されたい。]