原民喜 「春眠」十五句 (山本健吉撰)
[やぶちゃん注:大正一五(一九二六)年十月発行の生原稿を綴った回覧雑誌『四五人会雑誌』一号(萬歳号)に掲載。
底本は一九七八年青土社刊「定本 原民喜全集 Ⅱ」を用いたが、戦前の作品なので恣意的に正字化した。「杞憂亭民喜」と「俳 句 集」は実際には底本ではポイント落二行で、以下の「『春眠』十五句撰」の上にある。「撰」の用字は底本のママ。
「雨の舍主人」とは石橋貞吉(後の山本健吉の本名)の当時の俳号。底本の本篇の前には、原民喜による「雨の舍貞吉句稿より十五ほど選んで後」という、雨の舍貞吉の句の十五句民喜選と、その前にかなり力の入った民喜の句評文が載る。
「十三年」「十四年」「十五年」は総て大正。民喜慶応大学文学部予科時代の十九から二十一歳の折りの句群である。]
杞憂亭民喜
『春眠』十五句撰
俳 句 集
(雨の舍主人撰之)
靑空に隔たる雪の光かな
[やぶちゃん注:この句は、民喜の「杞憂句集」に、「拾遺十四句」の一句として載る句で、民喜遺愛の若き日の句であったことが判る。]
(以上十三年)
こらへ居るし夜のあけがたや雪の峰
稻妻に松四五本明りけり
松の葉に暑き光の靜まれる
霧明り白堊の館灯しけり
ま四角の頰赤き童た走りぬ
(以上十四年)
朝日子の雪解の路にあふれけり
[やぶちゃん注:「朝日子」は「あさひこ」であるが、「こ」は親しみの意を表す接尾語であって、「朝日」の意で、民喜の「杞憂句集」の、十四年後の昭和一五(一九四〇)年の句に「朝日子のゆらぎてゐるや春の海」があり、彼の好きな響きの語であったことが判る。]
山茶花に暮色の迫る廣間哉
ある家に時計打ちをり葱畑
[やぶちゃん注:この句、実は民喜の「杞憂句集」の最終パートである「原子爆弾」の終りから二つ目に、完全な相同句がさりげなく配されている。私は被爆後の句とばかり思っていた。或いは、被爆直後に移った広島郊外の八幡村(恐らくは広島県の旧山県郡八幡村。現在の北広島町内)で同じ景色を再体験して完全なフラッシュ・バックが起ったものかも知れないが、実際には実に十九年前の句であったのである。しかしこれは恐らく、民喜の恣意的な仕掛けではない、と私は思う。杞憂が現実となって太陽が地に落下したあの日――彼の意識はまさに遙かにあの原爆の閃光のように――意識のフラッシュ・バックが起こっていたのではなかったか?――自分個人は永遠に取り戻すことの出来なくなった、青春の日の至福の、田園風景のスカルプティング・イン・タイムに向かって――]
霙るゝや松の根本の塵芥
[やぶちゃん注:「霙るゝや」老婆心乍ら、「みぞるゝや」と読む。]
たんぽゝの葉に香の注ぐ光哉
鳥の居る晩夏の空の夕かな
朝涼やかなかなかなと松に鳴く
[やぶちゃん注:「朝涼」「あさすず」は夏の朝のうちの涼しいこと、或いは、その時分を指す。]
梨落ちて五六歩さきにありにけり
(以上十五年)
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