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2016/03/22

進化論講話 丘淺次郎 藪野直史附注 第四章 人爲淘汰(1) 序/一 淘汰の方法/二 遺傳性のこと

 

    第四章 人爲淘汰

 

 さて人間が飼養し來つた動植物は、如何なる理由により如何なる方法に隨つて、各種毎に斯く數多の異なつた變種を生ずるに至つたかといふに、その理由・原因は決して一通りに限つた譯でなく、種々の事情が與つて力あるやうに思はれる。同一の植物に生じた種子でも之を甲乙丙丁等の相隔つた國々に持つて行つて蒔けば、之より生ずる植物の間に多少の相違の起ることは決して珍しくない。尚三代四代と時の歷るに隨つてその相違も著しくなり、全く異つた植物かと思はれるまでに變化するものも往々ある。これらは皆地味、土質の相違、風雨・乾濕の多少、温度の關係等より起る自然の變化で、別に人間の力が加はつて居る譯ではない。かの秋田の大蕗(ふき)の種も、東京へ持つて來て蒔いては到底葉がかやうに大きくはならず、櫻島の大根の種も、京都・大阪に移しては決して半分の太さにも達せぬは、この類であらう。併し、西洋諸國で見る如き著しい變種は決して單に風土の異なるに隨つて出來たものばかりではない。例へばパウター・ファンテイルの如き鳩、グレイハウンド、ブルドッグの如き犬は、到底單に氣候や食物の關係から生じた變種とは思へぬ。これらは天然自然に起る變化の外に特別な原因があつて終に今日の如き著しい姿を呈するに至つたのである。

[やぶちゃん注:「秋田の大蕗」フキの変種である、キク亜綱キク目キク科キク亜科フキ属フキ亜種アキタブキ Petasites japonicus subsp. giganteusウィキの「アキタブキによれば(アラビア数字を漢数字に代え、記号の一部を省略した)、『エゾブキ、オオブキとも呼ばれる』。『日本原産で、主に本州北部、北海道、千島、樺太に分布している 。葉柄が一メートルから二メートル、葉の直径は一・五メートルとなり、食用とする。秋田県を中心に加工用として』『栽培されている。特に寒冷地では牧草地で大繁殖する』。『江戸時代、秋田藩主の佐竹義和(義峯公とも)は江戸でこの傘の代わりにもなるフキの自慢をしたところ、他の藩主から信じてもらえなかった。そこで、藩主の名誉のために、領民は山野を捜索して二本の巨大フキを江戸に運び、藩主の名誉を回復したという。これにより、傘代わりにもなるこのフキの存在が国中に知られることとなった』とある。]

 

     一 淘汰の方法

 

 かやうな著しい變種は如何にして生じたかといふに、之は全く人間の世話によつて出來たものであるが、その方法は現に今日も飼養者が常に行つて居る所で、別に不思議な法ではない。たゞ多くある個體の中から飼養者の理想に最も近い性質を帶びたものを選み出し、之を繁殖の目的に用ゐ、その生んだ子の中からまた飼養者の理想に最も近い性質を帶びたものを選み出して之を繁殖せしめ、代々同じことを繰り返すに過ぎぬ。例へば極めて耳の長い兎を造つて一儲しようと思ふ人は、澤山ある兎の中から最も耳の長さうなものを選み出し、物指しを以て丁寧に耳の長さを測り、一番耳の長い牝に一番耳の長い牡を掛けて子を生ませ、その生れた子の中からまた一番耳の長いものを選み出して之に子を生ませる。斯く代々一番耳の長いものを選み出して之を繁殖の目的に用ゐるやうにすると、一代毎に少しづゝ耳の長い子が出來て、一代毎に少しづゝ飼養者の理想に近づいて來る。今日見る如き種々の動植物の著しい變種は皆かやうに代々飼養者が繁殖の用に供すべきものを選擇した結果であるが、之は人間の料簡で行ふ淘汰であるから人爲淘汰と名づける。我々の飼養する動植物の次第次第に改良せられて行くのは主として人爲淘汰の結果である。

 人爲淘汰を行うに當つて、飼養者がたゞ一人よりなく、その一人がただ一種だけの理想を標準として淘汰すれば、飼養せられる動物或は植物はたゞ一方へ向つて變化するばかりであるが、若し初から數人の飼養者が數種の理想を有し、あちらでは甲の標準により、こちらでは乙の標準によつて淘汰するといふやうに、別々に淘汰して行けば、その動植物は各々異なつた方向へ向つて變化し、次第次第に相遠ざかり、初同一種のものも終には全く相異なつた數多の變種に分れてしまふ。人の飼養する動植物に一種毎に今日の如く多くの變種の生じたのは、主としてかやうな具合に人爲淘汰を行ひ來つた結果である。

 前にはたゞ人爲淘汰の方法を示すために便宜上兎を例に取つたが、之は我が國でも兎の流行する時には實際物指しで耳の長さを測り、先に述べた通りのことを行ふから、單に最も手近な例として之を選んだに過ぎぬ。若し人爲淘汰の結果を示すためならば、兎は決して適當な例ではない。之には寧ろ西洋諸國にあるやうな著しい動植物の變種を擧げるが適當である。元來我が國の兎はたゞ一種の玩弄物で實際には何の役にも立たず、且流行するときは一疋五十圓も百圓もするものが、一且流行せなくなれば五十錢でも買人がなくなる位で、之を飼ふものも一時の投機事業と心得て、流行する間は極めて嚴重に淘汰を行ふが、流行が止めば全く棄てて顧みない。それ故、長い間、人に飼はれたにも拘らず、人爲淘汰の結果が目立つ程には積らず、今日の飼兎も百年前の飼兎も略々違はぬ。之に反して西洋諸國の農業の發達した處では、何に對しても絶えず人爲淘汰を十分に行ひ、改良の上にも改良を加へるやうに盡力したので、その結果として、前章に掲げた如き、殆ど注文に應じて特別に造つたかと思はれるやうな著しい變種を生ぜしめるに至つた。かやうな變種を列べてある共進會などに行き、目の前に之を見ると、實に淘汰の力は斯くまでに大きなものかと驚かずには居られぬ。

[やぶちゃん注:「共進會」産業の振興を図るために産物や製品を集めて展覧し、その優劣を品評する会。明治初年代より各地で開催された。「競進会」とも書く。]

 斯くの如く、人爲淘汰によりて動植物を人間の隨意に變化せしめることの出來るのは何故であるかと考へるに、之には三つの條件が備はつてあるからである。三つの條件とは、(第一)親の性質は子に傳はること、(第二)同一對の親より生れた子の間にも必ず多少の相違あること、(第三)生れる子の數は比較的多くて、その中より或るものを選み出すべき餘裕あることであるが、之だけの條件が殘らず備はつてあるから、淘汰も出來、淘汰の結果も現れるのである。

 

     二 遺傳性のこと

Tansisyou

[エッキス光線にて寫したる普通の手の指と短指との比較]

[やぶちゃん注:以上の図は底本の国立国会図書館デジタルコレクションの画像からトリミングし、補正を加えたものである。]

 

 親の性質が子に遺傳することは、我々の日々見聞する所で、改めて證明するに及ばぬ事實である。人間の子はたゞ人間であるといふのみならず、必ずその親なる特別の個人に似る如く、他の動物でも皆その通りで、兎の子は兎全體に通ずる性質を帶びて居る外、その親兎の特殊な性質をも持つて生れる。動植物ともにこの遺傳といふ性質があるから、人爲淘汰によつて之を種々に變化せしめることが出來るので、若し遺傳といふ現象が無く、親の特殊の性質が子に傳はらぬと定つて居たならば、人爲淘汰も無論何の役にも立たぬ。かの兎を飼ふ人が骨を折つて耳の最も長い兎を選み出して之を繁殖用に使ふのは、たゞ耳の長い親兎からはやはり耳の長い子兎が生れることを、經驗上信じて居るからである。

 斯く親の性質が子に遺傳することは、當然のこととして常には誰も殆ど之を念頭に置かぬ程であるが、親に何か特別な變つた點のあるときには、遺傳の現象が著しく人の目に觸れる。その中で最も明なのは手足に指が六本ある如き、畸形の場合であらう。一二の例を擧げて見るに、今より百六十年程前にエスパニヤの或る處に突然左右の手足ともに六本ずつ指のある男の子が生れ、この男が始(はじまり)となつて、それより三代の間に一家一門の中に殆ど四十人許も六本指の人が出來たことがある。若し六本指の男が必ず六本指の女と結婚して代々續けば、或は六本指の性質が固定して六本指の人種が出來るかも知れぬが、男でも女でも皆五本の指を持つて居る普通の男女と結婚するから、一代毎にこの性質は著しく薄くなり、三四代の後には全く消えてしまふ。またイタリヤの或る町で、同じく六本指の男が普通の女と結婚し、その間に出來た數人の子どもが皆六本指で、たゞ最後の一人だけ五本指であつたので、父なる男はこの子を自分の子と承認するを欲せなかつたといふ話もある。普通の人の手の指には拇指の外は皆三節あるが、往々短指といふて指の節の二つよりない指の短い畸形がある。之なども確に子孫に遺傳する。その他病氣の遺傳することも人の常に認める所で、特に精神病などになると、醫者が極めて嚴重にその系圖を穿鑿する。

[やぶちゃん注:「手足に指が六本ある如き、畸形」手足の先天性形状異常の一つである多指(多趾)症(polydactyly:ポリダクトリィ)。「ブリタニカ国際大百科事典」の「多指症」の項には、まさにこのスペインの例が引かれており、十八世紀半ば頃にスペインで四肢とも六本指の男子が生れ、その家系から三代の間に、同種の奇形が 四十人ほど出現したという記録がある、と記してある。ウィキの「多指症」によれば、『過剰な指(趾)が痕跡的に突き出るもの、細い茎でぶらぶらする指(趾)がつながっているもの(浮遊型)、完全な指(趾)の形を示すものまで見られさまざまである』。『人種的には黒人に多く見られるが、どの人種にも見られ、日本人では手指の場合は拇指(親指)に、足趾の場合は第V趾に多く見られる』。ブラジルでは十四人の『家族全員が先天的に指の数が多い多指症である例がある』。『現代、特に先進国では幼いうちに一本を切断し』、五本指と『することが多い。その際は指(趾)の大きさ、骨や関節、筋腱における異常を検討して切断指(趾)を決める。手術治療を行う場合は指の機能が確立される』一歳時までに『行うのが主流である。国や時代によっては尊ばれる身体的特徴となる場合もあり、「隋書」の西域伝によると、疏勒』(しょろく/そろく:かつて東トルキスタンに存在したオアシス都市国家。現在のタリム盆地の西端に位置する中華人民共和国新疆ウイグル自治区カシュガル地区カシュガル(喀什)市。漢代から唐代にかけてシルクロード交易の要所として栄えた)『では「人手足皆六指子非六指者不育(皆、手足の指が六指であり、産まれた子が六指に非ぬ場合は育てず)」という風習があったとの記述がある』と記す。

「指の節の二つよりない指の短い畸形」先天性畸形の一つである短指症。但し、五本総てではなく、一部の指の関節が有意に短い場合は「まむし指」などと称し、ネット検索をかける限りでは決して珍しくないようである(但し、そういう場合は「日本小児遺伝学会」公式サイト内の「国際基準に基づく小奇形アトラス」の解説を読むと、「短指症」とは呼ばないとある。画像があるのでリンクは張らない)。]

 併し、親の性質が殘らず子に遺傳するものでないことも、我々の善く知つて居る事實である。人間の例を取つても、鼻の高い人に鼻の低い子の出來ることもあり、肥えた人に瘦せた子の出來ることもある。けれども鼻は親に似ないが眼付きが親の通りであるとか、親よりは瘦せて居るが歩き具合がそのまゝであるとか、必ず何か親の性質の傳はらぬことはない。また生れた子の性質の中で、或る點は父より傳はり、或る點は母より傳はるが、何の性質は必ず父より傳はるとか、また必ず母より傳はるとかいふ定(きまり)は、少しもないやうで、例へば眼付きは父に似、口元は母に似た子もあれば、之と正反對で母の眼付と父の口元とを備へた子もある。斯くの如く遺傳といふ現象のあることは、目前の事實で、誰も疑ふことは出來ぬが、さて親の性質の中で、如何なる點だけが子に遺傳し、如何なる點は遺傳せぬか、または如何なる性質は父から傳はり、如何なる性質は母から傳はるかといふやうに、その詳細なる法則を考へると、之に關する我々の現在の知識は殆ど皆無といつても宜しい。

[やぶちゃん注:狭義に考えれば、現行では性染色体異常による優性の遺伝病が明らかにされており、それは「父」か「母」の孰れかから限定的特異的に遺伝する確率可能性は十分に持つとは言える。丘先生の言う「性質」とはそうしたものも含まれる。されば次の段落のような記述も生まれてくる。但し、性染色体が性決定に関与し、それが形質の遺伝や遺伝病と密接に関わることが研究され出すのは、やっと一九〇〇年代初めであって、本書初版の明治三七(一九〇四)年や底本第十三版の大正一四(一九二五)年頃に、本格化したばかりであったと考えられる。]

 その他或る性質は親から男の子ばかりに傳はつて、女の子には丸で傳はらぬことがある。またその反對の場合もある。千七百十七年に英國ロンドンに生れたランベルドといふ男は奇態な皮膚病で、身體の全面から短い棘が生えて居たので、「山荒し男」といふ綽名(あだな)を附けられて、有名なものであつたが、この性質は男の子や、男の孫には傳はつたが、娘や孫娘には全く現れなかつた。色盲といふて色の區別の分らぬ不具や、血友病と云うて些細な傷口からも血液が流れ出して止まぬ病氣なども、之と同じく子孫の中の男ばかりに現れる。また親の性質が子の代には現れずに孫の代に至つて現れる場合も幾らもある。牡牛は無論乳を生ぜぬものであるが、乳の善く出る牝牛の生んだ牡牛から出來た牝牛が祖母に似て澤山に乳を出すことは、牧畜家の常に知る通りであるが、それと同樣に牝羊には素より角の生えることはないが、特別の形した角を持つた牡羊から出來た牝羊の生んだ牡羊に祖父の通りの角が生えた例もある。かやうな場合に乳を多く出す性質或は特別の形した角を生ずる性質は、如何にして牡牛或は牝羊の身體の内に一生涯隱れて存し、その子の代に至つて初めて現れるかといふやうに、廣く遺傳に關する事實を集めその理由・法則等を考へて見ると、殆ど解らぬことばかりである。遺傳に關する實驗的の研究は、最近十數年間に非常に盛になつて、多くの新事實が發見せられたが、それだけまた新しい問題も生じてなかなか容易には決着しさうにもない。これらに就いては更に後の章に述べるが、我々は今日の所遺傳の現象の僅に一小部分のみを理解し得たに過ぎぬ。

[やぶちゃん注:文中、現在は差別用語とされる「不具」という語が現われるので批判的にお読み戴きたい。

「身體の全面から短い棘が生えて居た」この「千七百十七年に英國ロンドンに生れたランベルドといふ男」性の症例に行き遭わなかったが、遺伝しているところからは、先天性魚鱗癬様紅皮症の中でも最も重度とされる、鎧状の非常に硬い皮膚をもつ道化師様魚鱗癬か。]

 この困難な遺傳の現象を説明せんがために、ダーウィン以後に多數の學者が種々の假説を考へ出した。その重なものだけでも七つ八つもあるが、執れも十分な土臺のない架空の論で、到底一般の學者を滿足せしめ得るほどのものではない。元來遺傳の現象は生物進化の一要素であるから、その理法の明になるまでは、生物進化の説明も完全には出來ぬ譯であるが、ダーウィンの自然淘汰の説では、ただ遺傳の事實なることを認めさへすれば、生物進化の大體は説明が出來るから、こゝには以上述べただけに止めて置く。

 

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