ツルゲーネフ原作米川正夫譯「生きた御遺骸」(「獵人日記」より)(ⅩⅡ)
「たゞ一つ困つたことには、一週間以上もまるで眠られないことがございます。去年ある奧さまが通りかゝられまして、わたしをご覽になつて眠り藥を一と壜くださいました。一度に十滴(たらし)づつ飮めといふことで。これが大層よく利きまして、よく眠れたものですけれど、もうその藥も疾くに飮んでしまひました‥‥一體あれは何といふ藥かご存じございませんか、そして、どうしたら手に入るでございませう?」
通りすがりの奧さんは、察するところ、阿片をやつたに相違ない。私はその藥を屆けてやると約束したが、又もや改めて、彼女の辛抱つよさに感嘆の叫びを洩らしたのであつた。
「なあ、旦那さま!」と彼女は打ち消した。「何を仰つしやいます! これが何の辛抱でございませう? まあ、聖シメオン樣などのご辛抱は、なるほど大したものでした。三十年もの間、柱の上に立ち通していらつしやいましたからね! 又もう一人の聖者の方は、自分の體を胸まで土の中に埋めさせて、顏を蟻に食はれておいでになりましたものね‥‥それから、これは村の先生が話して聞かせて下すつたのですけれど、ある國があつて、その國を回々教のやつらが攻め取りましてね、國中のものを苛い目に遭はしたり、殺したりしました。その國の人たちも色々に手を盡くしたのですけれど、敵を追ひ出すことが出来なかつたのでございます。ところが、その國にまだ處女(むすめ)ながら一人の聖女が現はれました。大きな劍を取つて十貫目もあるやうな冑をつけて、回々教のやつらを征伐に向かひ、すつかり海の向かうへ迫つ拂つてしまひました。けれども敵を追つ拂つてしまうと、その敵に向かつて、『さあ、これからわたしを火焙りにして下さい。わたしは國民のために火に燒かれて死ぬと誓つたのだから。』と申しました。で、回々教徒の奴らは處女(むすめ)を摑まへて、火焙りにしてしまひました。その時からこの國の人たちは、ずつと自由の身になつたさうでございます! これこそ本當にえらい苦行でございます! わたしなんかどう致しまして!」
私は、どこからどうしてジャンヌ・ダルクの傳説がこんな田舍へ入つて來たのかと、心ひそかに驚いた。暫く默つてゐた後でルケリヤに、この處女の年は幾つであつたかと訊ねてみた。
「二十八か‥‥九‥‥三十にはなりますまい。でも、そんなもの、年なんぞ勘定したつて仕樣がありません! それより、もう一つお話しいたしませう‥‥」[特別やぶちゃん字注:モデルであるカトリック教会の聖人で「オルレアンの処女」(la Pucelle d'Orléans)と称されるジャンヌ・ダルク(Jehanne Darc 一四一二年?~一四三一年五月三十日)は異端審問で自ら満十九歳と答えている。ルケリヤの現年齢は前半の主人公「私」の過去の叙述から見て恐らく、この「二十八か‥‥九‥‥三十にはな」らぬ同年齢であると推定し得る。]
ルケリヤは不意に妙な閊へたやうな咳をして、ほつと溜め息をついた‥‥。[特別やぶちゃん字注:「閊へた」「つかへた」と読む。咽喉や胸にものが塞がるの意の「痞(つか)える」である。]
「お前は話をし過ぎるよ。」私は注意した。「體に障るかも知れないよ。」
「全くでございます。」と、彼女はやつと聞こえるか聞こえないかに囁いた。「このお話もこれでお終ひと致しませう。仕樣がありませんもの! 今にあなたが行つておしまひになつたら、思ふ存分默りこくつてをりませう。とにかく、これで胸がすつとしましたから‥‥」
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