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2016/03/03

丘淺次郎「進化論講話」 藪野直史附注 始動

進化論講話   丘淺次郎   藪野直史附注

 

[やぶちゃん注:「生物學講話」の電子化完結に伴い、今一つの丘先生の名著「進化論講話」の電子化注に入る。

 本作は本邦に於いて一般大衆向けに書かれた初の進化論の概説書で、初版は明治三七(一九〇四)年一月に東京開成館から発行された。

 本テクストは、国立国会図書館デジタルコレクションの中の、同じ東京開成館から大正一四(一九二五)年九月に刊行された、その『新補改版』(正確には第十三版)を底本として、画像を視認した。それ以前の版が国立国会図書館デジタルコレクションにはあるが、内容が進化論である以上、ここは初版ではなく、最も新しい版を底本として選んだ。

 なお、時間を節約するため、個人サイト「科学図書館」にある、既にPDF化された(但し、こちらは第十二版でしかも新字新現代仮名遣に直されてある)を加工用テクストとして使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる。ただ、すでに冒頭の『新補改版はしがき』からして、上記PDF版とは微妙に表現が異なっている箇所がかなりある。試みに、比較されたい

 「生物學講話」同様、一部に用いられてある右下の小さな踊り字「〻」は「々」に代え、「く」「〲」については正字化した。底本の外国人のカタカナの人名の右傍線は下線とし、図のキャプションも同じく[ ]で挟んだ。図は概ね底本のものを用いるが、一部で昭和五一(一九七六)年講談社学術文庫刊の「進化論講話」(上・下二巻本)の図に差し替えるものも出て来るかも知れない。なお、外国のカタカナ表記の地域・地帯・地名には右二重傍線が引かれてあるが、ブログでは二重線が引けないため、下線太字に変えてある

 

 

理學博士 丘淺次郎 著

 

新補 進化論講話

 

      東京開成館發行

 
 

Hatonohensyu

[鳩の變種

1 かはらばと  2 キャリヤー

3 つかひばと  4 パウター

5 ファンティル 

6 タンブラー  7 さかげ

8 モルタ    9 えりまき]

[やぶちゃん注:以上の図は底本の国立国会図書館国立国会図書館デジタルコレクションの画像からトリミングし、補正を加えたものである。

「かはらばと」動物界脊索動物門脊椎動物亜門鳥綱ハト目ハト科カワラバト属カワラバト Columba livia は我々が普段、普通に「ハト」と呼んでいる基本種。ドバト。以下の変種は概ね、本種を人間が飼育調教などをして品種改良したものであるが、本種自体も学術的には本邦の在来種ではない。

「キャリヤー」イングリッシュ・キャリアなどの類か。こちらのshow taimu氏のブログの「イングリッシュキャリア」に『特に羽色が黒だとカラスに近い体型』とあるのと絵が一致するように思われる(リンク先には写真有り)。

「つかひばと」伝書鳩。

「パウター」図から見て、これは「ポーター」(Pouter)のことである。ウィキの「ポーターによれば、家畜化されたカワラバトで、『大きなサイズと長い足、空気で膨らんだ素嚢が特徴である』。『その特異な外見から、主に観賞用として育成される。育成の発祥は分かっていないが、ヨーロッパでは少なくとも』四百年以上は『育成されている』とある。

「ファンティル」「ファンテイル」=「fantail」で、幅広の扇(ファン)形をした尾がを持つ孔雀鳩(くじゃくばと)のこと。

「タンブラー」鳩飼育のサイトを見る限り、宙返りするように調教飼育して生まれた品種か。

「さかげ」逆毛。

「モルタ」不詳。ただ、体型から見て、これはどうも食用に「改良」された種なのではないかと私には見受けられる。識者の御教授を乞う。

「えりまき」襟巻。ここまでくると実にヒトという種の変態性がよく判る。]

 

    新補改版はしがき

 

 本書の第一版を公にしたのは、去る明治三十七年の春で、恰も日露戰爭の始まつた際であつたから、今から算へると已に滿二十年以上の昔となつた。

 初めこの書物を著した趣意は、第一版の序に書いて置いた通り、なるべく廣く進化論を普及せしめるためであつた。それ故、生物學上の素養がなくては到底解らぬやうな事項は一切省いて置いたが、かやうな事項を略しても、進化論の骨髓だけを了解するには少しも差支はない。

 抑々進化論は十九世紀中人間の思想に最も偉大な變化を起した學問上の原理で、今日普通の教育ある人は誰も心得て居るべき筈のものであるに、我が國には通俗に之を述べた書物がまだ甚だ少い。本書の第一版の現れた頃には、この種類の書物は他に一種もなかつたが、それより二十年を經た今日になつても、尚著しく增加したことを聞かぬ。之を西洋諸國の大小幾十通りも通俗書があつて、小僧でも職人でも小學校さへ濟ませた者ならば、誰でも進化論の大要を容易に知り得るのに比べると、實に雲泥の相違である。之は、一つには國語の性質も異なり、文字の難易に相違のあるにも因ることであらうが、我が國に於ける進化論の普及の程度が外國に比してまだ大に及ばぬは明である。

[やぶちゃん注:イギリスの自然科学者チャールズ・ロバート・ダーウィン(Charles Robert Darwin 一八〇九年~一八八二年)が進化論を明確に主張した「種の起源」(原題「On the Origin of Species」)は一八五九年十一月二十四日(安政六年十一月一日相当)に出版されている。本書初版刊行の明治三七(一九〇四)年の僅か四十五年前のことであった。]

 進化論は元來生物學上の原理であるから、生物學を修める者は皆之を知つて居るが、その基礎とする事實が悉く專門的のもの故、生物學者以外にはまだ十分に了解せられて居ないやうである。若し進化論が生物學の範圍内だけに限られて、他に影響を及ぼさぬやうなものならば、之でも宜しいが、進化論は人間といふ考を根柢から改め、そのため總べての思想に著しい變動を起し、社會の進歩・改良の上に大關係を有するもの故、決して生物學者だけが之を知つて居れば宜しいといふやうなものではない。進化論が、まだ確定せぬ假説ででもあるならば、之を世聞一般に披露するには及ばぬが、學問上では既に確定した事實と認められて居るもので、之を世間で知らぬのは單に生物學上の知識の行き渡らぬに因ること故、社會の進歩・發達の上に有益なものであると認めた以上は、之を普及せしめることは、生物學を修めた者の義務であらう。著者は初めかやうな考から本書の著述を思ひ立つたのであつた。

 斯くて本書の第一版を公にした所が、その以前に通俗的に書いた進化論の書物が一册もなかつたため、且は世人の思想が已に進歩して、進化論を要求する程度までに達して居たために、世上より意外の歡迎を受け、數十名の讀者からは懇篤な書狀を贈られ、數名の讀者は態々著者を自宅または教室に訪問せられた。中には遙々米國から丁寧な禮狀を送られた方もあつた。これらは皆本書が幾分かなりとも進化論の普及に役に立つた徴とも見るべきことと考へて、著者は甚だ滿足に感じた。隨つて屢々版を重ねる必要も生じて、明治四十年の第七版では從來用ゐ來つた四號活字を十二ポイントに改め、紙數を減じ、圖版を加へ、同四十四年の第十版では更に多少の訂正を施した外に新圖を增しなどしたが、大體の仕組は、最初のままで遂に今日に及んだのである。

[やぶちゃん注:「態々」老婆心乍ら、「わざわざ」と読む。

「四號活字」十四ポイント相当。約五ミリメートル。

「十二ポイント」約四・二ミリメートル。]

然るに、その間には生物學の各方面とも著しく進歩し、特に進化論とは最も關係の深い遺傳の實驗的研究が頗る盛になり、その結果から立論して、生物進化に就いて隨分異なつた學説を唱える人も生じ、これらの學説が追々我が國の雜誌上に紹介せられやうになつたから、如何に通俗を主とする書物でも、かやうな新研究の要點だけは書き加へて置いた方が、宜しからうと考へるに至つた。それ故、全部の仕組を少しく變更し、特に後半に屬する部を書き直して、簡單ながら最近研究の結果を附け加へ、その時代に相當するものと爲すやうに勉めた。若し之によつて、近來唱へ出された種々の新學説に對して、公平な觀念を與へることが出來たならば、誠に幸である。

[やぶちゃん注:「唱へ出された」底本は「唱へ出さたれ」。誤植と断じて特異的に訂した。]

 本書は、全部を分つて二十章としてあるが、尚之を大別すれば、第一章・第二章は前置きで、第三章より第八章まではダーウィンの自然淘汰説、第九章より第十四章までは生物進化論の證據、第十五章より第十八章までは遺傳・變異等に關する近年の研究、第十九章・第二十章は進化論を人間に當て嵌めて論じたものである。併し、全部揃つた上で論旨の通ずるやうにと勉めて書いたもの故、一部分づゝに離しては素より完結したものでない。また以上各部の中には多少性質の違つたものがある。即ち第一章・第二章の前置き、第九章より第十四章までの「生物進化の證據」及び第十九章の「自然に於ける人類の位置」などは、孰れも單に有りのまゝの事實を述べたのである故、之に對して反對を唱へることは恐らく出來ぬであらうが、第三章より第八章までの自然淘汰説に就いては之と異なつた説を有する人が幾らもある。たゞ著者は生物進化の説明にはこの説が最も適切であると考へるので、之を採つたのである。第十五章より第十八章までに述べたことは當時尚研究の最中で、今後新しい結果を見ることも頗る多からうから、之に基づいた學説の如きも尚餘程批評的に觀察することが必要である。最後の第二十章に論じたことは、著者が執筆の際に胸に浮んだことを書き連ねたもの故、その中の或る部分に對しては正反對の考を抱いて居る讀者が有るかも知れぬ。これらに就いては誤解のないやうに、本文の中でそれぞれ注意して置いた積りであるが、念のためこゝにも斷つて置く。

 尚一つ斷つて置くべきことは、本書はなるべく多數の人に生物進化の要點だけを傳へたいと考へて書いたもの故、些細な點は單に總括して述べた處もあれば、また便宜上僅少の例外を無視して説いた處もある。併し、人の顏を畫くには眉の毛か二本づゝ畫くには及ばず、又鼻の孔の代りに點だけを打つて置いても一向構はぬ如く、大體を示す場合には之で少しも差支はない。一本一本の眉の毛を説明して居るやうなことでは、却つて顏全體の要點が顯れぬ。第二章の「進化論の歷史」の如きは特にこの筆法で書いたもの故、殆ど一筆書きの畫のやうなもので、單に思想變遷の筋路だけを寫したに過ぎぬ。また第十五章以後の遺傳・變異に關する處なども、之を詳に書けば種々の專門的の書式を用ゐねばならず、斯くては徒に讀者を倦眞節結果を生ずるから、思ひ切つて大に節略し、極めて大體のみを述べることにした。

 卷末に進化論及び、遺傳・變異等に關する外國書の中で最も善いと認めるもの若干を掲げて置いた故、委しく知ろうと欲する讀者は、これらの書によつて更に學ぶが宜しい。

 

 大正十四年六月

           著  者  識

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