卒業式召集令状夢
多くの卒業式が行われた昨夜――こんな夢を見た――
*
どこかの高校の卒業式である。
僕は教員だが、警備担当で式場の外にいる。
[やぶちゃん注:事実、僕は、国旗国歌斉唱が義務づけられて以降、担任の時以外は常にあらゆる式典会場には入らず、真っ先に警備担当を自ら名乗り、合法的に国旗を仰がず、国歌を歌っていない(一度だけ最後の担任の際、国歌斉唱があったが、私は右手拳を胸に当てがい、口パクで「ラ・マルセイエーズ」を歌っていたことをここに告白しておく。これは私が教員になった際、「国旗に最敬礼したり「君が代」を歌うようなことはしてくれるな」という少年航空兵として特攻を志願して生き残った父との約束を守ったのである。]
式の最中に教え子のS君が呼び出されて、再び戻って来た。ハンドボール部だった屈強な身体の彼は満面の笑みを浮かべて、式場の入口で僕に向かってこういった。
「先生! 御国の御役に立つときが遂に参りました!」
S君の手には「日本国」からの正式な召集令状が握られていた。
僕は彼の肩に優しく右手を掛けると、優しく静かに、こう言った。
「君は未だ見ぬ好きな人を愛し、自らの子をもうけ、その子を育み、幸せな家庭を創らねばならないのです。それがヒトとしての君の当然絶対の成すべき義務です。決して死んではなりませんよ。」
すると、S君の笑顔は寸時に崩れ、彼の目からは大粒の涙が零れ落ちた。
S君は何か言おうとするのだが、嗚咽のために言葉にならないのであった。
そのまま僕はS君を抱きしめた。……
*
「S君」は私の高校時代の同級生のハンドボール部のエースだった人物が演じていた。今日の夕刻、横浜緑ヶ丘時代(生徒はどの学校の子もそれぞれに好きだったけれど、僕個人の教員人生の中では三十三年であそこでの9年間が一番楽しかった)の十数年前のバスケット・ボール部の教え子と逢うことになっている。それも影響していよう。そしてなにより、この妙な僕の最後の台詞は明らかに近く完結しようとする丘浅次郎先生の「生物学講話」に基づく謂いであることが判る。いや、しかし、僕はそれはまっとうな真理だと考えている。僕は遂に子を持たなかったが――
« 生物學講話 丘淺次郎 第二十章 種族の死(5) 四 その末路 | トップページ | 生物學講話 丘淺次郎 第二十章 種族の死(6) 五 さて人間は如何 /「生物學講話」本文終了 »