進化論講話 丘淺次郎 藪野直史附注 第一章 進化論とは何か(1) 序/一 進化論といふ言葉の意味
新補 進化論講話
理學博士 丘 淺次郎 著
第一章 進化論とは何か
進化論といふ言葉は、近頃では頗る盛に用ゐられ、書物や雜誌でも屢々讀み、また談話や講演でも屢々聞くやうになつたが、さて進化論とは何のことであるかと尋ねると、人々によつて往々著しく違つた意味に用ゐられ、中には自分で是が進化論であると思ふものを勝手に定めて、頻に主張したり攻擊したりして居る人も、まだ澤山あるやうに見える。それ故進化論の大意を陳べるに當つては、先づ是非とも進化論とは如何なるものであるか、進化論といふ言葉を世人は如何に用ゐるか、また如何なる點まで進化論者の説が悉く一致し、如何なる點に於いて尚議論を戰はして居るかを最初に確めて、進化論の意義を明にし、僅め誤解を防いで置くことが必要である。
一 進化論といふ言葉の意味
進化といふ言葉は、西洋の學問が我が國へ輸入せられてから新に造られたもので、無論外國語の飜譯であるが、その原語には二通りの意味がある。一は單に進歩とか發展とかいふことで、たゞ時の經るに隨つて變化し來つたことを指すのであるから、進化といふ言葉をこの意味に用ゐれば、宇宙の進化、地球の進化、乃至は下駄の進化、煙草入の進化などといへぬこともない。但しこの場合には變遷とか歷史とかいうのと全く同意味である。他の一は親・子・孫と長く代を重ねる間に次第に性質の變化して行くことをいうので、之は前のとは違ひ、生殖法によつて種屬を繼續して行く生物だけに限り用ゐるべきものである。十九世紀の中頃より非常に喧しくなつた進化論は無論後者の方であるが、何事でも少しく評判が高くなると、直にその名を借りるものが出來て、恰も電氣應用の盛な時には電氣帶や電氣菓子などが賣り出され、ラヂウムが流行すればラヂウム石鹸やラヂウム煎餅の店が出來る如くに、進化といふ言葉も種々の方面に用ゐられるやうに成つた。然しながら生物界に於ては多くの代を重ねる間に漸々變化することだけを進化と名づけ、一疋の生物が生長するに隨つて形の變ることは決して進化とはいはぬ。例へば蟹は蝦の如きものから進化したとか、人間は猿の如きものから進化したとかいふが、決して蝶は「いもむし」の進化したもの、大人は子供の進化したものとか、または籾が進化して稻になる、柿の種子が進化して柿の木になるなどとはいはぬ。同一の言葉を二つ以上の異なつた意味に使ふことは、混雜を生じて間違ひの基となる故、如何なる場合にも避くべきであるが、進化といふ言葉も生物學上に用ゐる意味に一定して、宇宙や地球の今までの變化を述べるときには、變遷とか、歷史とか、別の言葉を用ゐるのが至當であると思ふ。それ故著者は進化といふ言葉を斯樣に狹く解釋して、たゞ生物界にのみ當てて用ゐる。
[やぶちゃん注:ここに出る以下の怪しげなものは自然許容放射線のレベルだからまだどうということはないが、三・一一の直後でさえも経済界の耄碌した大物が少量の放射線ならばかえって体にいいなどとトンデモ発言をしていたのを思い出す。今も環境大臣でさえもあの馬鹿さ加減だ。半最早、人類はとっくに曲がり角を曲がってとうに腐ってしまった。
「漸々」通常は「ぜんぜん」或いは「やくやく」と読み、次第次第に・徐々に・だんだんに・順次にある事態が進んでいくさまを指すが、この「やくやく(漸漸)」の転訛ともされるのが現在の「漸(やうや(ようや))く」であり、違和感のある方は私はこの二字で「ようやく」と読んで何ら問題ないと考えている。
「ラヂウム石鹸」ラジウム(正確にはラドン)含有鉱石の微粉末を混ぜたり、ラドン温泉水を配合した石鹸。微量の自然放射線は健康美肌効果に好いという放射線ホルミシス(radiation hormesis)の一種で現在も盛んに販売されている。「ラヂウム石鹸」で検索してみればよい。これで深刻な放射線障害は起こるまいが、別に普通の石鹸で私はよい。なお、私は放射線ホルミシスを声高に言うDNAレベルや長期的観察を無視した科学者の背後には、似非科学を国民の情報操作や意識操作の手段としている政治家や経済人の翳を常に感ずる。
「ラヂウム煎餅」ラドン温泉水を用いて作った煎餅。ネット記載を見ると、現在でもこの名で売られている場所(温泉)がある。福島県福島市の飯坂温泉や山形県米沢市の小野川温泉では現在も温泉卵を「ラジウム玉子」の名で売っており、人気がある。私も飯坂で自分で茹でて食った。]
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