小さな庭 (正規表現版) 原民喜
[やぶちゃん注:底本は一九七八年青土社刊「原民喜全集Ⅱ」を用いたが、同底本の書誌には、初出は昭和二一(一九四六)年六月号『三田文学』とするものの、「庭」を巻頭とする以下の十八篇から成る総標題「小さな庭」散文詩群の最後には、『一九四四――四五年』とあり、全詩篇の印象から、これは敗戦前(被爆以前)の作品であると読める。されば、恣意的に漢字を正字化して電子化した(歴史的仮名遣は底本のママ)。【2023年2月23日削除・改稿 藪野直史】今回、国立国会図書館デジタルコレクションの「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」で正字正仮名版の昭和二八(一九五三)年角川書店刊の「原民喜作品集」第一巻・第二巻の画像も入手出来たので、これに引き続き、それらによる過去の本ブログの電子化した恣意的正字化版も、正規表現版へ校訂を開始する。それで校合し(ここでは後者)、改めて正しく原本で本作品集の全作品を、順次、正規表現版に作り直した。必要と考えた箇所には、注も追加する。なお、私のそれぞれの原原稿は外附けハード・ディスク全損壊のため消失していることから、ブログ記事を、直接、校合した。それに伴い、以下、標題に「(正規表現版)」と変更した。最後のクレジットは最終行末にあるが、改行した。]
小 さ な 庭
庭
暗い雨のふきつのる、あれはてた庭であつた。わたしは妻が死んだのを知つて おどろき泣いてゐた。泣きさけぶ聲で目がさめると、妻はかたはらにねむつてゐた。
……その夢から十日あまりして、ほんとに妻は死んでしまつた。庭にふりつのるまつくらの雨がいまはもう夢ではないのだ。
そら
おまへは雨戶を少しあけておいてくれというた。おまへは空が見たかつたのだ。うごけないからだゆゑ朝の訪れが待ちどほしかつたのだ。
閨
もうこの部屋にはないはずのおまへの柩がふと仄暗い片隅にあるし、胸のときめきで目が覺めかけたが、あれは鼠のしわざ、たしか鼠のあばれた音だとうとうと思ふと、いつの間にやらおまへの柩もなくなつてゐて、ひんやりと閨の闇にかへつた。
菊
あかりを消せば褥の襟にまつはりついてゐる菊の花のかほり。昨夜も今夜もおなじ闇のなかの菊の花々。嘆きをこえ、夢をとだえ、ひたぶるにくひさがる菊の花のにほひ。わたしの身は闇のなかに置きわすれられて。
眞 冬
草が茫々として、路が見え、空がたれさがる、……枯れた草が濛々として、白い路に、たれさがる空……。あの邊の景色が怕いのだとおまへは夜更におののきながら訴へた。おまへの眼のまへにはピンと音たてて割れさうな空氣があつた。
[やぶちゃん注:「怕い」「こはい(こわい)」(怖い)。]
沼
足のはうのシイツがたくれてゐるのが、蹠に厭な賴りない氣持をつたへ、沼のどろべたを跣足で步いているやうだとおまへはいふ。沼のあたたかい枯葉がしづかに煙つて、しづかに睡つてゆくすべはないのか。
[やぶちゃん注:「蹠」多くの読みがあるが、ここは「あうら」と読みたい。足の裏。]
墓
うつくしい、うつくしい墓の夢。それはかつて旅をしたとき何處かでみた景色であつたが、こんなに心をなごますのは、この世の眺めではないらしい。たとへば白い霧も嘆きではなく、しづかにふりそそぐ月の光も、まばらな木々を浮彫にして、靑い石碑には薔薇の花。おまへの墓はどこにあるのか、立ち去りかねて眺めやれば、ここらあたりがすべて墓なのだ。
な が あ め
ながあめのあけくれに、わたしはまだたしかあの家のなかで、おまへのことを考へてくらしているらしい。おまへもわたしもうつうつと仄昏い家のなかにとじこめられたまま。
岐 阜 提 灯
秋の七草をあしらつた淡い模樣に、蠟燭の灯はふるへながら呼吸づいてゐた。ふるへながら、とぼしくなった焰は底の方に沈んで行つたが、今にも消えうせさうになりながら、また ぽつと明るくなり、それからジリジリと曇つて行くのだつた。……はじめ岐阜提灯のあかりを悅んでゐた妻はだんだん憂鬱になつて行つた。あかりが消えてしまふと、宵闇のなかにぼんやりと白いものが殘つた。
朝 の 歌
雨戶をあけると、待ちかねてゐた箱のカナリヤが動きまはつた。緣側に朝の日がさし、それが露に濡れた靑い菜つぱと小鳥の黃色い胸毛に透きとほり、箱の底に敷いてやる新聞紙も淸潔だつた。さうして妻は淸々しい朝の姿をうち眺めてゐた。
いつからともなくカナリヤは死に絕えたし、妻は病んで細つて行つたが、それでも病室の雨戶をあけると、やはり朝の歌が緣側にきこえるやうであつた。それから、ある年、妻はこの世をみまかり、私は栖みなれた家を疊んで漂泊の身となつた。けれども朝の目ざめに、たまさかは心を苦しめ、心を彈ます一つのイメージがまだすぐそこに殘つてゐるやうに思へてならないのだつた。
酸 漿 圖
なぜか私は酸漿の姿にひきつけられて暮らしてゐた。どこか幼い時の記憶にありさうな、夢の隙間がその狹い庭にありさうで……初夏の靑い陽(かげ)さす靑酸漿のやさしい蕾。暗澹たる雷雨の中に朱く熟れた酸漿の實。夏もすがれ秋はさりげなく蝕まれて殘る酸漿の莖。かぼそく白い網のやうな纎維の袋のなかに照り映えてゐる眞冬の眞珠玉。そして春陽四月、土くれのあちこちからあわただしく萌え出る魔法の芽。……いく年かわたしはその庭の酸漿の姿に魅せられて暮らしてゐたのだが、さて、その庭のまはりを今も靜かに睡つてただよつてゐるのは、妻の幻。
[やぶちゃん注:「酸漿」は青土社版全集では「鬼灯」となっているが、私は個人的には、この方がよいと思う。「すがれ」は「盡れる」「末枯れる」で、ここでは、「盛りが過ぎて衰え始める」の意。]
秋
窓の下にすきとほつた靄が、葉のちりしだいた竝木はうすれ、固い靴の音がしていくたりも通りすぎてゆく乙女の姿が、しづかにねむり入つたおんみの窓の下に。
[やぶちゃん注:「ちりしだいた」散り乱れる、散り荒れた、の意。]
鏡のやうなもの
鏡のやうなものを、なんでも浮かび出し、なんでも細かにうつる、底しれないものを、こちらからながめ、むかふにつきぬけてゆき。
夜
わたしがおまへの病室の扉を締めて、廊下に出てゆくと、長いすべすべした廊下にもう夕ぐれの氣配がしのび込んでゐる。どこよりも早く夕ぐれの訪れて來るらしいそこの廊下や階段をいくまがりして、建物の外に出ると澄みわたつた空に茜雲が明るい。それから病院の坂路を下つてゆくにつれて、次第にひつそりしたものが附纏つて來る。坂下の橋のところまで來ると街はもうかなり薄暗い。灯をつけてゐる書店の軒をすぎ電車の驛のところまで來ると、とつぷり日が沈んでしまふ。混み合ふ電車に搖られ次の驛で降りると、もうあたりは眞暗。私は袋路の方へとぼとぼ步いて行き、家の玄關をまたぎ大急ぎで電燈を捻る。すると、私にははじめて夜が訪れて來るのだつた、おまへの居ない家のわびしい夜が。
[やぶちゃん注:「灯」「燈」は底本のママとした。悩んだが、「袋路」も「ふくろこうぢ(ふくろこうじ)」であるならば、そのままがいい、と判断した。]
頌
澤山の姿の中からキリキリと浮び上つて來る、あの幼な姿の立派さ。私はもう選擇を誤らないであらう。嘗ておまへがそのやうに生きてゐたといふことだけで、私は既に報いられてゐるのだつた。
[やぶちゃん注:「頌」「しよう(しょう)」は、人の徳や物の美などを褒め讃えること。また、褒め讃えた言葉や詩文。キリスト教では神を讃える歌の意。民喜はキリスト教徒ではないが、彼の長姉ツルはクリスチャンでその教授を受けて若き日に強い影響下にあったことは明らかで、彼の作品にはキリスト教的な何らかのイメージ(反駁性を強く示し乍らも)が常にあることは事実だと私は思う。]
かけがへのないもの
かけがへのないもの、そのさけび、木の枝にある空、空のあなたに消えたいのち。
はてしないもの、そのなげき、木の枝にかへつてくるいのち、かすかにうづく星。
病 室
おまへの聲はもう細つてゐたのに、咳ばかりは思ひきり大きかつた。どこにそんな力が潛んでゐるのか、咳は眞夜中を選んでは現れた。それはかたわらにゐて聽いてゐても堪へがたいのに、まるでおまへを揉みくちやにするやうな發作であつた。嵐がすぎて夜の靜寂が立もどつても、病室の嘆きはうつろはなかつた。嘆きはあつた、……そして、じつと祈つてゐるおまへのけはひも。
[やぶちゃん注:「立もどつても」はママ。「たちもどつても(たちもどっても)」。]
春
不安定な溫度のなかに茫として過ぎて行つた時間よ。あんな麗しいものが梢の靑空にかかり、――それを眺める瞳は、おまへであつたのか、わたしであつたのか――土のおもてに滿ちあふれた草花。(光よ、ふりそそげ)かつておまへの瞳をとほして眺められた土地へ。
一九四四――四五年
« 甲子夜話卷之二 1 神祖葡萄の御硯箱の事 | トップページ | 遙かな旅 原民喜 附やぶちゃん注 (正規表現版) »