進化論講話 丘淺次郎 藪野直史附注 第三章 人の飼養する動植物の變異(1) 序
第三章 人の飼養する動植物の變異
動植物は代を重ねる間には少しづゝ形狀・性質等が變化するものであるか如何といふ問題を調べるには、是非とも親・子・孫と系圖の明に知れて居る個體を幾代も比較して見るのが必要であるが、野生の動植物ではこの事は到底出來難い。何故といふに野生の動物はたゞ鐵砲で擊つたり網に掛けたりして、その場に居合せたものを捕獲するだけであるから、その動物の親は誰であるかそのまた親は誰であるか全く解らず、また之を長く養つて子孫の生れるのを待ち、之を親と比較することも決して容易でない。植物とてもそれと同じく、どの木の實がどこに落ちるか、どの草の種がどこに生(は)えるか、一向解らぬから、目前に何百本同種の草木があつても、どれが親かどれが子かなかなか知れぬ。之に反して我々の飼養して居る動植物は、多くはその系圖が明に知れて居て、牧畜の發達した國々には有名な牛や馬の系圖が立派な本に出來て居る位であるから、數代前の先祖と數代後の子孫とを比較することも隨分出來る。それ故今こゝに掲げた如き問題を實物によつて調査するには、先づ人の飼養する動植物に就いて調べるのが一番手近である。
[鷄の變種
一 コチン 二 レグホーン
三 野生の鷄 四 ポーリッシュ
五 チャボ]
[やぶちゃん注:本図は各鶏の細部形状の違いが底本画像でははっきりとは見えないので、昭和五一(一九七六)年講談社学術文庫刊の「進化論講話」の図を用いた。但し、編集権を侵害しないようにするため(というより講談社版では数字の打ち方が異なり、キャプションも変えてある)、講談社版の挿絵に振られた丸囲みアラビア数字番号は消去して、底本と同じ漢数字に代えて全く別に配してあるので対照される方は注意されたい。]
我々が飼養する動植物を見るに、凡そ一種として各個體が悉く同じ形狀を具へて居るものはない。例へば馬でも牛でも犬でも鷄でも各々一種の動物でありながら、その中の一疋づゝを取つて比べて見ると隨分著しい相違がある。日本馬とアラビア馬とを比較し、百姓の使う牛と乳牛とを比較し、または「むく犬」と洋犬を比較し、チャボとブラマとを比較して見れば、何人でもその間の相違の甚だしいことを認めざるを得ぬが、この相違は單にその動物一代だけに限ることでなくそのまゝ子孫に傳はるもので、アラビア馬の生んだ子はやはりアラビア馬、日本馬の生んだ子はやはり日本馬である。かやうに同一種の動物でありながら種々違つた形狀を有し、且その形狀を子孫に傳へるものを、生物學では各々一變種と名づけるが、この語を使つていへば、凡そ我等の飼養する動植物には一種として多くの變種を有せざるものはないのである。我が國の鷄などは從來多少の變種のあつた所へ近來澤山の舶來變種が輸入せられたので、現今では單に鷄といつたばかりでは、如何な形狀・性質のものを指すのであるか解らぬから、一々特別に名を附けて區別せなければならぬやうになつて來た。即ち鷄にはクキンの如き大きなものもあり、またチャボの如き小いものもあり、羽色も種々雜多で、雪の如く純白なもの、炭の如く眞黑なもの、斑のもの、茶色のものなどがあり、性質の如きも皆それぞれ違つて、年中殆ど絶え回なく卵を産むことは産むが、産んだ後は少しも世話せぬものがあるかと思へば、また一方には幾つでも他の産んだ卵を引き受けて温めてばかり居るものもある。こゝに圖を掲げたのは僅にその二三に過ぎぬが、コチン・レグホーン・チャボ・ポーリッシュなどを互に比べて見ると、その間に著しい相違があり、また之を現今尚マレイ地方に産する野生の鷄に比べると更に大きな相違があることが明に解る。併し、斯く多くの變種を有するといふ點で最も著しいのは、恐らくヨーロッパで人の飼養して居る犬と鳩との類であらう。
[やぶちゃん注:「コチン」コーチン(Cochin)。ウィキの「コーチン」によれば、この『名前は元々は中国語の「九斤黄(拼音: Jiǔjīn huáng)」という名前から来ていて、これが誤ってベトナム南部に対する当時の呼称コーチシナ(交趾支那)やインド南部のコーチンと混同された。「斤」とは重さの単位であり、現地中国では大型のニワトリ全般や、あるいはそれを使った料理ですら「九斤黄」と呼ばれている』。一八四五年前後に『アメリカ東海岸に持ち込まれた中国産のニワトリがコーチンの最初の祖先になる。中国産ニワトリの高密度に生えそろった羽毛は当時の愛好家の間で評判を呼んだ。コーチンの特徴ともなる脚毛は、この時期にはまだ生えている個体とそうでないものが混在していたようである。しかし上海の愛好家たちがふわふわの羽毛、脚毛の多い個体を中心に交配を繰り返すと今日のコーチンの特徴として定着した。上海で完成されて後イギリス、アメリカへと輸出されると以降、ヘン・クレイズ(hen craze)などと呼ばれる』十九世紀の中葉から二十世紀初頭に『かけてのブームを巻き起こした。世界中の愛好家たちがニワトリの外見を愛でるためだけに飼育を行い、今日知られる家禽類愛好家(poultry fancy)の源流となった』。『特にアメリカで盛んに交配が行われ現在の状態まで発展した』。『実際に大きいだけでなく、高密度に生えそろったふわふわの羽毛がコーチンを実際以上に大きく見せる。脚、お尻を覆うふわふわの羽毛、短くて湾曲した背中、短い尾が特徴。頑丈で、開けた場所にも限られた空間にも適応する。羽毛の下の肌は黄色、卵は薄茶色。雌鳥は産卵能力に優れるが、産卵期間は長くはない』。『性格はニワトリの中でも特に人懐っこく、比較的静かでよいペットとなる。雌鳥は雛を孵す能力に優れていてハヤブサの孵卵に用いられることもある。しかし成長が遅いという好ましくない性質もある』。『バーチ(birchen), ブルー(blue), バフ(buff、黄褐色), バード(barred、縞)など』、十八種類の『色のバリエーションがあり、フリズルド(frizzled、ちぢれ毛)と呼ばれるバリエーションが含まれる』。『通常種の雄鶏は約』五キロ、雌鳥は四キロ。改良品種中の小型種では雄鶏が九百グラム、雌鳥で八百グラムとなる、とある。
「レグホーン」Leghorn。鶏の一品種。羽色は白色の他、褐色や黒色もあり、代表的な卵用種。イタリアのトスカーナ州リボルノ(Livorno:英語読みが「レグホーン」)原産。
「野生の鷄」鳥綱キジ目キジ科ヤケイ属セキショクヤケイ(赤色野鶏)Gallus
gallus。ウィキの「セキショクヤケイ」によれば、『中国南部からフィリピン、マレーシア、タイなど東南アジア熱帯地域のジャングルに生息する野鶏である。羽は赤笹色で体重は成鳥で』一キログラム弱『程度である。なお、ニワトリはこれを家禽化したものと現在では考えられている』が、『近年では人間に飼われているニワトリとの交雑(遺伝子汚染)が進み、純粋な野生種は絶滅の危機があるともいわれている。なお、日本の地鶏などはこの赤色野鶏の特徴を残しているものが多い』。『セキショクヤケイはニワトリと同様、強い性的二形を示す鳥である。雄は体が大きく頭部には鶏冠と肉垂れがあり、首から尻尾まで赤笹色(明るい金からブロンズ)の羽に覆われている。また尾が長く、色は光の加減によって黒から青色の間に見える。メスにはニワトリ同様鶏冠が小さく、また、セキショクヤケイの集団においては卵やひなの世話はメスだけがするために羽毛もカモフラージュ色をしている。脚はともに鉛色である』。『鳴き声もニワトリに近い。繁殖期には、雄鶏は鳴くことにより、潜在的な繁殖相手をひきつけ、また近くにいる他の雄に対して、交尾争いの危険があることを気づかせるのに役立っている。また交尾争いのために、脚には長い蹴爪をもつ』。
「ポーリッシュ」頭に冠羽のある品種。体重は♂で約二・九、♀で約二・二キログラム。
「チャボ」「矮鶏」と漢字表記する。本邦の天然記念物。多くの品種があり、観賞用として古くから愛好されてきている。ウィキの「チャボ(鶏)」によれば、『東南アジアと貿易を行った朱印船や南蛮貿易、あるいはそれ以前において』、ベトナム中部沿海地方に十七世紀まで存在したチャンパ王国の『鶏品種を日本で改良し作出したと考えられている。名前の由来はチャンパ王国の主要住民であったチャム人か、そのままチャンパが訛ったとされる。当時は雑色のものであったらしい』。『漢字表記からも分かるとおり、他の品種に比べて小型であり』、オスで七百三十グラム(単位に注意)、メスで六百十グラム程度が『標準的な体重である。また足が非常に短く、尾羽が直立していることが外見上の特徴である』。『また海外でもジャパニーズ・バンタムと呼ばれ』、『愛好されている。こちらの由来は現在のインドネシアのバンテン州にあったバンテン王国』(十六世紀から十九世紀にかけてジャワ島西部バンテン地方に栄えたイスラム国家)『やその異称バンタムから。なお、チャボに限らずバンタム』『と呼ばれる品種のうち』、「『真のバンタム」(true bantam)と呼ばれる品種は小柄な品種が多く、格闘技の体重別階級における軽い選手の属する階級であるバンタム級の由来にもなった』とある。多様な品種は引用元に詳しい。
「日本馬」哺乳綱奇蹄(ウマ)目ウマ科ウマ属ウマ Equus caballus の中で、日本在来馬は現存で以下の八種(ウィキの「日本在来馬」に拠った)。
北海道和種(俗称「道産子(どさんこ)」)
木曽馬(長野県木曽郡開田村/岐阜県飛騨地方・長野県天然記念物)
御崎馬(みさきうま:宮崎県串間市都井岬・国天然記念物)
対州馬(たいしゅうば(うま):長崎県対馬(つしま)市対馬)
野間馬(のまうま:愛媛県今治市野間・市天然記念物)
トカラ馬(鹿児島県鹿児島郡十島村(としまむら)吐噶喇列(とから)列島・県天然記念物)
宮古馬(沖繩県宮古島市宮古島・沖繩天然記念物)
与那国馬(沖繩県八重山郡与那国町与那国島・町天然記念物)
純血種が絶滅してしまっている在来馬としては「南部馬」・「三春駒」・「三河馬」・「能登馬」・「土佐馬」・「日向馬」・「薩摩馬」・「甲斐駒」・「ウシウマ」(種子島産)などがいた。日本在来馬は通常、次注のアラブ種よりも体高が有意に低い(百十~百三十五センチメートル)。
「アラビア馬」アラブ種(Arab、Arabian)とは、ウマの品種の一つ。現存する馬の改良種の中で最初に確立した品種とされる。体高約百五十センチメートル、体重約四百キログラム。参照したウィキの「アラブ種」によれば、『サラブレッドよりは小柄で華奢な体躯で、速力もサラブレッドには劣る』『が、耐候性、耐久性に優れる』。『その成立ははっきりしないが、アラビア半島の遊牧民、ベドウィンにより、厳格な血統管理の元に改良が進められ、品種として確立した。伝承によるとケヒレット・エル・アジュズ(「老婦人の牝馬」の意)という牝馬がアラブ種の根幹牝馬である』。『サラブレッドはこのアラブを元にイギリスやその他の在来馬と掛け合わせて作られた品種であり、三大始祖は全てアラブ種かそれに類するターク、バルブ種である。特にダーレーアラビアンはジェネラルスタッドブックにおいて純粋なアラブとされている。また、サラブレッド成立後、主にフランスでこのアラブとサラブレッドを掛け合わせて作られたのがアングロアラブである。日本ではサラブレッドと共にこのアングロアラブも競走馬として多く用いられ、生産も盛んであった一方、アラブ自体はあまり普及しなかったため、日本でアラブといえば一般的にアングロアラブのことを指し、アラブは「純血」アラブと言わないと通じないことがある』。
「むく犬」毛が長くてむくむくとしている犬、毛のふさふさと垂れ下がった犬の意で、特定の犬種を指すものではない。
「ブラマ」インド原産とされる大型の肉用の鶏種。体重は♂で四・五~五・五キログラム、♀で三・二~四・一キログラム。羽の色は白色コロンビア斑(はん:尾羽と頸部が黒、ほかが白)が知られるが、暗色やバフ(淡黄色)もいる。とさかは三枚冠で、耳朶(みみたぶ)は赤色。肉質は優秀であるが、若齢時の成長速度が遅いので実用的には使われず、現在は観賞用に飼われる(「中央畜産会」公式サイト内の「肉用種」に拠った)。
「クキン」諸本総てこの表記であるが、不詳。但し、大型種であることから、肉用種であると考えてよく、音の酷似からは、これは前掲の「コチン」(コーチン(Cochin))の元の種を、本邦での改良品種である知られた「名古屋コーチン」などと区別し、中国語の「九斤黄」の頭の「九斤」を以って呼んだものではないかと推理する。単に「コチン」の誤植とも考えられはするが、それだと、改版に改版を重ねたはずの諸本が一貫して直されていないのは頗る不審となる。
「マレイ地方」現在のマレー半島(Malay Peninsula)。太古には周辺域に広がるスンダ列島とともに大スンダ大陸を形成しており、その頃からの生物では島嶼部からマレー半島にかけて原生棲息しているような種群が多く見られる。現在、北西部はミャンマーの一部、中央部と北東部はタイの一部、南部の大部分はマレーシアである(ウィキの「マレー半島」に拠った)]
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