千葉海岸の詩 原民喜 (原稿電子化版)
[やぶちゃん注:以下の「千葉海岸の詩」は一九七八年青土社版「原民喜全集 Ⅲ」で初めて陽の目を見た詩篇で、同書誌によれば、現在は千葉県立図書館郷土資料室蔵とする。クレジットがないが、「b」に登場する妻が実在の妻芳恵であると読めること、結婚の翌年昭和九(一九三四)年初夏に淀橋区(現在の新宿区)柏木町から千葉県登戸に転居していること、及び民喜の生活史から考えて、これはその昭和九年から芳恵の亡くなる昭和十九年九月よりも以前と考えられる。今回、「千葉県立図書館」公式サイト内の「菜の花ライブラリー」内の「/千葉県デジタルアーカイブ/明治・大正・昭和初期資料/原民喜直筆原稿 「千葉海岸の詩」(CHB600250)」で原稿を視認することが出来、その『書誌事項』中に、『この作品の執筆年は不明であるが、文末に昭和11年9月に地名地番が変更になる前の住所が記されているので、移り住んでから2年くらいの間に書かれたと思われる』とあることから、昭和九(一九三四)年初夏(「ひなげしの花」の開花期は初夏)から昭和十一年夏までの閉区間を創作時期と指定することが出来ると思われる。今回の電子化はその当該原稿(『紀伊國屋製』20×20=400字詰原稿用紙三枚)のに基づいた(連記号のアルファベットは原稿では筆記体である。「満」「広」「帰」はママ。「黑」は「黒」のようにも見えるが、正字を選んだ)。「b」の「ここ」は「千葉」の二字のルビである。最後の旧住所は一部、判読が出来ない。前の□は「子」か或いは記号の「~」に見え、後の□は「七」かやはり記号の「~」のようにも見える。……「原さん、いい字してるね」……]
千葉海岸の詩
原 民喜
a
我れ生存に行き暮れて
足どり鈍くたたずめど
満ち足らひたる人のごと
海を眺めて語るなり
b
あはれそのかみののぞき眼鏡に
東京の海のあさき色を
今千葉(ここ)に來て憶ひ出すかと
幼き日の記憶熱をもて妻に語りぬ
c
ここに來て空氣のにほひを感じる
うつとりと時間をかへりみるのだ
ひなげしの花は咲き
麥の穗に潮風が吹く
d
靑空に照りかがやく樹がある
かがやく綠に心かがやく
海の近いしるしには
空がとろりと潤んでゐる
e
広い眺めは横につらなる
新しい眺めは茫としてゐる
遠淺の海は遠くて
黑ずんだ砂地ばかりだ
f
暗い海には三日月が出てゐる
暗い海にはほの明りがある
茫として微かではあるが
あのあたりが東京らしい
g
外に出てみると月がある
そこで海へ行つてみた
舟をやとつて乘出した
やがて暫くして帰つた
h
夜の海の霧は
海と空をかくし
眼の前に闇がたれさがる
闇が波音をたてて迫る
i
日は丘にあるが
海はまだ明けやらぬ
潮の退いた海にむかつて
人影は一つ進んで行く
(千葉市寒川字羽根□一六六□)
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