故郷のウタを 聞きねねね 原民喜
故郷のウタを
ダダイ 糸川旅夫
聞きねねね
(一)メルシイ、ムシュと五度の煙草吸ひにけり我が故郷のフランスの秋
(二)警官を二人して行く地獄にカウスリツプの花咲きにほふぞ
(三)セエヌ河渡る戀人戀文をポオセに入れてピツコロを吹くかね
(四)ヱルネエルの禿げ頭をば押しつけて曇りけらしな十二月の空ダ
(六)ヌーベル、アテネの酒に狂ひて踏子は血を吐きにけりイプセンの馬鹿なんて
(七)メイデイに大杉榮歩きけりその日の天氣氣壓三十耗ダツタネ
(八)栗燒は日本人の好物と笑はれにけり田舍者とてとてて
(十)てんがらがつちやんトジヤヅバンドの夜の世界赤黃と黑と交線とカミナリ
[やぶちゃん注:標題は「故郷のウタを聞きねねね」(「ねねね」はママ)が二行に亙り、その間の下にポイント落ちで「ダダイ 糸川旅夫」があることを示す。(五)と(九)がないのはママ。狂歌草稿で削除したということか、或いは検閲削除のパロディか。後者っぽい。(八)の末尾の「とてて」はママ。
「カウスリツプ」(Cowslip)は「西洋桜草」とも呼称する、ツツジ目サクラソウ科サクラソウ属キバナクリンザクラ(黄花九輪桜)Primula
veris のこと。英名は他に「Key of heaven」とも。但し、「カウスリップ(Cowslip)」とは牛や羊の放牧地によく生えていたことから、アングロ・サクソン語の「牛糞(cu-sloppe)」に由来するらしい。
「ポオセ」フランス語の「ポケット」の意の“poche”(ポシュエ)であろう。
「ヱルネエル」象徴派の詩人で象徴的に金柑頭の禿が目立つポール・マリー・ヴェルレーヌ(Paul Marie Verlaine 一八四四年~ 一八九六年)であろう。敢えて音写すると「ヴェルレヌ」である。
「ヌーベル、アテネ」はパリのモンマルトルとオペラ座の中間にあるクリシー広場周辺のカフェを含む街の別称「ヌーベル・アテネ」のこと。音楽家・作家・画家といった芸術家らが集った場所として知られ、現在も劇場や映画館が立ち並び、役者や映画関係者が多く住む。フランス文化上の新シンボルとしての呼称だけでなく、実際にギリシャ・ローマ風の建物が次々と建った。
「踏子」「踊子」の誤字? それともこれも「踏まれる女」で確信犯のダダ?
「イプセンの馬鹿」「人形の家」の「ノラ」が家出して「踊子」になって転落して売春婦となり安酒に酔って倒れて「踏」まれて血まみれになって思わず叫んだものか?
「メイデイに大杉榮歩きけり」ウィキの「大杉栄」によれば、大杉は大正一一(一九二二)年十二月、『翌年にベルリンで開かれる予定の国際アナキスト大会に参加のため再び』(彼は二年前の大正九年十月にも密かに日本を脱出して上海で開かれた社会主義者の集まりに参加していた)『日本を脱出し、上海経由で中国人としてフランスに向か』った。これはウクライナのアナキスト革命家『ネストル・マフノと接触も図る目的もあった。またアジアでのアナキストの連合も意図し』上海やフランスで『中国のアナキストらと会談を重ね』ている(ないこの年には『ジャン・アンリ・ファーブルの『ファーブル昆虫記』を日本で初訳出版』もしている)。大正一二(一九二三)年、『大会がたびたび延期され』、『フランスから国境を越えるのも困難になる中、大杉はパリ近郊のサン・ドニのメーデーで演説を行い、警察に逮捕されラ・サンテ監獄に送られる。日本人、大杉栄と判明、そのまま日本へ客船にて強制送還』、七月十一日に神戸に戻った。なお、この間、滞仏中から彼の滞在記が発表され、後に「日本脱出記」として纏められた。その二ヶ月後のかの関東大震災の直後の同年九月十六日、新宿の柏木にあった『自宅近くから伊藤野枝』及び甥で六歳の橘宗一とともに憲兵に連行され、三人とも惨殺されて井戸に遺棄された。
「氣壓三十耗」三〇ミリバールは三〇ヘクトパスカルで異様に低い気圧である。少なくとも、大杉の「日本脱出記」のメーデーの日の記載には天候のことは書かれていない。当時の世界的な社会主義者の状況を超低気圧の荒天に譬えたものか。
「栗燒」焼き栗のことか。クリの砂糖漬けのフランス菓子「マロングラッセ」(Marron glacé)をかく勘違いする田舎者の日本人のフランスでのシチュエーションを仮想したものか。
「交線」不詳。スポット・ライトのことか。]

