故園 原民喜
故園
土蔵の跡の石に囲まれた菜園、ここは一段と高く、とぼしい緑を風に晒してゐる。わたしはさまざまなことをおもひだす。薄暗い土蔵の小さな窓から灰かに見えてゐた杏の花。母と死別れた秋、蔵の白い壁をくつきりと照らしてゐた月。ふるさとの庭は年老いて愁も深かつたが……。ふしぎな朝の夢のなかでは、ずしんと崩壊した刹那の家のありさまが見えてくるのだ。
[やぶちゃん注:私が私の「原民喜全詩集」 で底本とした一九七八年青土社刊「原民喜全集 Ⅱ」の書誌によれば、昭和二三(一九四八)年七月号『高原』に初出。母ムメは昭和一一(一九三七)年に享年六十二で亡くなっている。民喜は爆心地からたった一・二キロメートルしか離れていない生家(広島県広島市幟町(のぼりちょう)(現在の中区幟町)で被爆するも、九死に一生を得た。しかし、その生家は被爆直後に発生した火災類焼によって焼失している。]

