一つの星に 原民喜
一つの星に
わたしが望みを見うしなつて暗がりの部屋に横たはつてゐるとき、どうしてお前は感じとつたのか。この窓のすき間に、あたかも小さな霊魂のごとく滑りおりて憩らつてゐた、稀れなる星よ。
[やぶちゃん注:[やぶちゃん注:私が私の「原民喜全詩集」 で底本とした一九七八年青土社刊「原民喜全集 Ⅱ」の書誌によれば、昭和二三(一九四八)年七月号『高原』に初出。因みに、この合わせて十五篇から成る「画集」という詩群の内、著者自身は「落日」から「一つの星に」の九篇を「美しき死の岸に」の作品群に分類していたため、青土社版全集ではこれらが第「Ⅱ」巻に載り、「はつ夏」「気鬱」「祈り」「夜」「死について」「冬」の六篇が第「Ⅲ」巻に分けて載るという構成となっている。しかし、青土社版は「Ⅲ」を『全詩集』と名打っており、この配置には私は致命的な難があると思っている。孰れにせよ、この全十五篇は総体的に於いて妻貞恵を追慕した作品群であり、彼が、小説「遙かな旅」(『女性改造』昭和二六(一九五一)年二月号)の前半で(引用底本は青土社版全集「Ⅱ」。近日、全文を電子化する予定である)、
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妻と死別れてから彼は、妻あてに手記を書きつづけてゐた。彼にとつて妻は最後まで一番気のおけない話相手だつたので、死別れてからも、話しつづける気持は絶えず続いた。妻の葬ひのことや、千葉から広島へ引あげる時のこまごました情況や、慌しく変つてゆく周囲のことを、丹念にノートに書きつづけてゐるうちに、あの惨劇の日とめぐりあつたのだつた。
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という一節、さらに後半、
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翌年の春、彼の作品集がはじめて世の中に出た。が、彼はその本を手にした時も、喜んでいいのか悲しんでいいのか、はつきりしなかつた。……彼が結婚したばかりの頃のことだつた。妻は死のことを夢みるやうに語ることがあつた。若い妻の顔を眺めてゐると、ふと間もなく彼女に死なれてしまふのではないかといふ気がした。もし妻と死別れたら、一年間だけ生き残らう、悲しい美しい一冊の詩集を書き残すために……と突飛な烈しい念想がその時胸のなかに浮上つてたぎつたのだつた。
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と、恐ろしいまでに照応する詩篇であると私は思う。『翌年の春、彼の作品集がはじめて世の中に出た』とあるのは、昭和二四(一九四九)年二月能楽書林刊の「夏の花」を指し、民喜の線路に身を横たえての覚悟の自死は、この「遙かな旅」が発表された翌月、三月十三日のことであった。]