甲子夜話卷之一 52 當上樣、牡丹花に付御掃除の者へ上意の事
52 當上樣、牡丹花に付御掃除の者へ上意の事
當御代未だ御年少なりしとき、牡丹花を石臺植にして獻ぜしものあり。數十枝の花櫕り開て、いと見事なりしかば、殊に尊慮に協ひ、御坐側におかれ、日々御賞觀ありしに、一朝その御間を掃除するもの、誤て牡丹の一枝を折り、いかゞすべきと仲か間ども打より、案じ惱ふ内に、はや上の渡御し玉へば、その者どもあまりに恐懼周章して、折れし枝もそのまゝにして、あつと平伏し缺出すことも得せざりしに、上渡らせられながら、あゝ此枝が折れて大分木ぶりが能なりたりと御諚ありしとなん。後に其御掃除せしもの語り合ひ、生れて以來、あれほど身に徹して難レ有事は覺へずと云ける。
■やぶちゃんの呟き
……これを以って「甲子夜話卷之一」をやっと終わった……
「當上樣」第十一代将軍徳川家斉(安永二(一七七三)年~天保一二(一八四一)年)。「甲子夜話」の執筆開始は文政四(一八二一)年十一月十七日の甲子の夜とされ(満六十一歳)、家斉の将軍在位は天明七(一七八七)年から天保八(一八三七)年である(家斉は静山より十三歳年下)。
「石臺植」「せきだいうえ」と読む。植木鉢の一種で、長方形の浅い木箱の四隅に取っ手を附けて盆栽を植えたもの。
「櫕り開て」「むらがりひらきて」と訓じておく。「櫕」(音「サン」)には群がって集まる木立ちの意がある。底本には編者ルビがない。これ、普通の人は読めんと思うがなぁ?
「協ひ」「かなひ」(叶ひ)。
「御坐側」「おんざそば」。
「仲か間」はママ。
「缺出す」「かけいだす」(駆け出だす)。折った本人が厳罰を科せられるとすれば、連座してはたまらないから、それ以外の者は事前にその場から走り逃げるとしても、一向におかしくはない。
「能なりたり」「よく(良く)なりたり」。
「御諚」「ごぢやう(ごじょう)」。仰せ。
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