「笈の小文」の旅シンクロニティ―― 此山のかなしさ告げよ野老掘 芭蕉
本日 2016年 3月17日
貞享5年 2月16日
はグレゴリオ暦で
1688年 3月17日
菩提山(ぼだいさん)
此(この)山のかなしさ告げよ野老掘(ところほり)
「笈の小文」より。私の好きな一句である。「笈日記」 や真蹟懐紙などには、
山寺のかなしさ告げよ薢(ところ)ほり
とするものがあるが、全くダメである。
「菩提山」は伊勢朝熊(あさま)山にあった菩提山(ぼだいせん)神宮寺。聖武天皇勅願寺にして行基の開基と伝えられていたが、既に芭蕉が訪れたこの時代にはとっくに廃寺となって荒廃し、山野に変じていた。現在でも僅かに土塁を見出せるのみである。
「野老」厳密には単子葉植物綱ヤマノイモ目ヤマノイモ科ヤマノイモ属オニドコロ(鬼野老)Dioscorea
tokoro を指すが、芭蕉は広義のヤマノイモ属
Dioscorea の普通に「とろろ芋」として食用に供するヤマノイモ
Dioscorea japonica などを指しているようにも見えるのであるが、だとするとこれ非常に問題で、実は前者のオニドコロ(鬼野老)Dioscorea
tokoro は苦く、しかも有毒であるからである。但し、古い時代には救荒植物として茹でて晒した上、澱粉を抽出して食用とした。参照した『多摩の緑爺の「多摩丘陵の植物と里山の研究室」』の「オニドコロ(鬼野老)」を見ると、『根茎は肥厚しますが、ヤマノイモや、畑で栽培されるナガイモのようにイモ状の塊根にはなりません』とある。また、『「トコロ」の名の由来には諸説がありますが通説はないようです。古い時代には既に「ところずら」などと呼ばれていたようです。「鬼」は、根茎が苦くそのままでは有毒で、食用にはならないことからのようです』。『「野老」は、以下のようにヒゲ根の多い根茎の様子を、腰が曲り鬚を蓄えた老人に擬(たと)え「野老」と書き、海産の「海老(えび)」と対比させたもののようです』。『ヒゲ根の多い根茎の様子を、腰が曲り鬚を蓄えた老人に擬(たと)え「野老」と書き、海産の「海老(えび)」と対比させ、長寿の象徴として、ユズリハ、ウラジロなどとともに正月に飾ったりします』。『古事記に「野老蔓(ところづら)」として現れているとされています』。『万葉集に現れる「冬薯蕷葛(ところつら)」はオニドコロであるとされています』。『平安時代の「本草和名」や、江戸時代の貝原益軒による「大和本草」にその名が現れています』とあり、これらの歴史的文化的で博物学的な伝統を踏まえて芭蕉がこの「野老」を選んだとすれば(十分にあり得る。この呼びかけた「野老掘」の翁は恰も夢幻能の登場人物のようではないか?!)これは、凄い!
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