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2016/03/19

ツルゲーネフ原作米川正夫譯「生きた御遺骸」(「獵人日記」より) (全)

[やぶちゃん注:本作はイワン・セルゲーエヴィチ・ツルゲーネフ Иван Сергеевич Тургенев の“Записки охотника”の“Живые мощи”の米川正夫氏の訳、「獵人日記」の「生きた御遺骸」の全文である。
 底本は昭和二七(一九五二)年新潮文庫刊「獵人日記 下巻」を用いた。
 実は私は既に同作品の中山省三郎氏による翻訳「生神樣」をPDF縦書版HTML横書版HTML縦書版の三種で公開しているが、私は本作には「猟人日記」に馴れ親しんだ小学生時代から、特に思い入れがある。しかも、母が二〇一一年三月十九日にALS(筋委縮性側索硬化症)で亡くなる前後から、私はこの作品のルケリヤと母が強く重なって意識されるようになった。今日は母が亡くなって五年目の祥月命日を迎える。それに当たって、パブリック・ドメインとなった私が馴れ親しんだ米川氏の訳文も電子化したいと感じた。ただ、現代仮名遣の新字版は持っていたはずなのであるが、どうも見出せない(考えてみると、昔、教え子に贈ってしまった可能性が強い感じがする)。されば、すぐ手元にある何種かの内で、新しい上記の版を用いることとした。若い諸君には悪いが、これもまた正字・歴史的仮名遣版である。お許しあれ。米川氏による割注は〔 〕で同ポイントで示した。今回は、少数の難読語の以外には注を附さないこととした。
 踊り字「〱」は正字化した。ポイントの差も敢えて底本には一致させていない。――母の御霊に捧ぐ――【二〇一六年三月十九日 藪野直史】]
 
 
 
     生きた御遺骸
 
        長き忍苦にみちたる郷土――       
        露西亞の民の國よ、いましは!
              フョードル・チユツチエフ
  
 佛蘭西の諺のいふところに依ると、「乾いた漁師と濡れた獵人(かりうど)のすがたほど世にも哀れなものはない」とのことである。私はまだ魚とりを道樂にしたことがないので、晴れたいゝ日和に漁師がどんな氣持ちを味はふものか、また天氣の惡い日に獵が澤山あつたら、その嬉しさがどのくらゐ濡れ鼠の不快さを紛らしてくれるものか、何とも見當がつきかねる。しかしとにかく、雨といふやつは獵人に取つて全く災難である。丁度この種類の災難に私は出くはした。それは或る時、エルモライを連れて、松雞(えぞやまどり)を擊ちにべーレフ郡へ行つた時のことである。まだ夜の引き明けから雨は小止みなしに降り續けた。この災難を除けるために、ありとあらゆる方法を盡くしてみた! ゴムびきの合羽を頭からすつぽり被りもしたし、なるべく雨の滴に打たれまいと、木の下蔭に佇んでもみたが‥‥雨合羽の方は、鐡砲を打つ邪魔になつたことは云ひ立てないにしても、臆面もなく平氣で水を浸(とほ)すし、木蔭は又、なるほど初めのうちは、雨の雫が落ちて來ないやうに思はれたけれど、やがてその中に、叢葉(むらは)に溜まつた水が急にどつとこぼれて、枝といふ枝が樋の栓を拔いたやうな瀧しぶきを頭の上から落とすので、冷たい水がネクタイの下を潜り、背筋を傳はつて流れるのであつた‥‥これはエルモライの言葉を借りると、『いよいよのどんづまり』であつた!
「いや、ピョートル・ペトローヸッチ」到頭彼はかう云ひ出した。「これぢや、仕樣がありませんや! 今日は、獵は駄目ですぜ。犬は、濡れて鼻が利かなくなるし、鐡砲は火がつかねえ‥‥ちよつ! お話になりやしねえ!」
「どうしたものかな?」と私は訊ねた。
「かうしませうよ。アレクセーエフカへ參りやせう。旦那は御存じないかも知りませんが――ちよつとした農場がありましてな、旦那の御母(おふくろ)さまの所有(もちもの)になつてをります。こゝから八露里ばかりのところで。今夜はそこで泊つて、明日になつたら‥‥」
「こゝへ引つ返すか?」
「いんえ、こゝへ歸るんぢやありません‥‥アレクセーエフカの先きにわつしの知つたところがありましてね‥‥松雞(えぞやまどり)をやるにや、こゝよりずつといゝ所なんで!」
 私はこの忠實な伴の男に、それくらゐなら何故いきなりそこへ案内しなかつたか、などと押して訊ねようとはしなかつた。そして、その日の中に母の所有になつてゐる農場へ辿りついた。正直な話、そんなものがあらうなどとは、今まで私は夢にも知らなかつたのである。この農場には小さな離家(はなれ)がついてゐて、かなり古びてはゐたけれど、誰も人が住んでゐなかつたので、從つてさつぱりしてゐた。私はそこで極めて穩かな一夜を過ごした。
 翌日は思切り早く眼を醒ました。太陽は今しがた昇つたばかりで、空には雲の翳さへなかつた。あたりには、烈しい光りが二重になつて照り輝いてゐた。若々しい朝の光りと、まだ乾きもやらぬ昨日の夕立の反射なのである。小馬車(タラタイカ)の用意をしてゐる間に、小さな庭をそゞろ歩きに出かけた。嘗ては果樹園であつたのが、今はたゞ荒れるに任してある。でも、薰りの高い水々しい叢葉が、四方から離れを取り圍んでゐた。あゝ、外氣の中の快さ、頭の上に靑空が擴がり、雲雀が鳴いて、鈴のやうな囀りが小さな銀の玉でも振り撒くやうに虛空から降つて來る! 彼らはきつと翼の上に露の滴を載せて行つたに違ひない。その歌聲は露をそゝいだやうに思はれる。私は帽子までぬいで悦びの胸を一杯に張つて息をした‥‥餘り深くない谷の斜面に、結ひめぐらした柴垣のすぐ傍に養蜂場が見える。高草(プリヤン)や蕁麻(いらくさ)が壁その儘に密生してゐる間を、一と筋の細徑が蛇のやうに蜿りながらそこへ通じてゐる。雜草の上には、どこから種子を運ばれたのか、暗綠色をした大麻の莖が高く聳えてゐる。[やぶちゃん特別字注:「蜿り」「うねり」と訓じていよう。「のたくり」とも読めるが採らない。]
 この徑づたひに歩いて行くと、養蜂場へ出た。その傍(かたはら)には柴を編ん造つた納屋があつた。冬、蜜蜂の巣を入れて置く、いはゆる「圍ひ」である。私は半ば開いた戸口を覗いて見た。中は暗くてひつそりして、乾き切つてゐる。薄荷や蜜蜂蕈(メリツサ)の匂ひがする。片隅には板の間が設けられて、その上に何やら蒲團にくるまつた小さな物の形が見える‥‥私は出て行かうとした‥‥[やぶちゃん特別字注:「蜜蜂蕈(メリツサ)」シソ目シソ科コウスイハッカ属コウスイハッカ(レモン・バーム) Melissa officinalis のこと。ギリシア語で「Melissa」は「蜜蜂」の意で、レモン・バームの花は蜜蜂を引き寄せるために用いられたことに由来する。但し、「蜜蜂草」(中山省三郎氏の翻訳「生神樣」でも「蜜蜂草」とある)なら判るが、「蕈」(きのこ)というのは解せない。「蕈」に「草」の意味はないからで、検索をかけても「蜜蜂蕈」とは言わない。原文は「мятой」(ミント:シソ目シソ科ハッカ属 Mentha)と「мелиссой」(メリッサ)であるから、これは「草」の誤植の可能性がある(しかし米川氏の更に前の版でも「蜜蜂蕈」となっている)。こんもりと丸く生えるメリッサを「茸」に譬えないとは言えないので暫くママとしておく。]
「旦那さま、もし、旦那さま! ピョートル・ペトローヸッチ!」沼の菅のそよぎのやうに弱々しい、ゆつたりした、嗄れ聲が聞こえた。
 私は足を停めた。
「ピョートル・ペトローヸッチ! どうぞ、こちらへいらしつて!」と、いふ聲がまた聞こえる。それは、私が目をつけた例の板の間から響いて來るのであつた。
 私はそばへ寄つて見て、驚きのあまり棒のやうに立ち疎んだ。私の前には生きた人間が臥てゐたのである。しかし、これは一體なにものだらう?
 頭はすつかり萎び切つて、たゞ一樣に靑銅色をして、――どう見ても紛れのない――昔風の描き方をした聖像のやうであつた。鼻は剃刀の刄のやうに尖つて、唇は殆んど見分けられない位で、たゞ齒と眼ばかりが白く目立ち、頭を縛つた布の下からは、乏しい黃色い髮が額にはみ出してゐる。顎の邊まで被さつてゐる蒲團の襞の下から、小枝のやうな指をゆるゆると爪繰りながら、同じく靑銅色をした小さな兩手が動いてゐる。私はなほも眼をすゑて見た。その顏は醜くないばかりでなく、却つて美しいくらゐであつたが――しかし物凄い、竝み外れたものであつた。その上この顏が、金屬のやうな感じのする頰のあたりに、微笑みを擴げようともがき‥‥もがいてゐるのを見て、一しほ恐ろしく思はれたのである。
「わたしがお分かりになりませんか、旦那樣?」とまた同じ聲が囁いた。その聲は動くか動かないか見分けられない程の唇から、湯氣のやうに吐き出されるかと思はれた。「それに又、お分かりにならう道理がありません! わたしはルケリヤでございます‥‥覺えていらつしやいますか、あのスパスコエのお母樣のところで輪踊(ホロヲード)の音頭取りをいたしました‥‥お覺えでいらつしやいますか、わたしはその上に合唱の方も音頭を勤めてをりましたが?」
「ルケリヤ!」と私は叫んだ。「お前だつたのかい! まさかどうも!」
「わたし、さうなのでございますよ、旦那さま――わたし、わたしがルケリヤでございます。」
 私は何と云つていゝか分からないで、薄色(うすいろ)の死んだやうな眼を私に注いでゐる、このどす黑いぢつと動かぬ顏を、呆然として瞶めてゐた。これが果たして有り得ることだらうか? この木乃伊がルケリヤだとは――あの背が高くて色の白い、頰のあかあかとした、笑ひ上戸の踊り好き、そして歌の名人で、邸中でも一番の美人であつたルケリヤ! 村の若い衆がみんなで後を追ひ廻した利巧者のルケリヤ、私自身まだ十六歳の少年の頃、ひそかに憧れの對象にしてゐた、あのルケリヤだとは!
「飛んでもないことを、ルケリヤ、」と私はやつとのことで口を切つた。「一體それはお前どうしたんだね?」
「とんでもない災難が降りかゝりましてね! どうかあなた、つまらない事ではございますが、旦那さま、お厭でも私の不仕合せな身の上話を聞いてやつて下さいまし――まあ、そこの桶へお掛けなすつて――もそつと近く、でないと、私の聲がお聞えになりませんから。でも、わたしずゐぶん聲が出るやうになりましたわ! それはさうと、あなた樣にお眼にかゝれて、こんな嬉しいことはございません! 一體どうして、このアレクセーエフカなどへいらつしやいましたのでせう?」
 ルケリヤは極く小さな弱々しい聲ではあつたが、澱みなしに話し續けた。
「獵師のエルモライが、こつちへ引つぱつて來たんだよ。が、それよりお前の話を聞かうぢやないか‥‥」
「わたしの災難のお話でございますか? 宜しうございます、旦那樣。もう大分前のことで、六年か七年ぐらゐにもなりませう。わたしはその時分ヷシーリイ・ポリャコフと許婚の約束が出來たばかりなのでございました――覺えていらつしやいますか、押出しのいゝ、髮の毛の房々と捲いた人で、お母樣に使はれて食堂番を勤めてをりましたが? でも、あの時分あなたは村にいらつしやいませんでしたね、モスクワへ學問をしに行つておしまひになつて。わたしとヷシーリイはお互にとても好き合つてゐましてね、わたしあの人のことが寢た間も頭を離れませんでした。丁度春のことでしたが、ある晩ふと、どうしたのか‥‥もう夜明けに間もないのに‥‥どうしても寢られないのでございます。庭では鶯が、それこそうつとりする程いゝ聲で啼いてゐるんですの!‥‥わたしは堪らなくなつて起き出しましてね、入口の上り段のとこまで聞きに出ました。鶯は一生懸命に高音を張つて啼き立ててゐます‥‥すると不意に、誰かヷシーリイらしい聲でわたしを呼んでるやうな氣がしました、小さな聲で『ルーシャ』とこんな風にね‥‥わたしは不圖その方へ眼をやりましたが、やはり半分夢見ごゝちだつたと見えて、足を踏みはづしたのでございます、高い上り段からまつ直ぐ下へ落ちてしまひまして、いきなり地べたへ身體を打つけたので! でもその時は大した怪我もなかつたやうな氣がしましたので、やがて起き上がつて、自分の部屋へ歸つて來たやうな譯ですが、でも、何かしらの中の方で――お腹の中で――千切れたやうな按配でございました‥‥ちよつと一つ息をつがして下さいまし‥‥暫くの間‥‥旦那さま。」
 ルケリヤは口を噤んだ。私は驚きの眼を瞠つて彼女を眺めた。私が驚いたのはほかでもない、彼女が殆んど樂しさうに、嘆聲や溜め息など洩らすことなく、しひて同情を求めようともせずに、物語をつゞけたことである。
「それからといふもの、」とルケリヤは言葉を續けた。「わたしは次第に瘦せ細つて參りまして、肌の色が黑みがかつて來ました。歩くことも骨が折れるやうになりますし、その中にやがては全然(まるで)兩足が利かなくなりましてね、立つことも坐ることも叶ひません。始終横になつてばかりゐたいのでございます。飮み食ひも氣が進みませず、だんだん惡くなる一方でした。奧さまは、あの御親切な方ですから、方々のお醫者さまにもかけて下さるし、病院にまでやつて下さいました。けれど、一向に驗が見えません。第一、わたしの病氣が何の病ひやら、それを見立てるお醫者さまが一人もないのでございます。でも、いゝといふことなら何でもして下さいました。鐡を燒いて背中に當てたり、川の氷を割つてその中へ浸けたり――でも、やつぱり効き目がありません。たうとう私は身體がこつこちになつてしまひました‥‥そこで、御主人さま方も、もうこのうへ療治をしても仕方がない、かと云つて、お邸へ片輪者を置いとくわけにもゆかない、といふことになりましてね‥‥まあ、こちらへ送られて來たのでございます――それに、こゝには身寄りの者もをりますので。かういふ次第で、御覽の通りの有樣でをります。」
 ルケリヤはもう一度口を噤んで、又もや微笑みを見せようとした。
「それは、しかし恐ろしいこつたね、お前の身の上は!」と私は叫んだが‥‥それ以上なんと云つていゝか分からないで、かう訊ねた。
「で、ヷシーリイ・ポリャコフはどうしたんだね?」
 この問ひはおそろしく馬鹿げてゐた。
 ルケリヤは心持ち眼をわきへ外らした。
「ポリャコフがどうしたかですつて? 暫くしほしほしてゐましたが、やがてほかの娘と、グリンノエ村から來た娘と夫婦(いつしよ)になりました。グリンノエを御存じでいらつしやいますか? わたしどものところからさう遠くはございません。娘はアグラフェーナと申しました。あの人はとてもわたしを可愛がつてくれたのですけれど、何分、若い男のことでございますから、いつまでも獨り身で居るわけには參りません。それかとて、わたしがどうしてあの人の配偶(つれあひ)になれませう? でもあの人はちやんとした、氣だてのいゝお内儀さんを見つけて、今では子供たちまでありますからね。すぐ近所の地主さまのところで、番頭を勤めてをります。あなたのお母樣が身元證明の書きものをつけて、暇をおやりになつたものですから、お庇で大そう具合がいゝさうでございますよ。」[特別やぶちゃん字注:「お庇で」は、恐らく当て字で「おかげで」と読む。ここは「それ以来、長く」の意。後に「お庇樣で」(おかげさま:応答の辞の「御蔭様(おかげさま)で」)などとも出るので特に注しておく。]
「それでお前はかうして、いつもいつも臥てばかりゐるのかい?」と私はまた訊ねた。
「さやう、旦那さま、かうして臥せつてをりますのも、足かけ七年目でございます。夏はこの小屋に寢て居りますが、寒くなると、風呂場の入口の間に移してくれますので、そこに臥てをります。」
「誰がお前の看病をしてゐるんだね? 誰か世話をしてくれる人があるの?」
「はい、こゝにも親切な人達が居りましてね、わたしのやうなものでも放つては置きません、それに看病と申しても知れたもので、食べる方は、もう食べるといふ程でもありませんし、水なら、ほれ、そこにございます、その湯呑みの中にいつも淨(きれ)いな清水が用意してありますので。湯呑みには自分で手が屆きます。片方の腕はまだ利きますから。それから、こゝに小さな女の子がをりますの。孤兒でしてね、これがひよいひよいと見舞ひに來てくれます、有難いことに。つい今し方もそこに居りましたつけが‥‥お會ひになりませんでしたか? それはそれは可愛い娘(こ)で、色白なんでございますよ。その手が花を持つて來てくれますの、わたしが大好きなもんですから、その、花がねえ。こゝには庭の花といつてはございません。もと有つたのですけれど、絶えてしまひましてね。でも、野の花だつていゝものでございますよ。匂ひなんか庭の花よりいゝ位ですもの。まあ、あの鈴蘭にしましても‥‥どれだけ氣持ちがいゝやら!」
「それで退屈でないかい、可哀さうに、ルケリヤ、不氣味でないかい?」
「どうも致し方がございません! 噓をつくのは厭ですから正直に申しますが、初めの間はとても情けなうございました。けれど、やがて馴れつこになつて、辛抱しぬいてみると――もう何ともありません。世の中にはもつと不運な人もあるんですからね。」
「それは又どういふ事だい?」
「中にはまるで身を寄せるところのない人もありますもの! また中には目が見えなかつたり、耳が聞えをかつたりして! ところが、わたしは、有難いことに眼もよく見えますし、何でもはつきり聞えます、それこそ何でも。土龍(もぐら)が地の中を掘つてゐる――それさへちやんと聞えますからね。又どんな匂ひでも、それこそ、どんなに微かな匂ひでも鼻が利きますので! 畑で蕎麥の花が咲くとか、お庭で菩提樹の花が開くとかすれば、わたしは教へて貰はなくても、すぐさま一番に知るのでございます。たゞそちらの方から風がそよそよと吹いて來さへすれば分りますものね。えゝえ、なんの神さまをお恨み申しませう? まだまだ運の惡い人は、たくさん居りますからね。それに、かういふ事だつてあります。達者な人といふものは、ともすれば罪なことをし勝ちなものですけれど、わたしなどは罪の方が自分で逃げて行つてくれました。この間もお坊さまが、アレクセイ神父さまがわたしに聖餐を授けようとなされて、『お前には懺悔をさせるがものはない。さういふ風になつては罪を犯すわけがないからな?』と仰つしやいました。けれどもわたしはその御返事に、『でも心の中の罪はどうなりますので?』とお訊ねしたら、『いや、それは大した罪ぢやないよ。』と云つて、笑つていらつしやるのでございます。」
「それに、わたしは屹度その心の中の罪も餘り犯してはゐないと思ひます。」とルケリヤは續けた。「だつて、わたしは物を考へたり、第一、そのことを思ひ出したりしないやうに、自分を躾けてしまつたからでございます。その方が、月日が早く經つてくれます。」
 私は正直な話、びつくりした。
「お前はいつもいつも全くの獨りぼつちぢやないか、ルケリヤ、それだのに、どうして考ヘごとが頭へ浮かんで來ないやうに出來るんだらう? それとも始終眠つてるのかい?」
「まあ、どういたしまして、旦那さま! いつも寢られるとは限りません。大した痛みはございませんけれど、この、お腹(なか)ん中がしくしく疼きましてね、骨の節々もさうなんで、どうも本當にぐつすり眠られません。どう致しまして‥‥ところで、かうしてぢつと横になつて、まじりまじりしながら、考ヘごとをしないのでございます。まあ自分は生きてゐて、息をしてゐるのだと感じる――それだけがやつとなんですからね。かうして、見たり聞いたり致します。蜜蜂が巣でぶんぶん唸つたり、鳩が屋根に止まつてくうくう啼いたり、巣についた牝雞が雛をつれてパンの粉を啄つきに入つて來たり、かと思ふと雀や蝶々が飛んで來たりします。そんなことがとてもいゝ氣持ちでしてね。一昨年(をととし)は燕がそこの隅に巣まで作りまして、子供を孵したのでございます。その面白かつたことと云ひましたら! 一羽が巣に歸つて來て、身體をぴつたりつけながら雛を養ふと、また飛んで行つてしまひます。また見てゐますと、もう入れ替りにほかのが飛んで來る。時には開け放した戸口を掠めて行くことがあります。すると子供たちは、ね、早速ちいちく鳴いて、嘴を開けて待つてゐるぢやありませんか‥‥わたしはその次の年も心待ちにしてゐましたが、何でも土地のさる獵師が鐡砲で擊つてしまつたさうでございます。あんなものを殺して何の足しになるのでせう? 燕なんて甲蟲ほどしかないものを‥‥あなたがた獵をなさる方は、なんて意地わるなんでせうね!」
「おれは燕なんか擊たないよ。」と私は急いで云ひわけした。
「かと思ふと、一度なんか、」とルケリヤはまた云ひ出した。「それは可笑しい事がございましたつけ! 兎が飛び込んだので、本當なんですの! 犬にでも追はれたものでせうか、とに角いきなり戸口から轉がるやうに入つて來ましてね!‥‥すぐ傍にちよこなんと坐つて――いつ迄もぢつとさうしてゐました、のべつ鼻をひくひくさせて、髭を動してゐるぢやありませんか。まるで軍人さんそつくりでしたわ! わたしの方も見てゐましたつけが、わたしが怖いものぢやないつてことを合點したと見えますの。たうとう起きあがつて、ぴよんぴよんと戸口のとこまで跳ねて行きましてね、閾の上で後をふり返つたと思ふと、そのまゝ見えなくなつてしまひました! その可笑しいことと云つたら!」
 ルケリヤはちらと私を眺めた‥‥これでも面白くないか? とでも云ひさうに。私は彼女を悦ばすために微笑んで見せた。彼女はかさかさに乾いた唇を嚙んだ。
「まあ、冬になりますと、そりや當り前のことですけれど、いけまんわ。だつて暗いんですものね。蠟燭をつけるのは勿體ないし、それに何の役にも立ちませんから。わたし、讀み書きは知つてをりまして、いつも本を讀むのは好きでしたけれど、一體まあ、何を讀むのでせう? ここには本なんてまるでないし、よしんば有つたにもせよ、どうして手に持つてゐることなど出來ませう、本なぞを? アレクセイ神父さまが、氣晴らしにといつて、曆を持つて來て下さいましたが、何の役にも立たないことが分かつたものですから、また持つて歸つておしまひになりました。尤も、暗いにや暗うござんすけれど、それでも何か彼か耳に入るものがあります。蟋蟀が鳴いたり、鼠がどこかでがりがり云はしたり――すると、いゝ氣持ちになつて來るんですの、考へないで濟みますから!」
「それから又、お祈も唱へます。」少し息を休めてから、ルケリヤは言葉を續けた。「たゞほんの少しか知りませんのでね、そのお祈を。第一また、わたしなんか何も神樣にうるさくして御迷惑をおかけする事などはありませんもの。わたしなんか何をお願ひすることがありませう! わたしにどんなものが入用なのか、それは神樣の方がよく御存じでいらつしやいます。神樣がわたしにこの十字架を授けて下すつたところを見ると、つまりわたしを愛してゐて下さる證據ですものね。かういふのが、神さまのお云ひつけでございます。『我らの父よ』とか、『聖母マリヤよ』とか『悲しめるものみなへの讃歌』などを誦してしまひますと――又その後は何も考へないで、ぢつと臥てをりますが、それで平氣なのでございますよ!」
 二分ばかり過ぎた。私は沈默を破らないで、腰かけ代りの窮屈な桶の上で身動きもせずにゐた。私の前に横たはつてゐる不幸な生き物の慘たらしい石のやうな靜けさが、私にもいつしか傳はつて自分までが痺れたやうになつて來た。
「ねえ、ルケリヤ、」私は遂に口を切つた。「どうだらう、一つお前に相談があるんだがね。もしなんなら、私がちやんと云ひつけて、お前を町の立派な病院へ連れて行かせるが? もしかしたらまだ癒るかも知れないぜ、そりや何とも云へない。いづれにしても、さうすればお前は獨りぼつちぢやなくなるからな‥‥」
 ルケリヤはほんの心持ち眉を動かした。
「おゝ、いけません、旦那樣、」と心配さうな聲で囁いた。「病院なぞへ送らないで下さいまし、わたしに觸らないで。あんな所へ行つたら、かへつて餘計に苦しい目をするばかりですから。どうしてわたしの病氣が癒せるものですか!‥‥現にいつかもこゝへお醫者さまが來てくれまして、わたしを診察してやると仰つしやるのです。わたしはどうぞ後生ですからそつとして下さいとお願ひしましたが、なんのなんの! わたしをあつちへ向けたり、こつちへ向けたりして、手足を揉み散らしたり、伸ばしたり曲げたりしましてね。『これは學間のためにするのだ。そこが學者の務めなんだ! だから、わしに逆らつたりするのは以ての外だ。なぜかと云つて、わしは色色の仕事をした功で勳章まで頂戴した人間でな、お前たち愚かな者どものために盡くしてやつてゐるのだ。』とこんなに仰つしやいます。さんざわたしをひねくり廻しひねくり廻した擧句、病名を云はれましたが――何だか變挺れんな名前でしてね――それきり歸つてしまひました。ところが、わたしはそれから丸一週間といふもの、身體中の骨がしくしく疼いて困りましたよ。あなた樣は、わたしが獨りぼつちだ、いつも獨りぼつちだ、と仰つしやいますけれど、いゝえ、いつもさうぢやありません。來てくれる人もあります。わたしはおとなしい人間で、迷惑なぞかけませんのでね。百姓の娘達も遊びに來て、お喋りをして行きますし、巡禮の女が通りかゝつて、エルサレムだのキエフだの、いろいろな有難い町々の話をしてくれます。それに、わたしは獨りだつて怖くはありません。結局いゝ位でございます。全くの話が!‥‥旦那さま、どうかわたしをそつとして置いて下さいまし、病院なぞへお通りにならないで‥‥御親切は有難うございますけれど、たゞわたしに構はないで、もし旦那さま。」
「まあ、好きなやうにするがいゝ、好きなやうに、ルケリヤ。私はたゞお前のためを思つて云つただけなんだから‥‥」
「分かつてをります、旦那さま、わたしのためを思つて下さるのですとも。でも、御親切な旦那樣、他人(ひと)を助けるなんて誰に出來るものですか? 誰が他人の心の中まで立ち入れますもんで。人間は自分で自分を助けるより仕方がございませんよ! 早い話が、旦那は本當になさりますまいけれど‥‥時折りかうして獨りで休んで居りますと‥‥まるでこの世に生きてゐるのは、わたしよりほか誰もゐないやうな氣が致します。たゞもうわたしひとりだけが生きた人間みたい! すると、何だか有難い後光でもさして來るやうな按配で‥‥ふつと考へ込んでしまひます――しかも奇妙なことを考へますので!」
「どんな事をそのとき考へるの、ルケリヤ?」
「それは、旦那さま、とてもお話し出來ません。御得心の行くやうに云へません。それに、あとになると忘れてしまふものですから。まるで雲のやうにふわつと來て、夕立ちみたいに降りかゝるんですの、すると何とも云へないほど爽々しい、いゝ氣持ちになるのですけれど、さてそれが何だつたか、一向に譯がわかりません! でも、こんな氣が致します。もしわたしの周圍に人が居りましたらこんな事はちつともなくつて、自分の不仕合せといふよりほか、なんにも考へないのぢやないかつて。」
 ルケリヤはやつとのことで溜め息をついた。胸も手足と同じやうに、彼女のいふことを聞かなかつたのである。
「お見受け申しますと、旦那さま、」と彼女はまた始めた。「あなたはわたしを大そう可哀そうに思つて下さるやうでございますが、どうぞあんまり氣の毒がらないで下さいまし、ほんとに! 打ち明けてお話いたしますけれど、早い話が、わたしは今でもどうかすると‥‥ねえ、お覺えでもございませうが、昔わたしもそれは陽氣な娘でしたね? 蓮つ葉な娘でしたもの!‥‥それで、まあどうでせう? わたしは今でも歌をうたひますの。」
「歌を?‥‥お前が?」
「えゝ、歌をね、古い歌を、輪舞のや、皿占ひ〔皿の下に物を置いて占ふ時の囃し歌〕のや、十二日節のや、いろんな歌を! わたしはそんなのを澤山知つてをりまして、今でも忘れませんから。でもねえ、普通の踊歌は唄ひません。今のやうな身の上になつて見ますと、そんなのは具合が惡うございましてね。」
「それをどんな風に歌ふの‥‥心の中で?」
「心の中でも、それから聲を立てても。大きな聲は駄目ですけれど、でも、ちやんと分かるやうにね。それ、さつきお話しましたでせう――女の子が一人わたしのところへ遊びに來るつて、孤兒ですが、でもね、物分りのいゝ子でして。それでわたし、その子に歌を教へてやりましたの。もう四つばかりちやんと覺えました。本當にはなさいませんか? ちよつと、待つて下さいまし、わたしが今‥‥」
 ルケリヤは身構へに息を深く吸ひ込んだ‥‥この半ば死んだやうな生き物が歌をうたはうとしてゐる、かう考へると私は思はずぞつとした。けれど、私が一言も云ひ出さない中に、長く尾を引いた、漸く聞き取れるか取れないかの、しかも澄み切つた正確な音が、私の耳に響いて來た‥‥つゞいて第二、第三の音。ルケリヤは『草野の中で』を歌つてゐるのであつた。化石したやうな顏の表情を變へず、眼さへきつと据ゑて歌つてゐる。この哀れな、精一杯の、細い煙のやうに打ち慄へる聲は、人の心を動かさねば止まぬ響きを帶びてゐた。彼女はその魂を殘らず注(そゝ)ぎ出したかつたである。私はもう恐れを感じなかつた。言葉に盡くせぬ憐愍の情が私の胸を緊めつける。[やぶちゃん特別字注:「草野の中で」原文は“"Во лузях"”。こちらの合唱をリンクさせて戴く。]
「あゝ、だめです!」と彼女は不意に云つた。「力が續きません‥‥旦那樣のおいで下すつたのがあまり嬉しくつて。」
 彼女は眼を閉ぢた。
 私はその小さな冷たい指の上に手を載せた‥‥彼女は私をちらと見上げた。――古代彫刻でも見るやうな、金色の睫毛に翳(かげ)られた暗い瞼は、ふたゝび閉ぢられてしまつた。間もなく、その眼は薄闇の中で輝きはじめた‥‥眼は涙に濡れてゐる。
 私は相變らず、身じろぎさへもしなかつた。
「まあ、わたしとしたことが!」とルケリヤは、思ひがけない力の籠つた調子で不意に口を切つた。そして眼を大きく見開きながら、瞬きで涙をふり拂はうとした。「よくまあ、恥づかしくない! なんといふことでせう? もう永らくこんな事はなかつたんですのに‥‥去年の春、ヷーシャ・ポリャコフが訪ねて來た、あの日以來のことで。あの人がそこに腰かけて、話をしてゐた間は、何のこともありませんでしたが、行つてしまつた後で、獨りきりになると、怺へ性なしに泣き出してしまひました! 一體どこからこんなものが出て來るのでせう!‥‥尤も、わたしたち女の涙なんて、たゞ同樣のもので、他愛なく出るものですけれどね。ねえ、旦那さま、」とルケリヤは云ひ足した。「多分ハンカチをお持ちでいらつしやいませうね‥‥お氣持ちが惡いでせうけれど、わたしの眼を拭いてやつて下さいませんか。」[特別やぶちゃん字注:「怺へ性」は「こらへしやう(こらえしょう)」と読む。堪(こら)え性に同じい。]
 私は急いでその望みを叶へてやつた。そしてハンカチを殘して置いてやつた。彼女は初め辭退して‥‥こんなものを頂いて何といたしませう? と云ふのであつた。ハンカチは極く質素なものながら、淨(きれ)いでまつ白だつた。やがて彼女は弱々しい指で摑むと、もうそれきり放さうとしなかつた。私は二人を包んでゐる暗がりに馴れて來たので、彼女の顏の輪郭をはつきりと見分けることが出來、靑銅色(ブロンズ)の皮膚に滲み出してゐる徴かな紅(くれなゐ)の色にさへ氣がついた。そして、少なくとも私にはさう思はれたのだが、その昔の美しかつた名殘りを、その顏に見つけ出すことができたのである。
「ねえ、旦那さま」とルケリヤはまた云ひ出した。「さつき眠れるかとお訊ねになりましたね? なる程、わたしは稀(たま)にしか眠りませんけど、でも、寢た時にはきつと夢を見ます――いゝ夢をね! 夢の中では、いつだつて病氣のことはございません。いつも達者で若くつて‥‥たゞ一つ悲しいことには、眼が醒めて、氣持ちよく伸びをしようと思ひますと――どつこい、まるで鎖で縛られたやうなんでございます。いつでしたか、それはそれは有難い夢を見ましたつけ! なんならお話やたしませうか? では聞いて下さいまし。――ふいと見ると、わたしは野原の中に立つてゐるのでございます。まはりには裸麥が一面に生えてをりましてね、よく熟れて背が高く黃金色(きんいろ)をしてをります!‥‥そばには赤い犬がついてをりましたが、それが意地の惡い、とても意地の惡いやつでして、のべつわたしに嚙みつかう、嚙みつかうと致します。さて、わたしは手に鎌を持つてゐるのでございます。しかもたゞの鎌ではなくて、紛れもないお月樣なのでございます。ほら、月がよく鎌みたいになりますね、あれですの。この月でもつて、わたしは裸麥をすつかり綺麗に刈つてしまはなければなりません。たゞ暑いので、身體がぐつたりして、それにお月さまが目眩しくつて堪りませんし、妙に億劫なのでございます。ところが、周りには矢車菊が生えてゐましてね、とても大きな輪(りん)なんですの! それが急にみんなわたしの方へ頭をふり向けました。わたしはこの矢車菊を摘んでやりませうと考へました。ヷーシャが來るつて約束しましたから、丁度さいはひ、まづ花環を拵へよう、刈るのはその後でも間に合ふから、と思ひましてね。矢車菊を摘みにかゝりました。ところが幾ら摘んでも摘んでも、花は指の間からどこかへ消えて行くのです。どうしても駄目! 花環は編めないぢやありませんか。さうかうしてゐる中に、誰やらわたしの方へ來る足音が聞こえます。すぐ傍まで來て、ルーシャ! ルーシャ! と呼ぶのでございます‥‥あゝ、困つた、間に合はなかつた! とわたしは考へました。でも、同じことだ、矢車菊の代りにお月樣を頭に被らう、と思ひまして、飾頭巾のやうにお月樣を被りますと、急にわたしの身體が光り出して、野原が一面に明るくなりました。ふと見ると――麥の穗先きを傳はつて矢のやうに早く走つて來るものがある――でも、それはヷーシャではなくて、當の基督樣なのでございます! どうしてそれが基督樣と分つたか、それは云へません。繪に描いてあるやうなお姿とも違ひますけれど、とにかくさうなのです! お鬚がなくて、背の高い、若い方で、まつ白な着物をきていらつしやいましたが、たゞ帶だけが金なのでございます――わたしの方へお手を差し伸べて仰しやるには、『怖がることはない、美しく着飾つたわしの花嫁、わしの後からついておいで。お前は天國で輪舞(ホロヲード)の音頭を取つて、極樂の歌を唄ふのだ。』わたしはいきなりそのお手に吻(くち)をつけました。犬は不意にわたしの足に嚙みつきました‥‥けれど、その時わたしたちは虛空へ舞ひ上がりました! 基督樣が先きに立つていらつしやる‥‥そのお翼が鷗のやうに長くて、空いつぱいに擴がつてゐます――わたしはその後からついて參りました。そこで犬もわたしの足から離れなければなりませんでした。その時はじめて、この犬はつまりわたしの病氣なのだ。でも天國に行けば、こんなものの居場所は、なくなるのだといふことが、やつと分かつたのでございます。」
 ルケリヤはちよつと口を噤んだ。
「それからこんな夢も見ました。」とまた語り出した。「でも、ひよつとしたら現(うつゝ)に見えたのかも知れませんけれど――それはもう何とも云へません。わたしはこの納屋の中に臥てゐるやうな氣がしました。すると亡くなつた兩親が、お父さんとお母さんが參ましてね、わたしに丁寧なお辭儀をするんですが、口はつちとも利きません。わたしが『お父さん、お母さん、何だつてわたしにお辭儀なさるんですの?』と訊きました。『ほかでもない、お前はこの世で自分の魂を樂にしたばかりでなく、私達の心からも大きな重荷をおろしてくれた。だから、私達はあの世で大層具合がよくなつたよ。お前はもう自分の罪は綺麗になくなつてしまつて、いま私達の罪滅ぼしをしてくれてゐるのだよ。』かう云つて、兩親はまたわたしにお辭儀をすると、姿が見えなくなつてしまつて、目に映るのは壁ばかりなのでした。その後で、これは一體どういふ事なんだらうと、不思議で不思議で堪りませんでした。懺悔のとき、お坊樣にもお話した位でございます。でも、お坊樣は、それは幻ではない、幻はたゞ坊さんにだけ見えるものだから、とこんなに仰しやいました。」
「それからね、こんな夢もございましたつけ。」とルケリヤは言葉を續けた。「なんでもわたしが街道の楊の下に坐つてゐる處なので。手に削つた杖を持つて、袋を背中に負ひましてね、頭は布(きれ)で包んで、そつくり巡禮なのでございます! どこか遠い遠い所へ、靈場巡りに行かなければならないのでした。巡禮がのべつわたしのそばを通り過ぎて行きます。みんな厭々さうにのろのろと歩いて、同じ方ばかり指してゐるのでございます。誰も彼もぐつたりしたやうな顏をして、みんなお互に似てゐるのです。ふと見ると、大勢の間に一人の女がうろうろして、ぐるぐる歩き廻つてをります。背が高くて、みんなの頭の上に首がちやんと見えてゐましてね、着てゐる着物も何だか特別なもので、わたし達のやうな露西亞風とは違つてをります。顏もやはり特別な顏で、脂けのない嚴しい顏でした。そして、誰もがその女を避けるやうにしてゐるのです。女は急にくるりと身を飜して、まつすぐにわたしの方へやつて來るぢやありませんか。わたしのそばに立ち止つて、ぢつと見つめる、その眼が鷹のやうに黃色くて大きくて、澄みに澄んでゐるのでございます。『どなた?』と訊ねますと、『わしは死神だよ。』と申します。わたしは吃驚りするどころか、却つて大喜びして十字を切りました! するとその女が、死神の云ふことには、『ルケリヤ、わしはお前が可哀さうだけれど、でも連れて行くわけにはゆかない、さやうなら!』ああ! わたしはそのとき辛くて辛くて堪りませんでした!‥‥『つれて行つて下さい、あなた、わたしの大好きなお方、どうぞつれて行つて下さいな!』と申しますと、死神はわたしの方へ振り向いて何か云ひ出しました‥‥わたしは最後の時を決めて下さるのだなと悟りましたけれど、よく分かりません、聞き取りにくいので‥‥ペトロフキ〔六月二十九日の聖ペテロ祭前の精進期。〕が濟んでからといつたやうな氣がしました‥‥そこでわたしは眼が醒めたのでございます‥‥よくこんな不思議な夢を見るんでしてね!」
 ルケリヤは眼を上へ向けて‥‥考へ込んだ‥‥
「たゞ一つ困つたことには、一週間以上もまるで眠られないことがございます。去年ある奧さまが通りかゝられまして、わたしをご覽になつて眠り藥を一と壜くださいました。一度に十滴(たらし)づつ飮めといふことで。これが大層よく利きまして、よく眠れたものですけれど、もうその藥も疾くに飮んでしまひました‥‥一體あれは何といふ藥かご存じございませんか、そして、どうしたら手に入るでございませう?」
 通りすがりの奧さんは、察するところ、阿片をやつたに相違ない。私はその藥を屆けてやると約束したが、又もや改めて、彼女の辛抱つよさに感嘆の叫びを洩らしたのであつた。
「なあ、旦那さま!」と彼女は打ち消した。「何を仰つしやいます! これが何の辛抱でございませう? まあ、聖シメオン樣などのご辛抱は、なるほど大したものでした。三十年もの間、柱の上に立ち通していらつしやいましたからね! 又もう一人の聖者の方は、自分の體を胸まで土の中に埋めさせて、顏を蟻に食はれておいでになりましたものね‥‥それから、これは村の先生が話して聞かせて下すつたのですけれど、ある國があつて、その國を回々教のやつらが攻め取りましてね、國中のものを苛い目に遭はしたり、殺したりしました。その國の人たちも色々に手を盡くしたのですけれど、敵を追ひ出すことが出来なかつたのでございます。ところが、その國にまだ處女(むすめ)ながら一人の聖女が現はれました。大きな劍を取つて十貫目もあるやうな冑をつけて、回々教のやつらを征伐に向かひ、すつかり海の向かうへ迫つ拂つてしまひました。けれども敵を追つ拂つてしまうと、その敵に向かつて、『さあ、これからわたしを火焙りにして下さい。わたしは國民のために火に燒かれて死ぬと誓つたのだから。』と申しました。で、回々教徒の奴らは處女(むすめ)を摑まへて、火焙りにしてしまひました。その時からこの國の人たちは、ずつと自由の身になつたさうでございます! これこそ本當にえらい苦行でございます! わたしなんかどう致しまして!」
 私は、どこからどうしてジャンヌ・ダルクの傳説がこんな田舍へ入つて來たのかと、心ひそかに驚いた。暫く默つてゐた後でルケリヤに、この處女の年は幾つであつたかと訊ねてみた。
「二十八か‥‥九‥‥三十にはなりますまい。でも、そんなもの、年なんぞ勘定したつて仕樣がありません! それより、もう一つお話しいたしませう‥‥」[特別やぶちゃん字注:モデルであるカトリック教会の聖人で「オルレアンの処女」(la Pucelle d'Orléans)と称されるジャンヌ・ダルク(Jehanne Darc 一四一二年?~一四三一年五月三十日)は異端審問で自ら満十九歳と答えている。ルケリヤの現年齢は前半の主人公「私」の過去の叙述から見て恐らく、この「二十八か‥‥九‥‥三十にはな」らぬ同年齢であると推定し得る。]
 ルケリヤは不意に妙な閊へたやうな咳をして、ほつと溜め息をついた‥‥。[特別やぶちゃん字注:「閊へた」「つかへた」と読む。咽喉や胸にものが塞がるの意の「痞(つか)える」である。]
「お前は話をし過ぎるよ。」私は注意した。「體に障るかも知れないよ。」
「全くでございます。」と、彼女はやつと聞こえるか聞こえないかに囁いた。「このお話もこれでお終ひと致しませう。仕樣がありませんもの! 今にあなたが行つておしまひになつたら、思ふ存分默りこくつてをりませう。とにかく、これで胸がすつとしましたから‥‥」
 私はルケリヤに別れ告げた。藥を送つてやるといふ約束を繰り返して、尚もう一度よく考へ直した上、何か欲しいものがあつたら云つてくれ、と申し出た。
「わたし何も欲しくはありません。何一つ不足はございません。お庇樣で。」ひどく骨の折れるらしい樣子であつたが、感動の籠つた聲で云つた。「どうか皆樣お達者でいらつしやいますやうに! あゝ、ときに、旦那樣、お母樣にお口添へ下さいませんでせうか。この土地の百姓は貧乏でございますから、ほんの少しでも年貢のお金を減らして頂きたいもので! 田地も不足でございますし、別口から上がるものもありませんし‥‥さうして下さいましたら、どんなにかあなた樣を御恩に思ふことでございませう‥‥わたしなんにも欲しいものはございません――何一つ不足ありません。」
 私はルケリヤの願ひを叶へてやると約束して、もう戸口のところまで行つたとき‥‥彼女は私をもう一度呼び戻した。
「覺えていらつしやいますか、旦那さま、」と彼女は云つた。すると、その眼や唇に何かしら不思議な影が閃いた。「わたしがどんな髮をしてゐましたか? お覺えでございますか――膝まで屆くほどありましたの! わたし永い間、思ひ切れませんでした‥‥あれだけの髮つてねえ!‥‥でも、あれを梳かすわけには參りませんもの、こんな境涯で! それで、たうとう一と思ひに切つてしまひました‥‥さうなんですの‥‥では、さやうなら、旦那樣! もう口が動きません‥‥」
 その日、獵に出かける前に、私は農場附きの小頭とルケリヤの話をした。この男の口から、ルケリヤが村で「生きた御遺骸〔奇蹟的に不朽のまゝで殘る聖者の遺骸、ロシヤ國民の信仰の一對象〕」と呼ばれてゐることを知つた。あんな風でゐながら、一向に迷惑になるやうなこともなく、嘗て不平や愚痴など聞いたことがないとのことであつた。『自分の方から何をしてくれ、かにをしてくれなどと云はないどころか、却つてどんな事をして貰つても有難がつてをります。蟲も殺さぬ人、全くのところ蟲も殺さぬ人と云はんけりやなりません。ありや神樣に打ちのめされた女でがすな。』と小頭は言葉を結んだ。『つまり、それだけの業(ごふ)があつたのでございませうて。しかし、私共はそんなことを詮議立て致しません。だから早い話があの女を惡く云ふなんて事はない、決して決して、あの女を惡くなぞ云ふものですか。あれはあれでいゝんで!』
 幾週間か經つて、私はルケリヤが死んだといふことを聞いた。やつぱり死神が迎へに來た‥‥しかも「ペトロフキが濟んでから」やつて來たのだ。人の話によると、亡くなる當日、彼女の耳には絶えず鐘の音が聞こえてゐたとのことである。そのくせアレクセーエフカから教會までは五露里の餘もあつて、おまけに、その日は日曜でも祭日でもなかつたのである。尤も、ルケリヤはその音が教會からではなく、「上の方から」響いて來ると云つゐたさうだ。多分、「天から」と云ふのを憚つたのであらう。

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