ツルゲーネフ原作米川正夫譯「生きた御遺骸」(「獵人日記」より)(Ⅵ)
「まあ、冬になりますと、そりや當り前のことですけれど、いけまんわ。だつて暗いんですものね。蠟燭をつけるのは勿體ないし、それに何の役にも立ちませんから。わたし、讀み書きは知つてをりまして、いつも本を讀むのは好きでしたけれど、一體まあ、何を讀むのでせう? ここには本なんてまるでないし、よしんば有つたにもせよ、どうして手に持つてゐることなど出來ませう、本なぞを? アレクセイ神父さまが、氣晴らしにといつて、曆を持つて來て下さいましたが、何の役にも立たないことが分かつたものですから、また持つて歸つておしまひになりました。尤も、暗いにや暗うござんすけれど、それでも何か彼か耳に入るものがあります。蟋蟀が鳴いたり、鼠がどこかでがりがり云はしたり――すると、いゝ氣持ちになつて來るんですの、考へないで濟みますから!」
「それから又、お祈も唱へます。」少し息を休めてから、ルケリヤは言葉を續けた。「たゞほんの少しか知りませんのでね、そのお祈を。第一また、わたしなんか何も神樣にうるさくして御迷惑をおかけする事などはありませんもの。わたしなんか何をお願ひすることがありませう! わたしにどんなものが入用なのか、それは神樣の方がよく御存じでいらつしやいます。神樣がわたしにこの十字架を授けて下すつたところを見ると、つまりわたしを愛してゐて下さる證據ですものね。かういふのが、神さまのお云ひつけでございます。『我らの父よ』とか、『聖母マリヤよ』とか『悲しめるものみなへの讃歌』などを誦してしまひますと――又その後は何も考へないで、ぢつと臥てをりますが、それで平氣なのでございますよ!」
二分ばかり過ぎた。私は沈默を破らないで、腰かけ代りの窮屈な桶の上で身動きもせずにゐた。私の前に横たはつてゐる不幸な生き物の慘たらしい石のやうな靜けさが、私にもいつしか傳はつて自分までが痺れたやうになつて來た。
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