譚海 卷之一 富士山の事
富士山の事
○富士絶頂をオハチヤウと云。其外に藥師が嶽といふあり。六月十二日其堂の開帳也。此日登山すれば毎年極て天氣よしと云り。大抵富士山は登山七月中よろし、天氣晴朗也。六月中は天氣よき事すくなく山あるゝ也。七月も廿日より後登山はやうやく雪ふるゆへ寒しと。すばしり村の御師(おし)大申覺(だいしんがく)太夫(たいふ)物語なり。
[やぶちゃん注:「オハチヤウ」底本には右に『(八葉)』と傍注する。これは富士山頂にある八つの峰、八神峰(はっしんぽう)のこと。これを仏教の「八葉蓮華」(花弁が八枚ある蓮華で、真言密教などでは胎蔵界曼荼羅の中央にこれを描いて、中央に大日如来を、各八葉に四人の仏陀と四人の菩薩を配する)に掛けて「八葉」という名称で呼んだもの。ウィキの「八神峰」によれば、最高峰の剣ヶ峰(三七七六メートル)以下、白山岳(釈迦ヶ岳)・久須志岳(薬師ヶ岳)・大日岳(朝日岳)・伊豆岳(観音岳/阿弥陀岳)・成就岳(勢至ヶ岳/経ヶ岳)・駒ケ岳(浅間ヶ岳)・三島岳(文殊ヶ岳)。
「其堂」同山頂の久須志神社のこと。薬師如来及び鹿島金山大権現を祀る。
「すばしり村」静岡県の北東、富士山の東斜面にあった駿東郡須走村。現在は小山町内。
「御師(おし)」神宮や神社に属して、信徒の依頼により、代祈祷を行った祈祷師。熊野・伊勢など一社の信徒を相手に祈祷や宿泊の世話をした。参詣に不便な山岳神などの代理祈禱なども行った。伊勢神宮のそれのみ「おんし」と読む慣わしがある。
「大申覺太夫」恐らくは筆者の「大申學太夫」の誤記と思われる。「大申學」は須走村で代々御師を勤めた家の屋号だからである(八木書店二〇〇〇年刊木村礎・林英夫編「地方史研究の新方法」に拠る)。現在も旅館を営んでおられるようである。「太夫」は神社の御師の称。]
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