小泉八雲 神國日本 戶川明三譯 附原文 附やぶちゃん注(7) 日本の家族(Ⅱ)
讀者は古のアリヤン民族の家族の內にあつて、その結合してゐる覊絆が、愛情を主とした覊絆でなくして、宗敎の覊絆であり、それに對しては、自然の愛情なるものは、全然從屬の位置にあつたものである事に、必らず氣づいた事であらう。この事情は祖先崇拜のある處、必らず族長的家族の特徴となつて居る。それで日本の家族も、古ギリシヤ若しくはロオマの家族の如く、嚴格なる意味に於ての宗敎的社會であつたし、今でもなほそのまま宗敎的社會として殘つて居る。その組織は本來祖先崇拜の要件に從つて出來たものであつて、その後に入つて來た孝道の敎の如きも、一層古い而も同種の宗敎の必要に應ずるために、支那で既に發達して居たものであつた。吾々は日本の家族の組織、法律、慣習等の內に、古いアリヤン民族の組織及び傳統的法律との幾多の類似點を認めると考へる――社會學的發展の方則はただ僅の例外をゆるすのみで、大槪は同一なものであるが故に、事實かくの如き多くの類似點は明らかに認められるのである。深い比較硏究の材料はまだ集められては居なかつなので、日本の家族の過去の歷史に就いて學ぶべき事はまだ多く殘つて居る。併し大體の筋道について言へば、古ヨオロッパに於ける家族制度と、極東に於ける家族制度との間の類似は、明らかに認められる事である。
[やぶちゃん注:「覊絆」音なら「きはん」で「羈絆」とも書き、当て読みで訓ずるなら「きずな」(歴史的仮名遣は「きずな」であって「きづな」ではない。逆に現行の現代仮名遣で「きづな」と書けるに過ぎないので、あくまで表記の「きづな」は歴史的仮名遣では誤りであるので、注意されたい)であるが、「神國日本」の格調からは「きはん」である。「羈」も「絆」も元来は、牛馬を繫ぎ止めるものを指し、行動する者の妨げになるものや事柄。絆(ほだ)し(但し、「ほだし」は刑具として用いる手枷(かせ)・足枷を第一義とする)。]
當初のヨオロッパの文化に於ても、古い日本の文化に於ても、一家の繁榮は祖先の祭祀の務めを嚴格に完うするにあるといふ信仰があつた、そして此信仰が今日に於ける日本の家族の生活を支配して居る事は著しいものである。一家の幸運は祖先の禮拜を行ふに在り、最大の不幸は其式を行ひ、供物を爲すべき男子の後繼を殘さずして死ぬといふ事であると、今なほ考へられて居る。古のギリシヤ人竝びにロオマ人の間に於ける孝道の最高の務めは、家族の祭祀の永續を完うするにあつた、從つて獨身生活は一般に禁じられて居た――結婚の義務は法律に依つて勵行されなければ、輿論に依つて勵行されたのである。古い日本の自由を有する階級にあつても、結婚は一般の規則としては、男子の後繼者の場合義務的であつた、獨身生活は法律を以つて有罪とされない場合には、慣習に依つて非難された。次男以下の場合、子なくして死ぬといふのは、その人一個の不幸であつたが、長男で後繼者の場合、男子の跡繼ぎを殘さずして死ぬといふのは、祖先に對する罪惡てあつた、――それに依つて祖先の祭祀が絶えるといふ恐れがあるので。如何なる口實があつても、子なくして居るといふ事は許されない。日本に於ける家族の法律は、昔のヨオロッパに於けると正しく同樣で、かくの如き子のないといふ場合に對して、十分な用意が出來て居るのてあつた。則ち妻に子がなかつた場合には、その妻は離婚される事もあつた。また離婚すべき理由のなかつた場合には、世嗣を得るといふ目的の爲めに妾を置き得たのである。なほ進んで各家族の代表者は世嗣を養子する特權を有して居た。また惡い息子は廢嫡され、その代りに他の靑年を養子する事もあつた。さらに最後に女の子ばかりで、男の子のなかつた場合、祭祀の繼續はその長女のために夫を養子して得られたのである。
[やぶちゃん注:「獨身生活は一般に禁じられて居た」吉田忠雄氏の論文「日本の労働力問題」(PDF)の中に、『古代ギリシャや古代』『ローマの市民は、ほとんど子供を生まず、人口不足に悩まされたことがある。アテネもスパルタも、法律によって独身を禁じたし、ローマもまた、未婚者や子供の少ない市民の市民的権利に制約を加えた』とある。但し、続いて、『しかし、出生率はほとんど高まらず、人口は減少し』、『ギリシヤもローマも、国外から亡ぼされる以前に、内部から崩壊していった』とある。]
併しながら古いヨオロッパの家族に於けると同樣、女の子達は家を繼承する事は出來なかつた、繼續の系統は男系にのみあるので、男子の嫡子を得る必要があつたのである。古い日本の信仰に依れば、古ギジシヤ、ロオマの信仰に於けると同樣、母親でなくて父親が生命を與へる人であつた、生々の本元は男性にあつて、禮拜【註】を保持する務めは【註】子でなく男子にあつたのである。
[やぶちゃん注:以下、注は底本では全体が四字下げでポイント落ち。この注は以降、略す。]
註 祖先を禮拜する人種の間にあつて繼承が男系にある場合、祭祀も男系にある。併しながら讀者は族長い政治よりも一層古い原始的社會の形――女子家長政治時代――に於ても祖先の禮拜は行はれて居たと想像されて居る事を知つて居るであらう。スペンサア氏は恁う言つて居る『繼屬の女系にあつた時代には、如何なる事があつたか、それは明瞭でない。かくの如き習慣のあつた社會に於て、死者の靈に仕へる義務がその人の子供の一人の上にあつて、他のものの上にそれが被される事はなかつたといふ事を示す記錄は未だ見なかつた處である』と。(『社會學原理』第三卷六〇一節)
[やぶちゃん注:「社會學原理」ハーバート・スペンサー(Herbert Spencer 一八二〇年~一九〇三年)の『総合哲学体系』(“ System of Synthetic Philosophy ”)全十巻の第三巻“ Principles of Sociology ”(一八七四年~一八九六年)。]
婦人も祭祀に參與した、併しそれを保持する事は爲し得なかつた。その上一家の娘達は、一般の規則として結婚して他家へ行く運命をもつて居たので、家庭の祭祀には一時的の關係をもちうるのみであつた。妻の宗敎はその夫の宗敎たるべき事が必要であつた、それでギリシヤの歸人と同樣、日本の婦人も他家に嫁する事に依つて、當然その夫の一家の祭祀に加はるのであつた。この理由から特に族長的家族に於ける女性は、男性とは等しくないので、姉妹は兄弟とは同列たり得ないのである。日本の娘も、ギリシヤの娘と同樣、結婚後も自分の家にとどまり得たのは事實である。夫がその娘のために養子された場合には、――換言すれば、それは夫が子息としてその家に迎へられた場合である。併しこの場合に於てすら、娘は只だ祭祀に參與しうるのみで、その務めを保持するのは養子となつた夫の義務となつたのである。
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