夢野久作 日記内詩歌集成(Ⅷ) 昭和三(一九二八)年 (全)
昭和三(一九二八)年
一月六日 金曜
◇かもはかや無き名を三十一文字に
かへしまつらむことの葉もなし
◇はずかしやまゐらせし香のほそけむり
白とか書きて龍年の春
◇八十九四十と年は違へども
香きくはなの友となりけり
[やぶちゃん注:「はずかし」はママ。短歌の前の日記の末尾に、
堀江氏老母八十九歳、君子に茶の湯を教ゆ。余線香を送りしに、歌送り來る。
古きものゝ香をりゆかしく老の身に
めくみたまひてきくぞうれしき八十九、雄子、杉山樣。
とあるのに続く、恐らくは久作の心の内のこの老母との相聞歌である。但し、一首目の「かもはかや無き」、二首目の「白とか書きて」というのは私が馬鹿なのか、意味が判らない。識者の御教授を乞う。なお、昭和三年は「戊辰(つちのえたつ)」である。夢野久作、満三十九歳の年であった。]
一月八日 日曜
◇冬の日の空しき空を渡りはてゝ
金茶の色に沈みゆくかな
一月九日 月曜
◇うつろなる自分の心を室の隅に
ヂット見つむるストーブの音。
二月十九日 火曜
町を出て人無き草の野に寢ねて
吾が靑空よと呼びかけてみる
二月二十二日 水曜
春淺み厨の隅に音するは冬の名殘りの風からずか
戸の羽に物音するはぬす人か冬の名殘りの風かあらずか
[やぶちゃん注:「戸の羽」不詳。]
二月二十三日 木曜
せことわれとうたひふみゆくはるのくさ
やまかけにほふしのゝめのころ
二月二十六日 日曜
風のみは冬の名殘りの心地して
星の光りのやうにうるめき
二月二十八日 火曜
◇春殘みわびしいといふにあらねども雲の底を流るゝものを
思ふとおふにあらねど春殘みうす雲の底を日の流るゝ
三月四日 日曜
窓の外の松の木ぬれを動かして
くもりの空ゆ風いでにけり
[やぶちゃん注:「こぬれ」は「木末」と書き、「「木(こ)の末(うれ)」の転。「梢」に同じい。万葉以来の古語。]
四月十六日 月曜
人格は瘠せてシヨンボリ祈りして
冷たい寢床にもぐり込む哉
五月十四日 月曜
◇ピストルが俺の眉間を睨みつけた
ズドンと云つたアッハッハッハ
◇黑い黑い祕密の核を春の□
ひとり指さして赤い舌出す
[やぶちゃん注:「黑い黑い」の後半は底本では踊り字「〱」。前の一首は、同年十一月号『獵奇』に載った「獵奇歌」の一首、
ピストルが俺の眉間を睨みつけて
ズドンと云つた
アハハのハツハ
の初稿。二首目の「□」は判読不能字。]
五月十七日 木曜
◇毎日毎日、向家の屋根のペンペン草を
見ていた男が狂人になつた。
[やぶちゃん注:「毎日毎日」の後半は底本では踊り字「〱」。]
五月十九日 土曜
◇工女うたひてかへりひそやかに
梨の花散る夜となりにけり
◇カルモチン紙屑籠に投入れて
又取り出してヂツトながむる
◇死なむにはあまりに弱き心より
人を殺さむ心となりしか
[やぶちゃん注:二首目は、やはり同年十一月号『獵奇』に載った「獵奇歌」の、
カルモチンを紙屑籠に投げ入れて
又取り出して
ジツと見つめる
の初稿。]
五月二十一日 月曜
◇ドラッグの蠟人形全身を想像してみて
冷汗流す
◇白く塗つた妻の横顏に書いてある戀は
極度の誤解である
◇啞の女が口から赤ん坊生んだげな
その子の父の袖を捉えて
◇檻獄に這入らぬ前も出た後も
同じ靑空に同じ日が照ってゐる
◇闇の中から血まみれの猿がよろよろと
よろめきかゝる俺の良心
◇波際に猫の死骸が齒を剝いて
夕燒けの空を冷笑してゐた
[やぶちゃん注:第五首目の「よろよろ」の後半は底本では踊り字「〱」。一首目は、やはり同年十一月号『獵奇』に載った「獵奇歌」の中の一首、
ドラツグの蠟人形の
全身を想像してみて
冷汗ながす
の初稿。そこで注した通り、「ドラッグ」は麻薬中毒患者の部分ムラージュのこと。三首目も、同号『獵奇』の同じ「獵奇歌」の、
啞の女が
口から赤ん坊生んだゲナ
その子の父の袖をとらへて
の初稿。四首目及び五首目は同年十月号『獵奇』の「獵奇歌」に載る、
監獄に
はいらぬ前も出た後も
同じ靑空に同じ日が照つてゐる
と、
闇の中から血まみれの猿が
ヨロヨロとよろめきかゝる
俺の良心
の初稿。最後の一首は、ずっと後の昭和一〇(一九三五)年十月号『ぷろふいる』の「獵奇歌」に載る、
波際の猫の死骸が
乾燥して薄目を開いて
夕日を見てゐる
がかなり酷似した類型歌で、初稿だったのかも知れない。]
五月二十二日 火曜
◇白い蝶が線路を遠く横切って
汽車がゴーと過ぎて吾が戀おはる
◇自轉車の死骸が空地に積んである
乘った奴の死骸も共に
[やぶちゃん注:以上の二首は、同年十月号『獵奇』の「獵奇歌」に載る(順序は逆)、
白い蝶が線路を遠く横切つて
汽車がゴーと過ぎて
血まみれの戀が殘る
自轉車の死骸が
空地に積んである
乘つてゐた奴の死骸も共に
の初稿。]
五月二十三日 水曜
◇靑空の隅からヂッと眼をあけて
俺の所業を睨んでゐる奴
◇ニセモノのパスで電車に乘つてみる
超人らしいステキな氣持ち
[やぶちゃん注:やはり二首とも、同年十月号『獵奇』の「獵奇歌」に載る(但し、順序は逆)、
靑空の隅から
ジツト眼をあけて
俺の所業を睨んでゐる奴
ニセ物のパスで
電車に乘つてみる
超人らしいステキな氣持ち
の初稿。]
五月二十四日 木曜
◇見てはならぬものをみてゐる吾が姿
ニヤリ笑ってふり向いてみる
◇抱きしめる其瞬間にいつも思ふ
あの泥沼の底の白骨
[やぶちゃん注:やはり二首とも、同年十月号『獵奇』の「獵奇歌」に載る(但し、順序は逆)、
見てはならぬものを見てゐる
吾が姿をニヤリと笑つて
ふり向いて見る
抱きしめる
その瞬間にいつも思ふ
あの泥沼の底の白骨
の初稿。]
五月二十六日 土曜
◇すれちがつた今の女が眼の前で
血まみれになるまひるの紅茶
[やぶちゃん注:同年十一月号『獵奇』の「獵奇歌」の中の一首、
すれちがつた今の女が
眼の前で血まみれになる
白晝の幻想
の初稿であるが、初稿の方が遙かによい。]
五月二十七日 日曜
◇闇の中にわれとわれとがまっくろく
睨み合ったきり動くことが出來ぬ
◇倉の壁の木の葉の影が出雲の形になつて
赤い血汐したゝる
◇枕元の花に藥をそゝぎかけて
ほゝえみて眠る肺病の娘
[やぶちゃん注:これらは先に示した、後の昭和五(一九三〇)年五月号『獵奇』に載る、現行の「獵奇歌」の一部にされている、十首連作の「血潮したゝる」の原型となったもののように私には感じられる。例えば一首目は同「血潮したゝる」の一首目の、
闇の中に闇があり
又闇がある
その核心から
血潮したゝる
と通底し、二首目は同「血潮したゝる」の八首目の、
日の影が死人のやうに
縋り付く倉の壁から
血しほしたゝる
と類似するし、なおも三首目は同「血潮したゝる」の七首目の、
水藥を
花瓶に棄てゝアザミ笑ふ
肺病の口から
血しほしたゝる
と響き合うからである。]
五月二十八日 月曜
◇心臟が切り出されたまゝ動いてゐる
さも得意氣にたつた一人で
◇眞夜中に心臟が一寸休止する
わるい夢を見るのだ
[やぶちゃん注:同年十月号『獵奇』の「獵奇歌」の最後の一首、
倉の壁の木の葉が
幽靈の形になつて
生血がしたゝる心臟が
切り出されたまゝ
とごく親しい臭いがする。何故なら、二首目の方はその二首前にある、
眞夜中に
心臟が一寸休止する
その時にこはい夢を見るのだ
の完全な初稿であるからである。]
五月三十日 水曜
◇血だらけの顏が沼から這ひ上る
私の曾祖父に斬られた顏が
◇窓の際になめくじのやうな雲が出て
見まいとするけど何だか氣になり
[やぶちゃん注:「なめくじ」はママ。二首ともに同年十一月号『獵奇』の「獵奇歌」に載る(但し、順序は逆)、
血だらけの顏が
沼から這ひ上る
俺の先祖に斬られた顏が
地平線になめくぢのやうな雲が出て
見まいとしても
何だか氣になる
の初稿。]
六月四日 月曜
◇水の底で胎兒は生きておりてゐる
母は魚に食はれてゐるのに
◇わが首を斬る刃に見えて
生血が垂れる監房の窓
[やぶちゃん注:二首ともに同年十一月号『獵奇』の「獵奇歌」に載る、
水の底で
胎兒は生きて動いてゐる
母體は魚に喰はれてゐるのに
日が暮れかゝると
わが首を斬る刃に見えて
生血がしたゝる監房の窓
の初稿。一首目は直ちに「ドグラ・マグラ」の中の「胎兒の夢」を連想させるが、まさに、この昭和三年も久作は後に「ドグラ・マグラ」となる「狂人の解放治療」(日記本文では専ら「狂人」と記す)の改作・増筆に費やしていることが日記本文から判る。]
六月五日 火曜
◇あの娘を空屋で殺して置いたのを誰も知るまい……藍色の空
◇けふも沖があんなに靑く透いてゐる誰か溺れて死んだんだべ
◇棺の中で死人がそっとあくびしたその時和尚が咳拂ひした。
[やぶちゃん注:三首目の「拂」は底本の用字。最初の二首は同年十一月号『獵奇』の「獵奇歌」に載る(但し、逆)、
あの娘を空屋で殺して置いたのを
誰も知るまい
藍色の空
けふも沖が
あんなに靑く透いてゐる
誰か溺れて死んだだんべ
の初稿。三首目は翌十月号『獵奇』の「獵奇歌」に載る、
棺の中で
死人がそつと欠伸した
その時和尚が咳拂ひした
の初稿。]
六月六日 水曜
◇一番に線香立てに來た奴が俺もと云ふて息を引取る
◇若い醫者が乃公の生命預つたといふてニヤリと笑ひくさつた。
◇くら暗で血みどろの俺にぶつかつたあの横路次のハキダメの横で
[やぶちゃん注:「乃公」普通は「だいこう」或いは「ないこう」で、一人称の人代名詞として、男性が目下の者に対して、或いは尊大な表現として「自分」をさしていう語で、「我が輩」と言ったニュアンスであるが、ここは後に示す決定稿から「おれ」と訓じておく。三首とも、同年十月号『獵奇』の「獵奇歌」に載る、
一番に線香を立てに來た奴が
俺を…………
………と云うて息を引き取る
若い醫者が
俺の生命を預つたと云うて
ニヤリと笑ひ腐つた
だしぬけに
血みどろの俺にぶつかつた
あの横路地のくら暗の中で
の初稿。]
六月六日 水曜
◇頭の中でピチンと硝子が割れた音イヒ……と俺が笑ふ聲。
◇日の中に日のあり又日のありわが涙つひにあふれ出てし哉。
◇白い乳を出させやろうとてタンポヽを引き切る氣持ち彼女の腕を見る。
[やぶちゃん注:「出てし哉」はママ。
一首目と三首目は、同年十月号『獵奇』の「獵奇歌」の、
頭の中でピチンと何か割れた音
イヒヽヽヽヽ
……と……俺が笑ふ聲
白い乳を出させようとて
タンポヽを引き切る氣持ち
彼女の腕を見る
の初稿。]
六月十日 日曜
◇あんな無邪氣な女がおれは恐ろしい
ヒヨツト殺したくなる困るから
◇肩に手をソツと置かれてハつとして
ハツトして自分の心をヂツと見つむる
[やぶちゃん注:一首目の下句は「ヒヨツト殺したくなると困るから」の脱字か?]
六月二十日 水曜
◇打ち割つた皿の中から血走つた
卵の黃味が俺を白睨んでゐる。
[やぶちゃん注:「白睨んでゐる」はママであるが、「白」は「睨」の誤字を抹消し忘れたものではないかと私は思う。さらにこれは実に「杉山萠圓」名義で十三年前の大正五(一九一六)年三月号の短歌雑誌『心の花』に載った、
血ばしつた卵の黃味のおそろしやまん中の眼のわれをにらめる
の「獵奇歌」風のインスパイアであることが判る。]
六月二十二日 金曜
◇いつの世の名殘りの夢を見るやらん
ほのかにえみてねむるおさなご
[やぶちゃん注:「おさなご」はママ。]
七月三十一日 火曜
◇眼の玉を取り出すまいとまはたきす
□□の朝のまばゆき眼ざめ
[やぶちゃん注:「□□」は底本の判読不能字。]
八月十六日 木曜
◇足の甲を蜂が刺したと思つたら
パンのカケラがくつ付いてゐた
九月十四日 金曜
◇ポプラ鳴る秋空高くポプラ鳴る
はるかに透きとほる國を戀しつゝ
九月十七日 月曜
◇友の來てピストルを買はぬかと語る
その友かなし秋のまひる日
◇車中にて今一人向ふに煙草吸ふ男
われ見かへれば彼も見かへる
九月十八日 火曜
◇誰か和歌を文字の戲れといふものぞ
歌をしよめば悲しきものを
九月十九日 水曜
◇吾を見て、吾兒の笑ふ悲しさよ
笑はむとすればいよいよ悲し。
[やぶちゃん注:「いよいよ」の後半は底本では踊り字「〱」。]
九月二十一日 金曜
◇口づけしつゝ時計の音をきいてゐる
わが心をば彼女は知らず
九月二十二日 土曜
◇ベンチから追ひ立てられた腹癒せに
ほかのベンチへ大の字に寢る
九月二十七日 水曜
◇秋つく日あかるき空の中に立ちて
つめたき帽子冠りてみるかな
◇わが冠る古き帽子の内側に
汗ひえびえと義は來にけり
[やぶちゃん注:「ひえびえ」の後半は底本では踊り字「〲」。]
九月二十九日 土曜
◇室の隅で女が髮を梳くやうな
ため息するやうな梅雨の夜の雨
◇闇の中で猛獸と額つけ合って
睨み合ってゐる惡酒の酔心地
九月三十日 日曜
◇戀したら相手を拷殺してしまへ
さうしてヂツと生きてゐてみよ
◇眼の前を蜘蛛が這ひまはる
まん丸い淸い明月の中を
十月八日 月曜
◇美しきけだものを見る心地する
眞晝のさなかに生娘見れば
[やぶちゃん注:因みに、この日の日記には「押し絵の奇蹟」の原稿を清書した旨の記載がある。翌日の日記には『新靑年來る。「死後の戀」評よし』とあって、作歌としての彼の油の乗り切って居る感じがよく伝わってくる。]
十月十一日 水曜
◇いろいろな鬼胎の標本指して
キタイですねと云へど笑はず
[やぶちゃん注:「鬼胎」奇形胎児。]
十月十四日 日曜
◇瞳とづれば曠野の涯に
一本の鋭き短刀落ちたるが見ゆ
◇赤い血がどうしても出ぬ自烈渡さ
いくら瀨戸物をたたきこわしても
[やぶちゃん注:「自烈渡さ」「じれつたさ」であるが、「焦れったさ」であるから完全な当て字である。]
十月十五日 月曜
◇人と馬ひやゝかに歩み秋の空
靑ずみ渡る野のはてを行く
◇室の内外物音もなし秋まひる
わが心ヂツとわがみつめ居る
[やぶちゃん注:日記本文に『誤て今日の日記を、十六日につける。一旦ゴマかせり。』とある。夢野久作、律義なるかな!]
十月十七日 水曜
秋の空あまりに淸く靜かなる得堪えで秋の花やこぼるゝ
[やぶちゃん注:「堪えで」はママ。歌の前の日記の最後に、『子供の病氣位、氣にかゝるものはなし、いたはしく悲しきはなし。』と記している。翌十八日の日記に、三男の「參綠」(日記では「三六」と記される)がジフテリアの診断が下されている。]
十月三十一日 水曜
◇秋の風眼をすがめつゝ雲を見ます
悲しき父となり給ひしか
[やぶちゃん注:言わずもがな、夢野久作の父、右翼の巨魁杉山茂丸(元治元(一八六四)年~昭和一〇(一九三五)年)であるが、彼は久作の死ぬ前年まで生きている。なお、この日の日記には『終日、押絵の原稿。後半書き疲れて二字就寢。』とあり、先の清書という記事は出来上がった部分までのそれであることが判る。「押絵の奇蹟」の脱稿は日記から十一月五日で、発表は翌昭和四(一九二九)年一月の『新青年』であった。「ドグラ・マグラ」の産みに苦しみつつ、かくも同時並行であれらの名作を創造していた久作に、今更ながら、舌を巻かざるを得ない。]
十一月十九日 月曜
[やぶちゃん注:この日の日記に詩歌の記載はないが、以下の通り、「ドクラ・マグラ」の作者にしてかくありと感ずる、非常に印象的な芥川龍之介評が載るので特異的に全文を掲載する。]
雨しとゞ降り、又黃色なる日照り、あたたかし。井戸車の音、汽車の音、雲の下に高らかに響く。菌生えつらめ。
芥川龍之介氏を崇拜する若き人多からむと、佐藤君云ふ。さもありなむ。氏の文には、神經衰弱が生む特有の無機的藥品の香と、靜電氣の如き感觸あればなり。
吾に良心無し、唯、神經のみありの一語の如き一例也。殘けれど痛々し。故にわかり易し。
[やぶちゃん注:「佐藤君」というのは喜多流教師の、喜多流シテ方能楽師梅津只圓の弟子であった佐藤文次郎(素圓)のことか?
「吾に良心無し、唯、神經のみあり」言わずもがな乍ら、芥川龍之介の「侏儒の言葉」の中の名アフォリズム(リンク先は私オリジナルの完全合成版)、
*
わたし
わたしは良心を持つてゐない。わたしの持つてゐるのは神經ばかりである。
*
を指す。]
十一月二十日 火曜
◇すゝき原風いつまでも晝の月
十一月二十一日 水曜
◇靑山のその彼方なる靑山に
冬のまひるの月出でにけり
十二月二十三日 日曜
◇逢ふて又別れし夢の路の霜
あかつきとほき名殘なりけり
[やぶちゃん注:この日、知人の母の訃報があったことが日記に記されてあるが、本歌との関連があるか。]
十二月二十八日 金曜
◇餠をつく數を子供等皆數へ
十二月二十九日 土曜
◇胸のはてなく白き砂原に
裸身の女がノタウチまはる
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