「笈の小文」の旅シンクロニティ―― 雲雀より空にやすらふ峠かな 芭蕉
本日 2016年 4月21日
貞享5年 3月21日
はグレゴリオ暦で
1688年 4月21日
三輪、多武峰(たふのみね)、臍峠(へそたうげ)、〔多武峰より龍門(りゆうもん)へ越ゆる道なり。〕
雲雀より空にやすらふ峠かな
「笈の小文」より。初瀬から吉野へ向かう道中吟。芭蕉のまさに天馬空虚空を翔けるが如き、自由な、広角画面の、飾らぬ、プエル・エテルヌス(puer eternus:永遠の少年)たる芭蕉自身の名句である。
「曠野」には、
雲雀より上にやすらふ峠かな
の句形で載るが、コスモティクな世界が全く平板に堕天してしまう。採らない。
「三輪」現在の奈良県北部の桜井市、奈良盆地南東部になだらかな円錐形を見せる三輪山。標高四百六十七・一メートル。古来より神宿る山として神聖視されている。
「多武峰」現代仮名遣では「とうのみね」と読む。現在の奈良県桜井市南部にある南部にある山で、山頂は「御破裂山(ごはれつざん)」と称し、標高六百十九メートルある。藤原鎌足が中大兄皇子と蘇我氏討伐を謀った場所とされ、江戸以前には一帯に寺院があって多武峯妙楽寺と言ったが、明治の廃仏毀釈によって中臣鎌足を祀る談山神社(たんざんじんじゃ)に変えられた。桜と紅葉の名所。
「臍峠」本来は「細峠」(ほそたうげ(ほそとうげ))であったとする。多武峰から次句に詠まれる吉野の龍門の瀧へと抜ける道中にある。
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