原民喜・昭和二三(一九四八)年五月二十九日附・長光太宛書簡(含・詩稿「感淚」)
[やぶちゃん注:発信は神田神保町(当時、民喜は丸岡明の実家であった「能楽書林」に間借りしていた)。宛先は札幌市の長光太。当時、民喜満四十二。
底本は一九七八年青土社刊「原民喜全集 Ⅲ」の「書簡集・遺書」に拠ったが、終生、民喜が諸原稿を基本的に正字で記していた事実に鑑み、恣意的に正字化した。読み難いので、詩篇の最後に一行空けを挟んだ。
「ティボーデ」優れたマラルメ論などで知られる、二十世紀前半のフランスの批評家アルベール・チボーデ(或いは「ティボーデ」と音写 Albert Thibaudet 一八七四年~一九三六年)知られた文芸誌『NRF』(フランス評論)で活躍、評論に「マラルメの詩」「批評の生理学」「フランス文学史」などがある。
「Write more, read Less!」「より多く書け、そして多くは読むな!」という謂いか? 出典未詳。
「潮流」昭和二一(一九四六)年一月に吉田書房(後に潮流社)から発行された月刊総合雑誌のことであろう。群馬県伊勢崎市の印刷工場主吉田庄蔵の手で創刊された。創刊号の特集テーマは「日本民主主義は如何に確立すべきか」で、その後も毎号特集形式をとり、連載された井上晴丸・宇佐美誠次郎の共同研究「国家独占資本主義論」は後に単行本に纏められて話題となった。第二次大戦敗戦直後の民主主義昂揚期が齎した総合雑誌ブームが去り、昭和二五(一九五〇)年の三月号を以って廃刊した(以上は平凡社「世界大百科事典」に拠った)。
「フロイド左派」新フロイト派(Neo‐Freudian)の別称。一九三四年頃から第二次大戦後にかけて、アメリカ・ニューヨーク精神分析研究所のK・ホーナイらを中心に興った新しい精神分析学の一派。「文化学派」とも呼ばれる。従来の正統的精神分析学が生物学主義に立脚してリビドー仮説を重視したのに対し、人間を取り巻く環境や文化的条件を、より重視し、神経症の原因のみならず、精神分析的諸概念をも、比較文化論的・社会学的・人間関係論的見地から批判的に検討し直した(以上は平凡社「世界大百科事典」に拠った)。個人的には民喜が新フロイト学派を「面白」いと感じていることを大変興味深く思う。
「來年の三月頃、短篇特集號を出したい」前に注した通り、当時の民喜は『三田文学』の編集に従事していた。
なお、本書簡に出る「感淚」は後の「魔のひととき」(民喜自死後四ヶ月後の昭和二六(一九五一)七月細川書店刊の「原民喜詩集」に所収)に(同底本のものを恣意的に正字化)、
感淚
まねごとの祈り終にまことと化するまで、
つみかさなる苦惱にむかひ合掌する。
指の間のもれてゆくかすかなるものよ、
少年の日にもかく淚ぐみしを。
おんみによつて鍛へ上げられん、
はてのはてまで射ぬき射とめん、
兩頰をつたふ淚 水晶となり、
ものみな消え去り あらはなるまで。
*
と出る。結果的に民喜自身が本書簡で語っている通りになっていることが判る。]
速達で「どん底」の原稿有難う。九月號はエッセイ特集として異色あるものが出來さうだ。狂氣について渡邊一夫、孤獨について草野心平、こんないい原稿が集まつてゐるよ。
小説を讀むと睡むたくなるといふのは、いろんな場合があるだらう。こちらが疲勞してゐて讀書に耐へない場合は別としても、紙や活字や文體があんまりうまく整つてゐて抵抗のないとき、ふと睡むくなることがあるやうだ。それからまたこちらの氣分が一向に從いてゆけない場合も人によつていろんな譯があるのだらう。だが小説を讀む面白さといふものは作者の面魂が文體やマヤカシの底から透視できるやうになつてこそ始めて張りあひが出てくるのだらう。そんな仁術がほんとにあるかどうかは疑はしいが、正宗白鳥などどうもそんな興味で熱心にひとの小説を讀んでゐるのではないかとおもへる。だがティボーデが小説の美學(これはとても面白い小説論だが)のなかで、作家に Write more, read
Less! 云つてくれてゐるのは原則としては正しいことだらう。僕などつまらぬ持込原稿を讀まされるお蔭で頭の調子が亂され勝ちだ。讀むならやはり立派な作品を靜かに讀みたいね。
感淚
まねごとの祈り 終にまことと化するまで、
つみかさなる苦惱にむかひ 合掌する。
指の間をもれゆくかすかなるものよ、
少年の日にもかく淚ぐみしを。
*
おんみによつて 鍛へ上げられん、
ほてのはてまで射ぬき射とめん。
頰をつたふ淚の水晶となり、
ものみな消え去り あらはなるまで。
この詩の字句について君に相談があるのだが
(合掌する)を(合掌す)に
(頰をつたふ淚の)を(兩頰をつたふ淚)
と訂正した方がいいかどうか判斷してくれ給へ。作者は僕です。合掌の方は、合掌するがいいと思へるが、頰の方は、兩頰の方がよささうに思へる。
潮流といふ雜誌でフロイド左派の紹介文を讀んだがとても面白かつた。アメリカにゐる精神分析學者の學説がもつともつと讀んでみたくなつた。
來年の三月頃、短篇特集號を出したいと思ふが二十枚の名作を書いてくれないか。十人位あつめるつもりだが、そのなかで光る奴を、お願ひする。締切はまだずつとさきです。
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