和漢三才圖會卷第五十二 蟲部 草蜘蛛 蠨蛸
あしたかくも 喜子 蟢
長踦
蠨蛸 【和名阿之太
加久毛】
小蜘蛛長脚也詩豳風云蠨蛸在戸無人出入則結
網當之
△按蠨蛸其大不過四五分瘦細脚長青色而多在萵苣
葉有毒相傳云無故蟢子舞降以爲喜瑞也西京雜記
曰乾鵲噪而行人至蜘蛛集而百事喜者是乎
衣通姫
我せこかくへき宵也さゝかにのくものふるまひこよひしるしも
一種有青蜘蛛大四五分頭脚青色身圓而白【與蟢不同】
*
あしだかぐも 喜子〔(きし)〕 蟢〔(き)〕
長踦〔(ちやうき)〕
蠨蛸 【和名、阿之太加久毛。】
小蜘蛛。長脚なり。「詩」の「豳風〔(ひんぷう)〕」に云く、「蠨蛸、戸に在り」と云ふ有り。戸に人の出入、無き時は、則ち、網を結びて之に當〔(あ)〕つ。
△按ずるに、蠨蛸は、其の大いさ、四、五分〔(ぶ)〕に過ぎず、瘦〔せて〕細く、脚、長く、青色にして多くは萵苣〔(ちしや)〕の葉の在りて、毒、有り。相ひ傳へて云ふ、故〔(ゆゑ)〕無くして、蟢子、舞(ま)い降(さが)る、以て喜瑞と爲すなり〔、と〕。「西京雜記〔(せいけいざつき)〕」に曰ふ、「乾鵲〔(かささぎ)〕、噪〔(さは)ぎ〕て行人〔(まちびと)〕至る。蜘蛛、集まりて百事、喜あり。」とは是れか。
衣通姫〔(そとほりひめ)〕
我〔(わが)〕せこがくべき宵也さゝがにのくものふるまひこよひしるしも
一種、青蜘蛛、有り。大いさ、四、五分、頭・脚、青色、身は圓〔(ゑん)〕にして白し【蟢と〔は〕同じからず。】
[やぶちゃん注:これは記載一読、現在の和名「アシダカグモ」である大型種で網を張らない、
蛛形(クモ)綱クモ目アシダカグモ科アシダカグモ属アシダカグモ Heteropoda venatoria
或いはその近縁種では毛頭ないことが誰にも判る。そうなると、和名が「あしだかぐも」酷似し、しかも人家に網を張る種、脚が長い種となると、これは、
クモ目アシナガグモ科アシナガグモ属アシナガグモ Tetragnatha praedonia
ではなかろうか? ウィキの「アシナガグモ」から引く。『体も足も細長く、顎が大きく発達する』『アシナガグモは、やや短めの頭胸部と、前が膨らんだ棒状の腹部を持つ、前身が灰色のクモである。足はそれぞれに細長く、特に前足は長い。鋏角は』、第一節は『こん棒状で横に張り』、第二節は『鎌の先となってとがっている』。第一節には第二節と『咬み合うように歯が並ぶほか、特に雄では外側に向けても刺が出ている。幼虫では鋏角は未発達である』。『この鋏角の刺は、獲物を捕らえるためよりは、配偶行動に用いるためのもののようである。雄は雌と交接するとき、雌の鋏角に自分の鋏角をからませて、相手の動きを封じるようである』。『アシナガグモは、目の粗い水平円網を作る。アシナガグモの成虫で』は網の直径は五〇センチメートル程度が『普通である。特に、網中央の蜘蛛がとまる部分であるこしきを、網が完成する時に食い破って穴にするため、無こしき網と呼ばれる。昼間から網を張っている場合もあるが、多くは夕方から網を張りはじめ、夜に虫を捕らえる』。『しかし、違った形の網をはる場合もある。普通、丸網は枠の内側に邪魔なものがない空間に網を張る。例えば』、二本の『枝の間に何もないような状態である。ところが、アシナガグモの幼虫は、時折』、二本の枝の間に、もう一本、枝が『入っている状態でも網を張る。この場合、網は中断され、中央の網の両側に丸網を半分ずつ張った形になる。クモは中央の枝の裏側に止まって身を隠す』。『また、他のクモの網の枠糸を利用するのも見られる。ジョロウグモ』(この前後は前の「絡新婦」の項を参照のこと)『の網の枠糸に、小さなアシナガグモが網を張っているのが時に見られる。渓流では夕方から夜にかけて、』真正のカゲロウ類(有翅亜綱旧翅下綱 Ephemeropteroidea上目蜉蝣(カゲロウ)目Ephemeroptera)やカワゲラ(襀翅(せきし/カワゲラ)目 Plecoptera)のなどの『水生昆虫の成虫が羽化するため、水面上に網を張ると多くの餌が得られる。そのような場所では、タニマノドヨウグモ』(アシナガグモ科 Metleucauge 属タニマノドヨウグモ Metleucauge
kompirensis)『など、渓流の両岸の間に網を張ることのできる種が中央を占めるが、アシナガグモはそれらの網の隙間、網を構成する枠糸の間に糸を引いて網を張ることがある。さらに、富栄養の溝などのように、ユスリカ』(ユスリカ上科ユスリカ科 Chironomidae のユスリカ(揺蚊)類)『など、より多くの昆虫の発生が集中するところや、明かりの下など虫が集まってくる場所では、網を張らずに直接に虫を捕まえることも行なう』とある(下線やぶちゃん)。ここには、アシナガグモの体長が記されていないが、信頼出来る他の学術サイトには一~一・五センチメートルとあって、本文の「四、五分」(約一・二~一・五センチメートル)に一致する。更に私が下線を引いた部分に着目して戴きたいのであるが、こうした習性があると、朝出た主人が帰って来頃に、玄関へと向かう植え込み辺りに本種が網を張っていて、思わず、顔に触れるなどすると、まさに「戸に人の出入、無き時は、則ち、網を結びて、之に當〔(あ)〕つ」(この最後の部分は東洋文庫版現代語訳では前から『網を張りめぐらしている』とするのであるが、どうも気になる。寧ろ、「戸に人の出入、無き時は、則ち、網を結びて」人が帰って来ると「之に」當〔(あた)り〕つ』れば、ぎょとするという風に私には読めぬではない)というのとも、頗る一致するように思われるが、如何?
・『「詩」の「豳風〔(ひんぷう)〕」』「詩経」の「豳風」の「東山」の一シーンで、長い東征から帰った兵士が故郷の荒廃を眼前にする以下の場面に出る(「raccoon21jpのブログ」の以下のページを一部参考にさせて戴いた。リンク先には現代語訳もある)。
*
我徂東山 慆慆不歸
我來自東 零雨其濛
果臝之實 亦施于宇
伊威在室 蠨蛸在戸
町畽鹿場 熠燿宵行
不可畏也 伊可懷也
*
我れ 東山に徂(ゆ)き 慆慆(とうとう)として歸らず
我れ 東より來たり 零雨 其れ 濛たり
果臝(から)の實 亦た宇(う)に旋(めぐ)り
伊威(いい) 室に在り 蠨蛸(しようしよ) 戶にあり
町畽(ていたん)は鹿場(ろくじやう)となり 熠燿(いふえう)は宵を行く
畏るべからず 伊(こ)れ 懷しむべし
*
以下の語注も一部、参照先に拠った。
●「慆慆」長く久しいさま。
●「零雨」小雨。
●「濛」一面に立ち込めた雨気ではっきりしないさま。
●「果臝」烏瓜。スミレ目ウリ科カラスウリ属カラスウリTrichosanthes
cucumeroides。
●「宇」家の軒(のき)。
●「伊威」甲殻亜門軟甲(エビ)綱真軟甲亜綱フクロエビ上目等脚(ワラジムシ)目ワラジムシ亜目 Ligiamorpha下目Armadilloidea上科ワラジムシ科 Porcellio属ワラジムシ Porcellio
scaber 或いは同じArmadilloidea上科オカダンゴムシ属オカダンゴムシ亜種オカダンゴムシ(ダンゴムシ)Armadillidium
vulgare rufobrunneus と考えられる。
●「蠨蛸」諸注は「あしだかぐも」とするけれども、この場合も、やはり荒れ果てた家屋に網を張っている景の方が、大型のアシダカグモがただ室内を這うよりも(ただ這うなら今の私の家の中でも日常的に普通に這っているのであるが、私の家は豪家ではないものの茅屋でもない)荒廃を伝えるにはより効果的であると思う。
●「町畽」村や田の小道。
●「鹿場」鹿の遊び場。
●「熠燿」現代仮名遣は「イウヨウ」で蛍の意。
・「青色にして」これは少し困る。アシナガグモは青くないないからである。但し、一般に古典で言う「青」は多分に「緑」「碧」「青」の謂いを含み、美しい緑色を呈する種には、アシナガグモ属ウロコアシナガグモTetragnatha
squamata がおり、本種は本邦では北海道から九州までと伊豆諸島・南西諸島に広く分布していて、私もよく見かけるから、ここはこれと見て、結論的には問題ないと私は思う。
・「萵苣〔(ちしや)〕」キク目キク科アキノノゲシ属チシャ Lactuca sativa。聞きなれないかも知れないがレタス(“Lettuce”英名)の和名である。地中海沿岸原産で本邦には既に奈良時代に伝来している。但し、現在、我々が馴染んでいる結球型のレタスはアメリカから近年持ち込まれたもので、家庭の食卓に普及したのは一九五〇年代と新しい。それまでのチシャは巻かない(結球しない)タイプであった。キク科に属すことから分かるように本来の旬は秋である。なお、学名もレタスもチシャも語源は同根で、英名の語源となった属名の“Lacutuca”の“Lac”はラテン語で「乳」を意味し、チシャは乳草(ちちくさ)が訛ったものである(因みに、イネOryza sativa の種小名と同じ“sativa”はラテン語で「栽培されている」の意)。これは新鮮なレタスを切った際に白い乳状の苦い液体が滲出することに由来する命名であるが、これはラクチュコピクリン(lactucopicrin)と呼ばれるポリフェノールの一種で、これには軽い鎮静作用や催眠促進効果があり、十九世紀頃までは乾燥粉末にしたレタスが鎮静剤として利用していたという。
・「毒、有り」くどいが、本邦のアシダカグモには毒は、ない。
・「故〔(ゆゑ)〕無くして」誰かか何かが嚇したりしたのでも何でもないのに。
・「喜瑞」吉兆。
・「西京雜記〔(せいけいざつき)〕」本邦の書ではないので注意。晋の葛洪(かっこう)が、前漢末の劉歆(りゅうきん)の原著書を編したと歴史故事集とされるが定かではない。全六巻。「西京」とは前漢の都長安を指し、前漢期の著名人の逸話や宮室・制度・風俗などに関するエピソードが載り、文学的にも価値が高いとされる。以下は「第三卷」の「八六 樊噲問瑞應」に載る。
*
樊將軍噲、問陸賈曰、「自古人君皆云受命於天、云有瑞應、豈有是乎。」賈應之曰、「有之。夫目閏得酒食、燈火華得錢財、乾鵲噪而行人至、蜘蛛集而百事喜。小既有徴、大亦宜然。故目閏則咒之、火華則拜之、乾鵲噪則餧之、蜘蛛集則放之。況天下大寶、人君重位、非天命何以得之哉。瑞者、寶也、信也。天以寶爲信、應人之德、故曰瑞應。無天命、無寶信、不可以力取也。」。
*
・「乾鵲〔(かささぎ)〕」スズメ目カラス科カササギ属カササギ(鵲)Pica
pica 。現代中国語でもまさに「喜鵲」と呼ぶ。ウィキの「カササギ」の注に『「かちかち(勝ち勝ち)」と鳴くのが縁起が良いとされ、この鳴き声から「かちがらす」と呼ばれるようになったといわれている』という本邦の伝承が載る。
・「噪〔(さは)ぎ〕」啼き騒ぐ。前注参照。
・「行人〔(まちびと)〕」この訓は東洋文庫版現代語訳のそれを援用させて戴いた。待ち人。
・「百事、喜あり」東洋文庫版現代語訳は『百事(なにごと)にも喜ぶよいことがある』と訳す。
・「衣通姫〔(そとほりひめ)〕」「そとほしひめ(そとおしひめ)」とも読む。ウィキの「衣通姫」から引く。『記紀にて伝承される女性。衣通郎姫(そとおしのいらつめ)・衣通郎女・衣通王とも。大変に美しい女性であり、その美しさが衣を通して輝くことからこの名の由来となっている。本朝三美人の一人とも称される』。『記紀の間で衣通姫の設定が異な』り、古事記では、『允恭天皇皇女の軽大郎女(かるのおおいらつめ)の別名とし、同母兄である軽太子(かるのひつぎのみこ)と情を通じるタブーを犯す。それが原因で允恭天皇崩御後、軽太子は群臣に背かれて失脚、伊予へ流刑となるが、衣通姫もそれを追って伊予に赴き、再会を果たした二人は心中する(衣通姫伝説)』とし(ウィキの「衣通姫伝説」をリンクさせておいた)、「日本書紀」では、『允恭天皇の皇后忍坂大中姫の妹・弟姫(おとひめ)とされ、允恭天皇に寵愛された妃として描かれる。近江坂田から迎えられ入内し、藤原宮(奈良県橿原市)に住んだが、皇后の嫉妬を理由に河内の茅渟宮(ちぬのみや、大阪府泉佐野市)へ移り住み、天皇は遊猟にかこつけて衣通郎姫の許に通い続ける。皇后がこれを諌め諭すと、以後の行幸は稀になったという』。『紀伊の国で信仰されていた玉津島姫と同一視され、和歌三神の一柱であるとされる。現在では和歌山県和歌山市にある玉津島神社に稚日女尊、神功皇后と共に合祀されている』とある。
・「我〔(わが)〕せこがくべき宵也さゝがにのくものふるまひこよひしるしも」これは「日本書紀」の允恭天皇八年二月の条に、
わが背子が來べき宵なり小竹(ささ)が根(ね)の蜘蛛(くも)の行ひ今宵しも
と出、「古今集和歌集」の巻末「卷二十」の「卷第十四」の最終歌である紀貫之の歌から一つ前に、(第一一一〇番歌。前書の現存在位置を示す「思ふてうことのはのみや秋をへて下」は見た目が煩わしいので略した)
衣通姫の、ひとりゐて帝をこひたてまつりて
わが背子がくべきよひなりささがにの蜘蛛(くも)のふるまひかねてしるしも
と、衣通姫の和歌として記されている、古今集の方の句形である。――愛しいあのお方が今宵必ず来ることを、ほら、あそこで網を張ろうとしている蜘蛛の振る舞いが、確かに予兆しているわ♡――というのである。夜行性で夕暮れに網を張るアシダカグモであってこそ、これぞ! 相応しいではないか!!!
・「青蜘蛛」クモ亜目カニグモ科ワカバグモ属 Oxylate は鮮やか緑色(「青」については前の「青色にして」の注を参照されたい)で頭胸部が有意に丸い種(「身は圓〔(ゑん)〕にして白し」というの腹部が白いことを指すのではないか。同種は写真を見ると相対的に腹部が白い個体を現認出来るのである)がいるが、あれか。「蟢と〔は〕同じからず」も現行の生物学上も科のタクソンで異なる全くの別種であるから、合致すると言えば言える。]
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